第7話

「まずは僕が何者かっていうことから話すね。僕は『DSA』っていう組織に所属しているんだ。あ、組織って言っても秘密結社とか、そういう怪しげなところじゃないよ。れっきとした日本政府の、執行機関に所属しているとこなんだ。平たく言えば警察の親戚みたいなもんかな」

「ディー・エス・エー……? そんなの聞いたことねえけど……」エイジが訝しがりながら尋ねる。

「そりゃ公にはされていないからね。同じ執行機関の、例えば警察とか自衛隊の人間でも『DSA』のこと知っているのなんて、ほんの一握りだよ。あ、『DSA』は睡眠感覚安全維持庁、Dream Safe maintenance Agencyの略ね。長ったらしくて言いにくいから頭文字とってDSAってわけ。あ、ちょっとごめん。マスター、コーヒーもう一杯! アメリカンね、アメリカン」

 アキオがコーヒーを注文するのを見て、飲むのをすっかり忘れていたブレンドコーヒーを慌ててすする。芳醇で香ばしい香りと味が口いっぱいに広がり、喉の奥へと流れていき、熱気と余韻が鼻から抜けていく。苦味の中にほのかな酸味。思わずくせになりそうな苦味。砂糖とミルクを入れないで正解だと思った。

「それでね、その僕たち『DSA』が何をするかっていうと、簡単に言えばみんなの夢の治安を守るって感じかな。夢の世界の警官みたいなもんだね」

「え、何? 夢の世界?」

「そう、夢」

「…………………………」

 あまりにも突飛すぎる内容にエイジは思わず黙り込んだ。『DSA』だの、夢の治安を守るだのと、まるで現実味がない。この男は自分をからかっているのだろうか? それとも本当に頭がどうかしている人間なのかもしれない。

「あんたさあ、はっきり言って頭飛んでるわ。ありえねえだろ。そんなもん昔っからあるSF映画のネタじゃねえか。馬鹿馬鹿しい」エイジが付き合ってられないと席を立とうとすると、アキオはクスクスと笑いながら話を続けた。

「ハハッ。まあ信じられないよね。わかるよ。でもさ、僕が言ったことが単なるデタラメや妄言なら、エイジ君の夢に僕が出てこれたっていうのは説明がつかないだろ? 僕たち『DSA』は、他人の夢に入り込むことができる技術を持ってるんだ。それを使って君やいろんな人の夢に入り込んでいるわけ。あ、これもちろんトップシークレットだから。他の人には内緒ね」

 エイジはマスターの方をちらりと見た。

「あー、マスターは大丈夫。彼も元『DSA』の職員だったから。だいぶ前に退職して、ここのお店やってんの。実はさ、この店すごいのよ。心理学に基づいて人の意識の隙間を突くような造りになっててさ、こんなに堂々と店を構えているのに、普通の人はまず気づかない。エイジ君も今までこんな店が建ってたなんて全然気づかなかったでしょ?」

 そういえば、とエイジが目だけを動かし店内を見渡す。

「実は昨日の夢の中でさ、最後にここに来るように言ったんだ。それはさすがに覚えてない? そんな風に誰かに教えてもらうか連れてってもらわない限り、この店には来れない。意識を向けないとね。ぶっちゃけここは『DSA』職員専用の喫茶店よ。隠れ家みたいでなんかいいでしょ? マスターは色々と苦労してるみたいだけどさ」

 聞いているのかいないのか、マスターは相変わらずカウンターの奥でアキオの注文したコーヒーをカップに注いでいる。

「でも、どうして世間に隠す必要が? そこがまた胡散臭いんだよな」エイジは腕組みしながら眉間にシワを寄せる。

「僕らの存在を意識されると夢の世界で行動しにくくなるのよ。エイジ君みたいに夢の中で僕らに気付かれちゃうと追い出される危険性が一気に増えちゃうんだ。『DSA』という組織がいるっていう情報が頭の中にあると、その可能性が高くなるの。それに絶対にプライバシーがどうの騒ぎ出す人間が出てきちゃうだろ? 何せ自分の夢の中を覗かれちゃうわけだから」

「まあ確かにそうか……」エイジは小さく呟いた。他人が自分の夢を見られて気にならない人なんてまずいないだろう。

「ね? 公表するデメリットはあってもメリットなんて何にもないし。だったら最初から黙っとけばいいって話よ」

 アキオが右手の人差し指を口元に近づけ、内緒のポーズをとる。その時、マスターがお盆にアメリカンコーヒーを載せてやってきた。

「おっ、きたきた。う~ん、朝はやっぱりアメリカンに限るねえ」持ってこられたコーヒーに早速口をつけるアキオ。淹れたて熱々のコーヒーを特に冷ますこともせずに美味そうに目を細めながらすする。

