第16話
二回目のダイブは、前回と比べてずっとスムーズだった。全身が吸い込まれる感覚も随分と落ち着いている。すでにダイブというものがどんな感じか経験しているため、余計な力を入れてないせいなのかもしれない。流れに逆らわず、身を委ねるということが大事なのだろう。
エイジが目を開けると、そこはだだっ広いリビングルームだった。天井はとても高く、壁はモダンな白いコンクリート打ちっ放しで、部屋の壁一面は巨大な窓ガラスがはめ込まれている。部屋の中央にはミッドセンチュリー調の黒革のソファーが一対と、その真ん中に天板がガラスのコーヒーテーブルが置かれている。まるでモデルルームのように生活感のない空間だった。
エイジは辺りを見渡してみるが、リビングルームには対象者どころか人の影も形も無い。
「アキオさん、無事にダイブできました! ガンガン指示ください!」エイジが張り切ってアキオに到着の報告を入れた。アキオの言った通り、長年苦しめれてきた潜熱病から解放され、昨晩はぐっすりと眠ることができた。夢を認識することもなく眠りを貪る快感を味わえたおかげで、全身の隅々に力が流れていく。
『よおし、いいね! ダイ場の状況を教えてくれるかい?』
「そうですね、なんだか小洒落た別荘の中って感じです。見える範囲には対象者はいませんね。……あっ、どうやら雪山の中に建ってるみたいです」
巨大なガラス窓から外を覗いてみると、眼下には真っ白な雪の世界が広がっていた。対象者がどこかで見た風景か、憧れを抱いている場所なのかもしれない。室内にいるせいなのか、それとも夢の中だから寒さは全く感じない。
「さっきから気になってたんですけど、出口らしい出口がないみたいです。対象者はどこにもいないのになあ……」
エイジは部屋の中を隅々まで注意深く見渡すが、出口が見つからない。広大なリビングルームには一つも扉がなく、窓ガラスもはめ殺しタイプになっているため開けるのは不可能だ。
『うわ~、マジ? ってことはジャンプ型のダイ場かあ』
「……それってつまり?」
『あらかじめダイ場が複数用意されていて対象者があちこちに移動するんだよ。街中を歩いていると思えば次の瞬間には森の中にいたりする感じかな。ジャンプ型は不安定になりやすいんだよね。場面が切り替わる時、対象者が目覚めちゃう可能性があるからさ。ハジかれないように注意して』
「でもこれからどうしましょうか? これじゃあ対象者を探すこともできないですけど」エイジはソファの背もたれに手を置きながらアキオに尋ねた。
『多分そのうち対象者がやってくると思うんだけど……。でももし対象者が現れなければ今回の任務は失敗だね』
「失敗って……、その場合どうなるんですか?」
『運が良ければ明日また再挑戦だね。最悪の場合は対象者が死ぬか犯罪を犯すことになるけど』
「それ本当に最悪じゃないですか! なんとかして……」
突如として、部屋全体が明るくなった。鮮明になったといった方が正しいだろう。エイジは背後に人の気配を感じ、振り返ると女が一人ぼんやりとした表情で立っていた。彼女が現れた途端に周囲が鮮明になったということは対象者と見て間違い無いだろう。
対象者と思われるその女性は見たところ三十代前半といったところだが、長い髪はボサボサで艶もなく痛んでおり、目の周りは隈ができ、頬は痩せこけ、虚ろな表情をしている。唇を小さく動かしながら何かボソボソと呟いているがよく聞き取れない。
「アキオさん、出た出た! 出ました、対象者です」
『よしっ! 対象者に近づいて! 近くにさえいればその場に取り残される心配はないから』
「わかりました」
対象者の女性はふらふらと窓に近づき外の景色を眺めている。エイジも彼女の背後にそっと近づいてみる。
前回のダイ場とは違い、悪夢という印象ではない。静かな場所で雪景色を眺めるという、ただそれだけの夢だ。この手の夢だったらエイジもたまに見る。
