第9話

「失礼します」と言いながらアキオが部屋に入る。エイジもそれを真似して「失礼しますっ」と言いながら頭を下げ、部屋に入った。

 部屋の中は驚くほど広かった。エイジの住んでいる部屋がゆうに五つは入るほどの広さの真っ白な部屋の奥に、アンティーク調の木製のデスクと一人の女性がポツンと座っていた。

「お疲れ様です、所長。今度入る新人君を連れて来ました」

「あ、あの、初めまして。不二沢エイジと言います。よろしくお願いします!」

「初めまして。ここDSAレンダイ支所の所長を務める佐藤チカコです。ごめんなさいね、規則で名刺の類は一切ないのよ」

「あ、いえいえ、お構いなく……」

「ふふ。あなたがエイジ君ね。もう高野君ったら昨日からあなたの話でうるさいの。絶対にスカウトするんだって言って聞かないのよ」

 DSAレンダイ支所の所長、チカコはエイジよりかなり年上だった。三十以上は確実に離れているだろう。おまけに肩ぐらいまでの高さにカットされた髪は灰色で余計に老けて見える。だが肉感的と言えるほど肌には張りがあり瑞々しく、おまけに組んだ手の人差し指同士をくるくると回すしぐさが艶かしく色っぽい。

「それで所長、今後についてですが、承認さえしてもらえればすぐにでも正式にうちの職員として働くってことで進めてもらいたいんです」

「高野君のお墨付きならやっていけそうね。わかったわ。それで承認を出しましょう。研修の方はどうするの? やっぱり最低三週間ぐらいは必要かしら?」

「いえ、はっきり言って必要ないですね。僕はもういきなり実戦でも十分通用すると踏んでます」アキオがエイジの肩をパンパンと叩いた。

「えっ! いくら何でもそれは無茶でしょう。いきなり実戦だなんて。そんなに急ぐこともないんじゃない?」チカコは顔をしかめた。

「いや、問題ないと思います。彼の適応能力は尋常じゃないんですよ。感覚偽装だって見破りますし、昨日なんか僕を捕まえたんですよ? 長いことこの仕事やってますけど、こんなこと今までで一度だってありませんでしたよ。いや、普通ならあり得ません」

「……それ、本当なの?」チカコは目を大きくしてエイジの顔を見た。

「もちろんですよ! とんでもない逸材です。だから研修訓練で下手に感覚を狂わせたり、妙な癖をつけたくないんです。彼の場合、本番で慣れて行った方が自然でいいと思うんですよ」

 エイジはアキオとチカコの顔を交互に見ながら、ただ黙って聞いていた。なんだか自分の頭を飛び越えて話が進んでいる。

「……そうねえ。それならいきなり本番でも全く動けないということはないでしょうね。わかったわ。やり方は高野君に一任します。その代わり、任務の続行が不可能と判断したら迷わずハジかれるように指示を出すこと。何だったらセーフティバックを使用してもいいわ。それから研修訓練を飛ばすならしっかりとレクチャーするのよ。分かったわね?」

「了解しました! 任せてくださいよ」

「あなたの任せては今ひとつ信用できないのよねえ。……それでは不二沢エイジ君?」

「は、はいっ!」慌てて返事をしたせいで思わず声が上ずった。

「正式にあなたをDSAレンダイ支所の職員として採用いたします。これからの活躍に期待しているわ。ぜひ頑張ってください」

「ありがとうございます! こちらこそよろしくお願い致します!」エイジは新兵のように、力を込めて頭を深々と下げる。

「それでは失礼します」と二人はだだっ広い所長室を後にする。

 緊張の糸が切れ、エイジの身体中からどっと汗が湧き出す。

「ははは。そんなに緊張した? 大丈夫って言ったじゃない」

「いや、そうなんですけど……。リラックスなんて出来ませんよ。でもこんなにもあっさりと就職が決まるなんてなあ。なんだか拍子抜けっていうか……」

「それだけ新しい人材を確保するのが難しいってことさ。ま、それは置いといて。エイジ君がこの先働いてもらう職場を紹介しようかな。じゃあこっちの部屋ついてきて」

 アキオは所長室から見て右側にある部屋のドアを開けた。今度の部屋は手動になっており、取っ手を握り、扉を右から左へとスライドさせた。

 中に入ると照明が自動でパッとついた。広さは八畳ほどだったが、先ほど所長室を見たせいか狭く感じる。

 部屋の中央にはアルミ製のベッドのようなものが設置されていた。ベッドの奥にはデスクが置かれ、その上にコンピューターやらモニターがいくつか乗っている。よく見るとコンピューターとベッドは何本かのケーブルで繋がっていた。