「その『DSA』っていうのがあるっていうのは分かった。なんとなく。でも何で俺の夢に? 夢の治安を守るって、俺の夢、なんかやばいことでも……」

「まあ、そこが一番気になるよね。君の夢に出てきたのは単にスカウト目的。通常はは人材を補充するときは同じ執行機関の人間から採用するんだけどさ、そんなの優秀な人間なんてそうそう見つかるわけないじゃん。だから君だけじゃなく、いろんな人の夢に入っては才能がある人間がいないか探してたってわけ。うちの支部に後任の人材が欲しくてね。見てよこれ」

 そういうとアキオは左肩をぐいっと前に突き出した。左腕は力なくぶら下がり、かすかにゆらゆらと揺れている。

「僕の左腕、全然動かないんだよね。二年前の事故でさ。今まで何とか仕事続けてたけど、さすがに限界感じてね。新しい人見つけて、いい加減に現場職から身を引いてサポートに回ろうかと思って。それで色々さがしてたら君を見つけてさあ、びっくりしたよ! 睡眠感覚能力がずば抜けて高いんだもん!」

 エイジは「ふ~ん」とそっけなく返したが、ここ最近誰かに褒められたことがなかったせいもあってまんざらではなかった。

「それでエイジ君は今なにやってんの? お勤めさん? それとも学校行ってるとか?」

「一応アルバイトを……、あ、今は無職か」

「ふうん、そうなんだ。なんかやりたい事とかあるの?」

「特には……。とにかく就職できればなんだって」

「じゃあさ、うちで働きなよ! 公務員だから、待遇も色々といいよ。アットホームで働きやすい職場だよ、ウチは」アキオが口を開けて笑った。

「う~ん、せっかくだけど、ちょっと俺には無理っていうか……」エイジは肩をすぼめた。予想外の返答にアキオは思わず目を丸くする。

「ええっ! 何言ってるのさ! 君ほどの適任者はいないっていうのに。給料だってその辺の会社員よりずっといいはずだよ。いろんな手当もつくしね。一体何が不満なのよ?」

「不満とかの話じゃなくて……。実は俺、病気があるんですよ。なかなか職に就けないのもその影響が大きいっていうか……」エイジが頬を掻きながら乾いた笑いをこぼした。

「そうだったの……。それ、ちなみにどんな病気なの?」アキオが申し訳なさそうに顔を少し伏せながら上目遣いでエイジを見た。

「睡眠障害の一種で……。どうも夢の中で脳みそに負担をかけてるみたいなんですよ」

「あ、なーんだあ。【潜熱病】ね! 今時珍しいね」話を聞いた途端、アキオが明るい表情で顔を上げた。

「なんすか? その【センネツビョウ】って? 何か知ってるんですか?」

「うん。僕らの間じゃ有名だよ。さっき言った睡眠感覚能力が高いと起きやすい症状だね。力の逃げ場がないから意識していない夢にまで影響が出てくるんだよ」

「その話本当なんですか? 五年間カウンセリングや治療受けてきましたけど、そんなこと初めて聞きましたよ」

「そりゃそうさ。普通の医者がそんなこと知ってるはずないもん。僕に言わせれば夢については素人みたいなもんだね」アキオはそういうとコーヒーをゆっくりと啜った。

 エイジは思わずムッとした。なんだか自分の信頼している佐久間を馬鹿にされたような気がした。

「素人って……! 俺の担当する先生は睡眠医療認定医っていう睡眠に関するプロなんですよ! その中でも特に優秀な……」

「いやいや、その医者がどうこうって話じゃないんだ。現在の医療の技術や知識自体、夢に関しては全然遅れてるんだよ」アキオは手を左右に振りながら苦々しく笑った。

「……それじゃあDSAは今の医学よりもずっと進んだ知識や技術を持ってるっていうんですか?」

「夢に関していえば比べるまでもないね。別に自慢するつもりはないけど」アキオはなんの臆面もなくサラリと言ってのけた。

「だからこそ君が長いこと苦しんでいる【潜熱病】についても解決できるんだよ。簡単にね」

 エイジは黙り込んだ。アキオの言うことがもし本当ならば、長いこと患っている睡眠障害をなんとかしてくれるのはDSAだけかもしれない。

「本当に、本当に治せるんですね?」エイジは睨みつけるかのように力強く、まっすぐアキオを見つめた。

「治る治る。任せなさいって」

「……わかりました。やる、やります。是非お願いします」

 まさに藁をも掴む思いだった。ほんの少しでも長年の悩みを解決できる望みがあるのならば、例えうさん臭かろうがなんだろうが目の前の男の話に賭けてみるしかない。エイジは拳を強く握った。

「うおっ! マジで? 本当に? いや~助かるよ! あ、そうだ! この後時間あるかな?」

「この後、ですか?」

「うん。せっかくだからエイジ君がこれから働く『DSA』がどんなところか案内しようと思ってさ。そんなに時間はとらせないよ。そんな広いところでもないし」

「大丈夫です。お願いします」

「よし、そうこなくっちゃ」

 エイジはカップに残ったコーヒーを一気に飲み干した。

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