突然、目の前の光景が何の前触れもなく切り替わった。雪景色が見えるモダンなリビングルームは跡形もなく消え、対象者とエイジがいる場所は高々とそびえ立つビルの屋上になっていた。対象者の女性はその場に動くことなく、相変わらずぼんやりと景色を眺めている。
「アキオさん、ダイ場が変わりました。今度はどこかのビルのようです」
『もう? わかった。そのまま近くで監視を続けて』
アキオの指示に従い監視を続けるが、対象者は一向に動く気配はない。それとは対照的にダイ場は、地下鉄のホーム、水族館、大きな鋼橋の上などめまぐるしく変わっていった。
『随分コロコロと場面が変わるなあ』アキオは腕組みをしてう~んと唸った。
「でも対象者はほとんど動いてませんね。何か意味があるのかな……?」
『ちょっと待って! 今からノンレム睡眠期に入るよ! 注意して!』
「えっ! いきなり……」
次の瞬間、視界が歪み、スタンガンを突きつけられたようにこめかみのあたりがビリビリと痺れる。前回よりは幾分かマシになったが、それでも強烈な衝撃であることには変わりなかった。
体の感覚が正常に戻ると、すぐさまあたりを見渡した。そこは薄暗いどこかの施設のようだった。綺麗に並べられた緑色のレザーベンチシート、大きな受付カウンター、そしてかすかに漂う消毒液の匂い……。
「ここ……、病院か?」
壁に設置された緑の非常灯だけがついており、あたりを弱々しく照らしているが、その光も奥の方では濃い闇によってすっかり飲み込まれている。
「アキオさん、ノンレム睡眠期入りました。……どうやら病院みたいです。しかも夜の」
『うわ、なにそれ。すごい怖いじゃん』
「俺、ホラー系は苦手なんだけどな……。とりあえず、対象者を探します」
『わかった。気をつけてね』
ゴクリと生唾をのみ、腰のホルスターからスリープガンを抜くと、前方の通路を進み出した。
対象者を見つけるには、より鮮明になっている場所に向かって行けば良いのだが、照明がほとんどついていないため、周囲は薄暗く、なかなか判断がしづらい。エイジは目についた扉を片っ端から開けて調べることにした。
部屋の数はかなりの数だが、開けることのできる扉はそれほど多くはなかった。また、入れる部屋も中までは再現されていないようで、ガランとして何もない真四角の空間があるだけだった。おかげで一部屋調べるのにかかる時間はほんのわずかで済む。
「自殺、とかですかね? 今回の対象者」エイジが調べ終わった部屋の扉を閉めながらアキオに聞いた。
『うん、恐らくはね。……どうしてそう思ったの?』アキオの声のトーンがいつもより低い。
「ダイ場がコロコロ変わってたけど、なんだか探してたみたいに感じたんですよね。死に場所ってやつを。……それにいかにもって場所が多かったし」
『確かにジャンプ型のダイ場って、自殺を促す場合が多いんだよね。まあ、もちろん全部が全部ってわけじゃないよ。そういう傾向にあるってだけで』
次の部屋を調べようとした時、隣の部屋から女のボソボソと小さな話し声が聞こえてきた。
エイジはふうっと小さく息を吐き、声のする部屋の扉をゆっくり開けた。
その部屋は他とは違い大部屋の病室といった雰囲気で、ベッドが数台並んでいる。そして窓側のベッドには対象者が静かに座っていた。
「いました! 対象者を見つけました!」
『よし! 対象者は無事かい? 変わったところはない?』
「はい、無事です。変わったところも……特にないみたいですけど」エイジは対象者に近づき、様々な角度で眺めてみるが、特に変化はなく、先ほどと全く変わりない。
『そっか……。ということは何か起こるとしたらこれからか……』
その時、対象者の体がピクリと硬直し、口をつぐんだ。すると通路からガリ、ガリ、ガリ、ガリと石を削るような物音が響いてくる。音の正体ははっきりとしないが、徐々に大きくなってくる。
「何か……来ます」エイジは震える手でスリープガンを握り、扉の方に銃口を構えるとゴクリと唾を飲んだ。
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