「ここが君の新しい仕事部屋さ。睡眠感覚監視制御室、僕たち職員は『ベッドルーム』って呼んでる。エイジ君はこのベッドルームから対象者の夢に潜入して、監視や安全維持の任務をやるってわけ。やり方はいたってシンプル、ただ眠るだけさ」

「ということは、このベッドみたいなやつの上で寝るってことですか?」

「うん。そういうこと、そういうこと。正式名称は忘れちゃったけど、みんな『シンクベッド』って呼んでるかな。なんだか硬そうなベッドだけど、これが意外と寝心地がいいんだよ」

「この病院のストレッチャーみたいなベッドが?」

「なんでも有名なデザイナーが作ったらしくってね。人間工学に基づいて設計されているって話だけど。まあ、本番になったらわかるよ」

 つや消し加工された銀色のベッド。ベッド自体の厚みは数センチほどで、全体に拳ほどの大きさの穴が規則的に並んでいる。まるでてんとう虫の背中ようだった。エイジはベッドの表面を指でそっと撫でてみる。手触りは予想していた通り、硬く冷たく表情のない金属そのものといった感じだった。

「基本的には二人一組で任務を行うんだ。実際に対象者の夢に潜入する『ダイバー』ってポジションと、そこのデスクに座ってダイバーをサポートする『オペレーター』ってポジション。今後は君がダイバーで、僕がオペレーターってわけ」

「ダイバーとオペレーターですか。……なんかカッコイイですね」

「でしょでしょ? そんで、任務を無事に遂行させるためにはそのダイバーとオペレーターとの連携がすっごい重要になってくるんだ。ダイバーは夢の中で変わったことがあったらすぐにオペレーターに報告して、オペレーターは対象者に変化が起きたらすぐにダイバーに連絡をするっていうことが大切なの」

 エイジはアキオの話を聞いて訝りながら首を傾げる。

「んー、連携が重要っていうのはわかるんですけど、連絡ってどうするんですか? ダイバーは眠ってるわけですよね?」

「特殊な無線機みたいなのがあるんだよ。それを使ってやりとりするのさ」

「それじゃあ夢の世界にいながら現実の人と会話ができるってことですか?」エイジは思わず目を見開いた。

「そうだよ。すごいだろ~」アキオが誇らしげに胸を張る。そして部屋の隅っこに置かれた冷蔵庫ほどの大きさの鉄の箱を指差した。鉄の箱からはいくつものコードが伸びてシンクベッドに接続されている。

「あれを見てよ。あのでっかいコンピューターがそれを可能にしているのさ。DSA特製の睡眠感覚汎用処理装置、『ピロウ』。ピロウのおかげでオペレーターとのやりとりを可能にしたり、ダイバーの負担を軽減してくれたりするんだ。それから危険度の高い対象者を優先的に自動選定したりするのもピロウの機能の一つだね。実は国内のいたるところにアンテナが設置されててさ、人間から出てる脳波を拾ってんの」

「とんでもないコンピューターだな……。こんなもんが今の時代にあるなんて信じられないですよ」エイジはしげしげとピロウを眺めた。アキオの言った夢に関しては現代医学よりずっと進んでいるという言葉は嘘ではないらしい。

「確かにすごい代物だよ。ピロウが出来てから、格段にDSAの成果はアップしたからね。それまでは任務の成功はダイバーの能力が全てだったっんだ。だから人材の確保も今よりもずっと大変だったみたい」

「そういう機械も無しに一体どうやって他人の夢に入るんですか?」

「ダイバーが直接脳波を他人にシンクロさせるのさ」アキオが自分の頭をツンツンとつついた。

「そんなことが可能なんですか?」

「可能性はゼロじゃないかな。でも並のダイバーにはとても無理だよ。はっきり言って超能力の一種みたいなもんだと思うよ」

「昔のダイバーはすごかったんですね。ところで今更ですけど、そもそもなんでそんな大変な思いをしてまで人の夢に入る必要があるんですか? 別に悪夢くらい、誰だって見るもんだし……」

