第12話
エイジは対象者がいるであろうオフィスのドアをゆっくりと開いた。ドアの向こうはたくさんのデスクが並んでおり、ビジネススーツを着込んだ大勢の人たちが忙しそうに働いていた。先ほどまでの静かな廊下とは打って変わりとても騒々しい。
書類を持って走り回る人、パソコンに向かい合っている人、電話をしている人など、まさにテレビなんかでよく見かけるオフィスの光景だったが、ただ一つだけ決定的に違うことがあった。
それは、働いている人のほとんどが普通の人間とは違い、どことなくいびつで不気味な姿形をしていた。ある者は膝から下だけが異様なまでに長く、ある者は真っ白で穴が一つも空いていないお面を被り、ある者はできの悪いコマ送り動画のようにカタカタと動いている。不気味な格好や動きをしているのはどれも女で、男は対照的にみんな石のように固まってピクリとも動かなかった。
ただそんな中、まともな人間が一人だけいた。デスクに座り、必死に書類の整理をしている小太りの若い男性だった。彼が対象者に違いないとエイジは判断した。
「アキオさん、いました! 対象者を見つけました」エイジはやや声のボリュームを抑えて言った。
『対象者は一人かい? それとも二人?』
「はあ? そりゃ一人ですよ。だって対象者ってこの夢の持ち主のことでしょ?」エイジは不思議そうに首を傾けた。
『それがごく稀に二人現れることがあるらしんだよ。【ドッペルゲンガー】ってやつさ。ドッペルゲンガーは対象者を殺してしまうって言われていてね。そいつが現れたら残念だけどもう僕らの手には負えない……らしい』
「らしいらしいって、アキオさんはその【ドッペルゲンガー】に会ったことはないんですか?」
『ないね。ほとんどのダイバーは見たことないんじゃないかな。まあ、DSAで流れてる都市伝説みたいなもんでさ。まあ、警戒したことに越したことはないからね』
「もう、後出しが多いなあ……」エイジはやれやれと溜息をついた。
『それで対象者周りのダイ場はどんな感じだい?』
「いや……、これはひどいですよ。きっと対象者は今頃うなされてるんじゃねえかな」
まさに悪夢だった。対象者がどんなに頑張って書類整理を片付けても、次から次へといびつで不気味な連中が書類の山を運んできて、デスクの上に積み上げる。それを泣きそうな顔で必死に処理しようとするが、書類の山はどんどん高くなる。まさに無間地獄。エイジはその様子を伝えると、アキオは一つ低い唸り声をあげた。
『う~む、なるほど……。おそらくは仕事で大きなストレスを抱えてるようだね。しかも周りには助けてくれる人はいない感じだ。対象者の様子だと自殺の可能性が濃厚かな。よし、エイジ君。もう少し対象者に近づいてみよう』
「でもアキオさん、みんなスーツを着てるのに、俺だけこんな格好でうろついて大丈夫ですか? すごく浮いている気がするんですけど」エイジは自分の服装と対象者の格好を見比べた。
オフィスの光景にエイジの着ている茶色のツナギは明らかに場違いだった。
『そのツナギには偽装効果があってさ、対象者にはエイジ君の姿は認識できていないから、よっぽどのことがない限り大丈夫だよ』
「至れり尽くせりだな、ピロウは」エイジはDSAの技術に関心しながら、対象者に向かってゆっくりと近づいていく。
対象者に手を伸ばせば肩に触れるぐらいの距離まで近づく。エイジは対象者の顔をまじまじと見つめた。名前も知らない男の目には涙をいっぱいにためながら歯を食いしばってなんとか仕事を終わらせようとしている。見ている方がなんだか辛くなってしまう。一体、彼はどんな職場環境で働いているのだろうか? なぜ誰も助けようとはしないのか?
『まずいエイジ君! もうすぐノンレム睡眠期に突入するよ! 注意して!』突然アキオの大声が頭の中で跳ね回る。
「えっ? 注意してって言われても、どうすれば……」
『来るよ!』
アキオが叫ぶのとほぼ同時に視界が突然ぐにゃりと歪む。様々な色の絵の具をバケツの中にぶちまけてかき混ぜたようにデタラメな空間になる。エイジに襲いかかる異変はそれだけではなく、体を左右から引っ張られるような感覚も同時にやってきた。エイジの体をねじ切ってしまうかのようなとてつもなく強い重力、引力、遠心力……。
だが、それは唐突に終わりを告げた。瞬間的に体を引き裂こうとする感覚は綺麗さっぱり消え去り、目の前の光景を正確に映し出す。しかし、その光景は思わず目を疑いたくなるようなものだった。
「なんだよこれ……。これがその、ノンレムなんとかって世界なのか……」エイジは振り絞るようにして呟いた。するとまた頭の中でアキオの声がした。
『エイジ君! 大丈夫かい? ダイ場はどんな様子だい?』
「どんな様子も何も、もうめちゃくちゃですよ。……いや、夢っていうのは元々めちゃくちゃなもんなんでしょうけど、そういうのとはまた違うっていうか……」
エイジの言う通り、まさにめちゃくちゃな世界だった。足元には荒れ果てて赤茶けた大地が永遠と続いており、空にはどす黒く分厚い雲が辺りを不気味に覆っており、時々稲光を瞬かせている。空中には鋭い牙を並べた肉食魚たちが赤い斑点模様を体に浮かべながら目の前をゆっくりと泳ぎ、牙をカチカチと不気味に鳴らしている。どこからともなく聞こえてくるサイレンのような音は悲鳴のようでもあり、エイジの不安な気持ちをより一層大きくさせる。
『いいかい、エイジ君! そろそろ大詰めだ。対象者の危険度指数は現在六十四。これ結構やばい数値でね、これを最低でも三十ぐらいにしなくちゃいけない!』
「俺は何をやったらいいんですか?」
『まずは対象者を見つけること! 近くにいるはずだから、よく探すんだよ』
アキオに言われて辺りを見渡すが、対象者どころか人の影すら見当たらなかった。荒涼としたこの世界では身を隠せるような場所はどこにもない。
「アキオさん、対象者なんてどこにも……」エイジがそう言いかけている時、目の前の地面がもぞもぞと動き出した。まるでシーツの下に隠れた犬や猫のように生々しく。
地面の蠢きはどんどん活発になり、ずんずんと盛り上がる。とうとう対象者と少し離れたところにもう一人、鎖で雁字搦めにされた裸の女が地面から吐き出された。顔は薄汚れた包帯でぐるぐる巻きにされており、表情をうかがい知ることはできない。
「アキオさん! 出てきました、対象者です! それとチェーンでぐるぐる巻きにされた女の人も出てきましたけど」
「何? 女の人?」アキオが怪訝そうに尋ねた。
「おいおい、まさか! ……こいつ女を殺す気だ」
うつむきながら力なく立っている対象者の右手にはどっしりとしたサバイバルナイフが握られており、刃が怪しく光りを反射していた。対象者は急に顔をあげ、縛られた女を見据えると、一歩一歩ゆっくりと歩き出した。
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