迷宮はかくありなん⑧
……覗いた先は、暗かった。
人ひとりが通れるほどの通路は湿った空気と甘ったるい臭いに満ちている。
別段鼻が利くわけではなかったが、なぜかクロートの鼻は、ガルムは感じないというこの臭いを嗅ぎ分けることができた。
危険を察知できる点ではありがたいが、正直、クロートにとってあまり嗅ぎたいものではないし、本来であればこの先に進みたくはない。
けれどこれは【
彼は、宝箱を設置するなら最奥地と決めていたのである。
とはいえ、奥のほうは目を凝らしても闇に閉ざされていて、なにかがこちらを窺っているのではないかと思えるほど不安な気持ちにさせる。
クロートはそこで違和感に襲われて、少しだけ身を引いた。
振り返れば広い部屋にはいくつものヒカリゴケが柔らかな光を放っており、巨軀のガルムと、不安そうにしているレリルの姿がある。
それを見て、クロートはすぐに違和感の正体に気が付いた。
――なんで、『暗い』んだ? ここはヒカリゴケの洞窟なのに……苔がひとつもない通路なんて、おかしいだろ!
「父さん、なんか変だ。真っ暗なんてあり得ない」
「真っ暗だと?」
クロートの呻くような言葉に、ガルムはすぐに反応する。
彼はすぐさま腰に掛けていたランプに火を灯し、通路を照らした。
しっとりと湿った壁はぬらぬらと光を反射させるが、やはり奥まで照らすことはできない。
「……あれ? ……足下、なにか光ってる」
そのとき、一緒に通路を覗き込んだレリルが不思議そうな声を上げた。
クロートはそれを聞いて、足下にちらちらと瞬いているもののひとつを注意深く拾い、手のひらに転がす。
「これ……核か?」
小さな黄色い欠片は、歪な形をしている。
レリルが一緒に手元を見て、深々と頷いた。
「キャタプの核だね。さっき拾ったのとそっくり」
「……キャタプの? いや、でも……『こんなに』あるの、おかしくないか?」
クロートは、ガルムが掲げるランプに瞬く破片たちを見回した。
それは、細い通路の床部分にほとんど隙間なく転がっていたのである。
ここまで人が入った痕跡は見られなかった。万が一痕跡を見逃していたとしても、駆け出しが放置するには多すぎる量だろう。
キャタプのリスポーンには一日二日はかかるはずで、わざわざ待って狩るとも考えにくい。しかも、それだと苔がない理由に説明がつかないのだ。
ではそもそも、これだけの数のキャタプかいたとすれば、それは――。
「まずいな。マナレイドか……!」
ガルムが最初に、その考えにたどり着く。
クロートとレリルは、眉を寄せ、唇をぎゅっと結んだ。
『マナレイド』とは、そこにたゆたうマナが突然増える現象を指す。
基本的には難易度が高い迷宮のほうがマナが濃く、マナが濃いほど生息する魔物の個体数が多かったり強かったりする。
つまり、マナレイドでは魔物が異常発生――大量発生や、強力な魔物が発生――してしまうのだ。
マナレイドが確認されることは稀ではあるが、巻き込まれた場合、危険度が格段に上がることは想像に難くない。
熟練の冒険者でさえ迷宮攻略を続けるか否かの選択に迫られ、諦めてしまうことが多いのも事実だった。
そして、マナレイドでは【レイドボス】が発生する場合もある。
レイドボスというのは迷宮の長ともいえる凶悪な魔物を指し、マナレイドでしか発生しない。しかも必ず発生するわけではないため、マナレイド以上に情報が少なかった。
さらに、レイドボスがリスポーンするには再び同じ場所でマナレイドが起こらなければならないと言われているため、希少価値の高いその核は破格となり……狩ればまさに一攫千金とも言われている。
少なくともいまの状況から、キャタプが大量発生したのは間違いない。しかもそれがすべて結晶化しているとなると……。
「まさかレイドボスがいるのか……?」
呟いたクロートは、ガルムの答えを待った。
クロートの手には嫌な汗が滲んできており、思わず太ももの両脇でそれを拭う。
「そうだな、可能性は高い。……しかし、ヒカリゴケの洞窟でマナレイドとはな……残念ながら俺はなんの情報も持ってねぇぞ」
ガルムがそう言ったので、クロートはぐっと喉を詰まらせた。
情報がないのは冒険者にとって危険な状況である。
たとえば毒を吐くレイドボスであれば、毒対策がなければ相手をすることは難しいだろう。
――宝箱を設置すれば仕事は終わりのはずだけど、さすがにここで
クロートはそう考えて、意を決した。
「……父さん。奥の様子も見に行きたい」
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