「いやいやそれがさ、実はそんな単純なもんじゃないんだよ。人の夢の中っていうのは」アキオはシンクベッドによっこいせと腰をかけた。

「これからちょっぴり難しい話をしよう。人間が見る夢にはレム睡眠とノンレム睡眠があるっていうのは知っているかい?」

「まあそのくらいは。昔からうまく眠ることができなかったんで、その手のことは自分でも色々と調べましたから」エイジは頷きながら答える。

「なら話は早い。簡単に言うと眠りが浅いレム睡眠時に脳の記憶から作られたストーリーっていうのが一般的に知られている夢だよね。はっきり言ってこの夢の内容がどんなものでも別に問題じゃない。それこそ悪夢だったとしてもね。それよりもずっと問題なのはノンレム睡眠の方さ」

「ノンレム睡眠……。よく言う深い眠りってやつですよね?」

「その通り。一般的にはノンレム睡眠時には夢を見ていないって言われてるけど、そんなことはないんだ。ちゃんと夢を見ている。本人に自覚は全くないけどね。これがまた、厄介な話でさ。ノンレム睡眠時に見る夢っていうのは記憶された過去の経験から次に何をすべきかの行動や思考を決めてしまうんだ。例えば朝起きて、今日は学校やアルバイトに行きたくないからサボっちゃえ、ってときない? そういうちょっと魔が差したっていう現象はほぼノンレム睡眠時に見た夢が原因だね」

「……そんな話、初めて聞きました」

「これもDSAの人間にしか知らないことさ。でも事実だよ。だいたい人間の行動や思考の九割はノンレム睡眠時の夢に影響を受けているらしい。そして中にはその夢がとても危険な内容だったりする場合がある。衝動的な自殺や殺人を促すようなね。そしてその夢を自覚することができないから理性も働かないし、自分で抑制することもできない」

「……あっ、そうか!」エイジは何かに気づき、パッと顔を上げる。アキオはそれを見てニヤリとすると、シンクベッドからポンと飛び降りて、エイジの肩を軽く叩いた。

「わかったみたいね。そう。そんな危険度の高い夢をピロウが自動で選別し、我々DSAがその危険を取り除いたり、安全を維持するって寸法さ。まあ、その詳しいやり方は本番の時にレクチャーするね」

「わかりました。……でもスゴイ話ですよね。人の夢の中に入って安全を守るなんて。それこそ夢みたいな話じゃないですか」

「普通はそう思うよね。でもイギリスの方はもっとスゴイ。歴史も古いし、規模も大きいしさ。向こうは今ではテロ対策としての意味合いが強いけど。危険思想を持つ人間を見つけ出したり、テロリストの動向を探ったり監視してるんだってさ。残念ながら日本はそっち方面にまで手を出す余裕なんてないみたい」

「さらに上をいってんのか……。そういえば、ここがDSAレンダイ支所ってことは日本には他にもいくつかDSAの支所が存在してるってことなんですか?」

「ああ、ゴメン。言い忘れてた。君の言う通り、日本には他にもDSA支所があるよ。え~っと、確か全部で十三か、十四だったかな? ここから一番近いところは隣町にあるDSAテンマ支所だね」

 その後、アキオに施設内を一通り案内してもらい、再び立体駐車場の入り口の前に戻ってきたエイジとアキオ。すでに日は傾きかけ、鮮やかなオレンジ色の光が空一面に広がっていた。

「すっかり遅くなっちゃったね。ゴメンね、随分と時間を取っちゃって」アキオがエイジにペコリと軽く頭を下げた。

「いえ、全然大丈夫です。どうせ大した用事もなかったし。それよりもこれから働く職場のことを早めに見れて良かったですよ。……それで俺の睡眠障害はどうやって治してくれるんですか? これからDSAに入るにしてもこのままそのダイバーの仕事するのは難しいと思うんですけど」

「ああ、潜熱病? 大丈夫。その病気はダイバーの仕事をやれば一発で治るよ」

「本当ですか? ただ仕事をやるだけで?」エイジは眉間にしわを寄せながら首を傾けた。

「うん。潜熱病は睡眠感覚能力が抑圧されて起こるもんなの。だからその能力をきちんと正しく使えば解消されるよ」

「そんなもんですか……」

「うん、そんなもん。君のダイブ執行権の発行や登録手続きがあるから仕事は三日後からスタートだ。さあて、僕はこれから軽く仮眠とるよ。エイジ君が来るまでは僕もまだ一応ダイバーだしね。それじゃあ、お疲れ! 気をつけて帰ってね」

「お疲れ様です。失礼します」

 日が沈み出して、街に灯りがともり出す。仕事帰り、学校帰りの人々が忙しなく行き交っている。なんでもない日常の風景だが、今までとは違って見える。なんの変哲も無い一つ一つが少しだけ鮮明に感じた。

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