迷宮はかくありなん⑦

 とにかく、集中が必要だ。

 

「……右のやつ、お願いするな」


 直視できず横目でレリルを見ながら、クロートはそう告げる。


 左のキャタプのほうが少しだけ奥にいたので、せめてもの気遣いのつもりだった。


「うん、わかった」


 その指示に、レリルはすぐに反応して左手の弓を消すと、再び両手を前に出す。


「――収束ッ!」


 光が集まり彼女の両手に現れたのは……短めの剣と、小型の盾。


 クロートは直視できない気持ちなどすっかり忘れて思わず振り返り、愕然とした。


 ――弓だけじゃなく、剣に……盾まで出せるのか!? なんだよそれ、強すぎるだろ!


「行くぞクロート。話はあとだ」


「う、わ、わかってる!」


 ガルムに言われ、クロートは慌てて意識を引き戻す。


 ――集中しろ、集中しろ、集中だっ!


 心のなかで反芻し、クロートはガルムに続いて踏み出した。


 身を屈め、ヒカリゴケを蹴り飛ばすようにしながら一気に右の壁――そこにいるキャタプへと走る。


 中央はガルムの大剣を振るえるだけの空間があるが、無闇に飛び出すのは邪魔になるだけだ。


 壁に沿うように駆け抜けるクロートは、自身の使い慣れた長剣を右下に構えながらぐんぐん加速する。

 

 敏捷を活かした戦闘がクロートの持ち味であり、その動きはなかなかさまになっていた。


 ズダンッ!


 一体目を屠るガルムの大剣の音が耳朶を打つころには、クロートも目標の前へと迫っている。


 食事を邪魔されたことを感じとった柔らかそうな芋虫型の魔物は、その丸々した体には不釣り合いなほど小さな頭――クロートの拳ほどしかない――をもたげ、体をぎゅっと縮めた。


「遅い!」


 瞬間、踏み切ったクロートは自分の速さを乗せた刃を壁すれすれに振り上げる。


 ――取った……ッ!


 閃く剣はなんの迷いなくキャタプを捉えたが――。


 柔らかい体には思いのほか弾力があったため、叩きつけられた剣がキャタプを弾き飛ばしながら真っ二つに切り裂く形となってしまった。


「げ……やばっ!」


『ピギャ――ブシイィィッ!』


 断末魔を上げるキャタプの肉片と粘着質の糸が反動で撒き散らされ、こともあろうにその塊の一部がレリルへ向けて落下していく。


 クロートは剣を振り上げた勢いをそのまま使い、体を捻るようにして踵を返す。


 しかし、間に合うはずもなく……。


「あ……レ――」


「きゃあっ!」


 思わず出かかった言葉は、すべてを発音する前にかき消されてしまった……。


 キャタプの肉片と糸はレリルが咄嗟に掲げた左上腕部の盾に衝突して弾け、彼女は左腕をその粘着質の糸に絡め捕られて呆然としている。


「…………」


 絶句する彼女の右手の刃が、すでにもう一体のキャタプを頭から貫いたあとだったのは幸運だ。

 

 大事に至らなかったことにクロートはほーっと息を吐き出し、剣を下ろした。


 大剣を武器とするガルムと行動していた彼にとって、レリルとの距離感はいつもよりずっと近い。


 こんなことになるとは露ほどにも思っていなかったのである。


 とはいえ、クロートの行動は彼女を危険に晒すには十分なものだ。


 ここは迷宮であり、僅かな失敗が死を招く。


「……あの」


 さすがになにも言わないわけにはいかない。


 クロートは剣を収めておずおずとレリルに近付いたが、レリルのほうは左腕を振って盾を消し、クロートに向かって困ったような笑顔をみせただけ。


 盾と一緒に肉片と糸もマナとなって消えたが、核はどこか別の場所に落ちてしまったようだ。


 レリルの右手の刃に貫かれたキャタプも核へと変わり、彼女は剣も消すと、ヒカリゴケの上に音も立てずに落ちた小さな核を拾い上げた。


「おい、大丈夫かー?」


 そこに、いつのまにかキャタプ三匹を片付けたガルムが、大剣を背負い直しながら聞いてくる。


「はい! どんどん行きましょう!」


 レリルはそれに答えると、一瞬だけクロートをちらりと見て踵を返してしまった。


「あ……」


 上げかけた右手では、彼女を止めることもできず。


 クロートは所在ないその手を力なく下ろす。


 ――俺、最低だ。ちゃんと謝らなきゃ……。


 入ってきた通路から見て左奥、細い通路へと向かうふたりを追いかけながら、クロートはレリルにかける言葉を探した。


 しかし……ふわりと。


 鼻先を掠めた臭いに、彼は謝ることを忘れて立ち止まる。


「おいクロート。早く……うん? どうした?」


 ガルムがクロートの様子に気が付いて、通路の手前で足を止めた。


 すぐ横のレリルも不思議そうな顔をして、同じようにクロートを振り返る。


 クロートはうっすらと流れてくるその『臭い』に眉をひそめた。


 花と草を混ぜ合わせて煮詰めたような――くらくらする、酷く甘ったるい臭い。


 クロートにとって、この臭いは初めてではなかった。


 しかし、感じた場所でいいことが起こったためしはない。


 だから彼は迷わずガルムに告げた。


「臭い――なんか、嫌なやつだ、父さん」


「なんだと? こんな場所でか?」


 ガルムもクロートがそう言ったときには必ずよくないことが起こると、経験上はっきりと確信していた。


 すぐに背中の剣の柄に右手を沿えると、慎重に周りを見回し、足場を確保する。


 レリルは首を傾げたが、ふたりの【迷宮宝箱ダンジョントレジャー設置人クリエイター】の物々しい雰囲気を感じ取って臨戦態勢――すなわち、いつでも武器を生み出せるような警戒の姿勢だ――を、取った。


「……ここじゃない。奥からみたいだ」


 クロートは前に出ると、細い道の奥をそっと覗き込んだ。

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