第17話
音はどんどん大きくなり、それに紛れてペタッ、ペタッという足音、荒い息遣いまで聞こえてくる。そしてそれらの音は扉の前でピタリと止んだ。
地面が揺れているかのようにエイジの足が小刻みに震える。扉一枚隔てて、得体の知れない何かが息を潜めて立っていると思うと背筋が凍えた。
随分と長いように感じた。もしかしたらそのまま何も起きないのではとさえ思った。しかしエイジの淡い期待とは裏腹に扉がゆっくりと開いた。
部屋に入ってきたのはまさにモンスターだった。筋骨隆々の大男で体はつぎはぎのように縫い跡があちらこちらにあり、腰には汚れたボロ切れを巻いている。右手には鎖のついた手枷を握りしめ、左手にはサビまみれでひどく黒ずんだ大きなツルハシが握られている。そしてその大男の顔には不機嫌そうな赤ん坊の顔が乗っかっていた。
エイジはあまりの恐ろしさに腰を抜かしそうになった。体が金縛りにあったように全くいうことを聞かない。一体この対象者の深層心理はどうなっているのだろうか?
『エイジ君、どうした? 何かあったの?』
「あ……、ば……」喉の内側が張り付いたようにうまく声が出ない。生唾を飲み込もうにも口の中がカラカラに乾いている。
『えっ? なになに? どうした?』
「ば、バケモノです! 怪物みたいな大男が出ましたっ!」
『怪物だって? そいつ何か武器とか持ってる?』
「持ってます! なんか、あれあれ! 工事現場で使うようなヤツ!」
『近づかないようにしてスリープガンで撃って! 下手したらエイジ君がやられちゃうよ!』
エイジはスリープガンの引き金を続けざまに引いた。しかし、今回も弾丸はかすりもしなかった。恐怖で震える手がエイジの射撃の下手さに拍車をかけているようだ。
赤ん坊の顔をした大男はどんどんエイジと対象者に近づいてくる。エイジは絶え間なくスリープガンを撃ちまくるが一向に当たらない。すぐそばの大きな的をこんなにも見事に外せるものなのかと自分の射撃の絶望的なセンスが信じられなかった。
突如、大男が右手に握ったツルハシを振りかぶった。エイジはとっさに対象者の女性に抱きつき、ベットの脇に飛び退いた。その直後、振り下ろされたツルハシがベッドに深々と突き刺さった。ベッドがギシギシと軋む音が部屋に大きく響く。
「だ、大丈夫ですかっ?」エイジが対象者に声をかけた途端、視界がわずかに歪んだ。
「うわっ、なんだこれ!」
『あっ! マズいよエイジ君、ハジかれかけてるぞ! この対象者との接触はやめた方がいい!』
「マジかよ……。どうしろってんだ!」
スリープガンの弾は当たらず、その上対象者を抱えて避けることもできない。
大男はベッドに突き刺さったツルハシを引っこ抜くと、対象者とエイジの方に顔を向けた。その表情は泣き出しそうな顔をしている。泣きたいのはこっちだよと心の中でこぼしながら片膝をついた状態で再び銃口を大男に向けた。
もうこうなったら一か八か、ギリギリまで引きつけて撃つしかない。落ち着け、落ち着け、落ち着け……。
大男が一歩一歩近づいてくる。その度、エイジの呼吸も比例して荒くなる。心臓が痛いほど激しく動いている。ピロウがなかったらとっくに目が覚めていただろう。
大男が目前まで迫り、ピタリと歩みを止める。だが、まだ撃たない。
そして再びツルハシを振り上げる大男。よし、今だとタイミングを見切り、エイジは狙いを定めて引き金を引く。
しかし、弾丸は大男の脇をすり抜け、闇に消えていった。
「ああ、死んだ」
それ以上は何も言えなかった。振り下ろされるツルハシ。思わずキュッと両目を閉じる。
「ごめんねえ……。ママが悪いの……。ごめんなさい……」
「えっ?」対象者の言葉に思わずハッと目を開け顔を上げる。振り下ろされたツルハシは対象者の鼻先でピタリと止まっていた。
「助かった……のか?」
そう思ったのも束の間、大男は勢いよくツルハシを天高く振り上げる。
それに合わせてエイジはとっさに立ち上がり、スリープガンを大男の鳩尾に銃口をピタリとつけて引き金を引いた。スリープガンから放たれた弾丸が大男の体に強烈に食い込む。
弾丸が命中した鳩尾から波紋が広がるようにして大男の体がボコボコと膨れ上がる。
「おっと、やべえ!」エイジがさっと飛び退くと男の鳩尾に開いた銃創から黒い煙が勢いよく吹き出すと、あっという間に塵になって消えていった。
「アキオさん、スリープガン命中しました。大男も消えたみたいです」
『了解、危険度指数も安全圏まで下がったよ。お疲れ様。それじゃあダイ場から離脱しようか』
「わかりました」
エイジはスリープガンをホルスターに収めると対象者の方を見た。危険は去ったというのに相変わらず力ない声でごめんなさいと繰り返している。
『エイジ君、今回は声をかけない方がいいかも』
「……そうですね、わかってます。なんだかかける言葉も見つからないし」エイジは対象者から少し離れるとツルハシで開けられたベッドの穴を指先でそっとなぞり、部屋から出ようとした。
「……ありがとう」
床にへたり込んだまま、壁を見つめたまの対象から放たれた意外な言葉に思わず振り返るエイジ。誰に向けられた言葉なのかも、どういう意図で発した言葉なのかもよく分からない。ただなんとなく、そう呟いただけなのかもしれない。だが、エイジは対象者の方に頭を下げ、部屋を後にした。
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