第13話
『エイジ君、構えて!』
「えっ! 構える? 何を?」
「早く! 『スリープガン』だよ! 拳銃持ってるだろ』
エイジは慌てて腰にぶら下げた拳銃を抜き、対象者に銃口を向けた。銃口は小刻みに震えている。銃器には縁遠い日本に住んでいるエイジには当然拳銃を手にするという経験は皆無だった。自分の夢の中でもそういった乱暴なことは極力避けていた。
『いいかい? 撃つのは対象者じゃない、女の方だよ。絶対に対象者を撃っちゃダメだからね!』
「はっ? 女の方? 正気ですか!」とっさに銃口を女の方に向け直す。エイジはにわかには信じられなかった。誰がどう見たって撃つべきは男の方だというのに。
『よし、撃って!』
アキオの声を合図に思い切って引き金を引く。強い衝撃がエイジの両手の中に生まれ、腕から肩へと走り抜ける。しかし、弾丸は女にかすりもせずに通り抜けていった。
『外れた? 当たるまでどんどん撃つんだ!』
二回、三回、四回、五回と立て続けに引き金を引く。その度に衝撃がエイジの体を突き抜ける。しかし、それでも弾丸は命中しなかった。その間も対象者は縛られた女に確実に近づいていく。
『……エイジ君! どんだけ下手なんだ君は!』思わず頭を抱えて叫んだ。さすがにアキオもこのことは想定外だったらしい。
「そんなこと言ったって、銃なんか撃ったことないんだから、仕方ないじゃないですかっ!」思わず泣きそうな声を出すエイジ。
対象者はすでに女の目の前に迫っており、いつその凶暴なナイフを振りかざしてもおかしくない。
「ああ、もうっ」エイジは対象者と女に向かって駆け出した。対象者は右手のナイフを高らかに掲げている。そしてそのナイフを振り下ろした瞬間、乾いた破裂音が周囲に鳴り響いた。
思わず固まる対象者。座ったまま顔を空に向けている縛られた女。そして女のこめかみに銃口を突きつけ引き金を引いているエイジ。
「最初っからこうすりゃ良かったんだよな」
エイジはそういうと銃を女から引き離し、一歩後ろへ下がった。突然女の体がボコボコとシュークリームのように膨れ上がったかと思うとこめかみに開いた穴から真っ黒な煙を吹き出した。流れ出す煙の量に反比例して女の体はみるみる縮んでいき、ついには塵となって消えてしまった。
対象者はゆっくりと右手をおろすと再びうつむき、その場にぼんやりと立ち尽くした。
『オッケー、エイジ君! 対象者の危険度指数は無事に三十三まで下がった。これにて任務完了だよ。いやあ、初めてにしちゃ上出来だね』
アキオは上機嫌だったが、エイジには今ひとつ、喜ぶ気にはなれなかった。
「この人、何でこんな風になっちゃったんですかね?」エイジは背中を曲げて立ち尽くしている対象者に視線を送りながらアキオに尋ねた。
『えっ? ……そりゃあ彼の職場環境の問題だろうね。仕事がとんでもなく激務だったり、職場の人間関係に問題があったりさ。エイジ君から聞いたダイ場の様子だと、周りに相談できる人もいなかったみたいだしね。……さあさあ、それじゃあダイ場から離脱しようか。ノンレム睡眠期でもやり方は一緒、対象者から目一杯離れてハジかれちゃってよ』
「すいません、アキオさん。ちょっとだけ、対象者と話してみてもいいですか?」
『ええっ! ちょっとちょっと! 任務は終了したんだよ? 長居する必要ないって』
「そうなんですけど……。なんかこのまま終わりってすっきりしないんですよ。アキオさん、悪いんですけど、対象者にも俺が見えるようにしてもらえますか?」
「感覚偽装を消せなんて注文つけるダイバーなんて前代未聞だよ。……ほら、偽装効果をゼロにしたよ。注意してよね。これで君は対象者から丸見えなんだから」
エイジは対象者にそっと近づいた。
「あのー、大丈夫ですか?」
エイジは恐々と対象者に話しかけた。その右手には未だサバイバルナイフが握られている。虚ろな目でエイジの方に顔を向ける対象者。何を考えているのかまるで分からない。エイジの緊張が高まった。
「……誰?」対象者は虚ろな表情なまま目玉だけをエイジに向けた。
「俺はその……、まあ誰だっていいじゃないですか。それよりどうしたんですか? だいぶ疲れた様子ですけど」なるべく対象者を刺激しないよう、エイジは優しく語りかけた。
「そりゃ疲れてるよ。毎日あんな地獄みたいなところで仕事してるんだから」
「地獄?」
「それ以外にふさわしい言葉があるか? あの女ども、俺に何でもかんでも押し付けやがって……!」
「ああ、それでか……」エイジは先ほどのオフィスの様子を思い出した。奇妙な姿をしたのは全て女だった。
「毎日毎日あの女どもに見下されたり、バカにされたり……。それが入社してから五年間ずっとだぞ……。一体俺が何をしたって言うんだ!」
「エイジ君、まずいよ。対象者の脳波が不安定になってきてる!」アキオの焦るような声が頭に響く。
「でもすごいじゃないですか。そんな職場に五年も耐えることができるなんて」
「え……?」
「だってそうでしょ? 今の若者は我慢ができないって言われてるのに。だけどあなたは最悪の職場に五年も務めた! これは自慢できることですよ!」
「自慢……」
「そう! これはすごいことだと思うなあ。だから自信を持って!」
エイジがガッツポーズをやって見せた時、対象者の顔とナイフが握られた右腕だけがエイジの目の前にグッと近づいた。
「お前なんかに何が解るんだよ」対象者は目を見開く。作り物かのように生気のない顔に目玉だけが燃えるように赤い。
「まずいっ!」対象者がエイジの腹にナイフを突き立てるよりも一瞬だけ早くアキオが叫んだ。
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