第11話

 気がつくといつの間にか周りが静かになっていた。体を引っ張られる感覚が消えたのがわかるとハッと両目を開く。そこはもうベッドルームでは無かった。

 無機質な白いコンクリートの壁にはいくつかの質素なドアがついており、床全体には青いタイルカーペットが敷き詰められている。どうやらオフィスの通路のようだ。天井についた蛍光灯が辺りを照らしているがその光は弱く、通路全体の彩度が低い。全てが灰色がかって見える。

 エイジは壁を掌で撫でたり軽く叩いたりしてみるがその感触はダンボール紙のように軽い。

 窓から外の様子を覗いてみるとビルや民家の屋根が見えた。それはどこか曖昧で輪郭がはっきりしておらず、いい加減に描いた風景画を窓に貼りつけたみたいだった。

『エイジ君、僕だよ。聴こえる?』

 突然アキオの声が聞こえた。耳元で、というより頭の中に直接響いているような感覚だった。エイジはどこに向かって返事をしていいかわからなかったが、とりあえず口に出してみた。

「アキオさんですか? 聴こえます。……これって一体どこから聞こえてるんだろ?」エイジはキョロキョロと首を左右に振ったり視線を上に向けたしながら応える。

『よっしゃあ、大成功! 通信もクリアだ、うまくいったね。もうそこは対象者の夢だよ。さすがはエイジ君、こんなにすんなりダイブできることって中々ないよ。初ダイブおめでとう!』

「そうなんですか……。なんだか、所々曖昧な部分があるんですけど大丈夫なんですか?」

『ああ、それは対象者の夢の再現度の問題だから平気平気』

「はあ、なるほど。ところでダイブって失敗する場合もあるんですか?」

『そりゃあるさ。慣れないうちはダイブしたはいいけど、すぐに夢から追い出されるってことがある。対象者の脳波の動きにうまくシンクロできなくなってね。ダイバーが強制的に夢の中から排出されることを『ハジかれる』っていうの。ダイバーが対象者に干渉しすぎて嫌悪感を抱かれたり、ダイ場の中のものを壊したりすると高確率でハジかれるね』

 ハジかれる。そういえば、前に電車の夢の時に、アキオがそんなこと口に出してたっけ……。

『ハジかれるぐらいならそんな問題じゃないけどさ、最悪の場合はダイバーが漂流者になることもあるんだよ』

「漂流者? なんですかそれ?」

『ダイブの時にうまく対象者のダイ場に入ることができずに別の人の夢の中に流されることだよ。こうなったらもうどうしようもない。そのダイバーは二度と意識を取り戻すことができずに、永遠に他人の夢の世界を彷徨い続けることになるんだ。人間ってのは肉体と意識が離れるとダメらしくってね。漂流者になったら生命維持装置をつけようが肉体の方も四十八時間以内に死んじゃうんだって』

「もっと早くいってくださいよ! そんな恐ろしいこと!」

『ははは。ごめんごめん。でも大丈夫だよ、漂流者になることなって本当滅多にないから。ふへへ』

 よくもヘラヘラ笑っていられるもんだと、エイジは呆れ果てた。きっと〈カフェ・REN〉のマスターも散々この男に振り回されたに違いない。

『よし、じゃあ早速任務を開始しよう。初めてのダイブだし、まずは装備の確認をしてみようか。今エイジ君の格好を教えて』

 エイジは自分の体を見下ろした。エイジにしてみたら簡単なことだが、自分の体を認識するということは意外と難しい。ダイバーにとって他人の夢と自分の意識をはっきりと区別する必要がある。これも夢に慣れているエイジがダイバーに向いているとアキオが判断した能力の一つだった。

「えっと……、服は柿色っていうか茶色っぽいツナギと、黒いミリタリー風のブーツ履いてます。それから腰には道具ベルトをつけてて……、なんだこりゃ? うわっ! け、拳銃! なんか拳銃持ってるんですけど、なんですか、これ!」

『よしよし、装備は問題ないね。あ、大丈夫よ。その銃も必要なやつだから』アキオはいたって冷静に返した。

「必要って……、一体これからここで何が起きるんですか?」

『まあ、その時になったら教えるから。それじゃあ、次はダイ場の様子を教えて。そこはどんな様子なの?』

「う~ん、なんていうか、オフィスビルの長い廊下って感じです。似たようなドアがいくつかありますけど、それ以外は特に何もないかなあ。天井にしみったれた蛍光灯があるぐらいで。なんだか手抜きした夢って感じです」

『そりゃあ、君の夢が手が込んでるんだよ。普通の人の夢の中っていうのはそんなもんさ』

「そんなもんですかね。あ、ちょっと待ってください。今、俺ちょうど廊下の真ん中に立ってるんですけど、右側はすごい鮮明になってるのに反対側はなんだか色が薄いし、霧がかってる感じがします。これも普通なんですか?」エイジが首だけを動かし右と左を交互に見比べた。

『その鮮明になっている方に対象者がいるのさ。反対側の色が薄くてぼやっとしている方は意識の外に続いてる。つまりそっちに行っちゃうとハジかれるから注意して』

「なるほど……、わかりました。それじゃあ、鮮明になっている方に向かいます。まずは対象者を探すんですよね?」

『その通り。 あ、でも注意して!』

 アキオの大きな声に体が跳ね上がる。

「びっくりした……! な、なんですか? 急に」

『ゴメン言い忘れてた。いいかい、エイジ君。君はダイバーとしてそこのダイ場にいるわけなんだ』

「ん? まあ、そりゃそうですね」

『つまり、そこは君の夢の中じゃない。だから、いつものように夢を操作するなんてことは当然できないし、それどころか無茶な行動もとることができない』アキオの声がいつになく低くなる。

「無茶な行動? 例えば?」

『例えば高いところから飛び降りたり、車と衝突したりするとしよう。普通ならびっくりして目が覚めるだけで済むけど、ダイバーはそういうわけにはいかない。ダイバーの意識は現実に起こったものとして肉体に反映されてしまう。ま、簡単にいうとだね、ダイ場で大怪我したら君の肉体にもおんなじくらいのダメージが出てしまうってわけさ』

「じゃあ、ここでもし死んでしまったら……」

『本当に死んじゃうか一生廃人になっちゃうよね。そりゃあ』

 エイジは思わず唾を飲み込んだ。そしてこの仕事を選んでしまったことを少し後悔した。

「じゃあこの前、俺の夢にアキオさんが出てきた時、結構無茶しましたけど、あれって危険でした?」

『あ! そうだよ! あん時はマジで殺されるかと思ったよ! 本気で逃げてたからね、僕は!』

「いやあ、すいませんでした。あの時はつい熱くなっちゃって……。あ、でもアキオさんも俺のこと撃ったじゃないですか!」

『それは誤解だよ! 僕が撃ったのは君の後ろにあった建物の窓ガラス。エイジ君のダイバからハジかれるにはそれしかなかったから』

「本当ですかぁ?」

『信用されてないなあ。……まあいいや。早く対象者を探そう。ぐずぐずしてるとノンレム睡眠期に入っちゃうよ』

 エイジはアキオに促され、対象者を探すことにした。といってもそれは難しいことでは無かった。対象者のダイ場の構造はとてもシンプルな作りになっており、複数ある扉のほとんどがダミーで、開くことのできるドアはたった一つだったからだ。おそらくそのドアの向こうに対象者はいるらしい。

「対象者はこの向こうか……。それじゃあアキオさん、入りますよ」

『わかった。 レム睡眠期だからそんな危険はないと思うけど、十分注意して』

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