迷宮はかくありなん⑥

******


 クロートは剣を抜き、壁際に身を寄せた。


 一本道の奥、少し開けた場所に何体かのキャタプが見える。


 魔物たちは食事中で――ほぼ四六時中食事中なのだが――こちらには全く気付いていないようだ。


 もそもそと小刻みに震える柔らかそうな体は、苔と同じ色に光っていた。


 慎重に近付いて部屋を窺うと、床に三匹、右の壁に二匹の、合計五匹のキャタプが確認できる。


 左奥には細い道が口を開けていた。


(よし……五匹ならなんとかなりそうだな。殲滅しよう)


(うん、わかった)


 判断を下したクロート。


 しかし応えたのがレリルだったので、彼は一瞬、意味もなくもぞりと身動いだ。


 彼女の前では初めての戦闘だからか、全身が強張っている。


 歳の近そうな少女に見守られながら戦ったことなど一度もないクロートにとって、この状況は落ち着かないのだ。


 当のレリルは落ち着いた様子で、クロートの隣に陣取っていた。


(えと……君……は、下がってて。父さん、頼む)


(なんだ、手伝っていいのか?)


 にやにやするガルムに、クロートは口を尖らせる。


 ――なんだよ、付いてきたのはそっちだろ……。


 悪態のひとつでも言ってやろうとしたものの、クロートはすぐに思い直して頷いた。


(油断禁物。使えるものは使う。働かざる者食うべからず!)


 ガルムはその言葉に笑い声をかみ殺して、拳を控えめに掲げ、了承した合図を送る。


 それは迷宮攻略をこなす者――つまりは冒険者として大切だと、ガルムからクロートへと教えてきたことだ。


 いうなれば、家訓といったところか。


 強くなれば、多少なりとも傲りのようなものが生まれる。それは容赦なく冒険者の命を奪うものであり、彼らが戦わねばならない敵のひとつでもあった。


(……えっと、私は戦わないほうがいいの?)


 そこで、レリルが困ったように眉尻を下げ、聞いてくる。


 クロートは彼女を見て、逆に困惑した顔で囁いた。


(え、だって……武器持ってないよな?)


 ……そう。レリルは、ぱっと見たところなにも持っていない。


 いまもその両手は自由に動かせる状態であり、柔らかそうな手の皮膚からも、まさか素手で殴るなんてことは考えられない。


 すると、彼女は納得したような……それでいて驚いた顔をして、後ろのガルムを振り返った。


 ガルムは無言で肩をすくめて返し、レリルは反対に肩を落とす。


(……なんだよ?)


 ふたりのやり取りにもやもやして思わず聞いたクロートだったが……次の瞬間……不意に前に出てきたレリルが左手を上げた。


「――収束」


 その瞬間の光景を、いったいなんと例えればいいのだろう。


 紡がれた彼女の言葉に、マナが絡まって引き寄せられたかのようだった。


 レリルの瞳に似た黄みがかった翠色を帯びる淡い光が、みるみるうちに彼女の左手に『なにか』を収束させていく。


「嘘……だろ」


 小声で話すことも忘れ、クロートは呟いた。


 レリルはちらりとクロートに目配せして、左手に握った『それ』の中心あたりに右手を沿えると、まるで弦を引くような仕草をしてみせる。


 そこに光の矢がするすると描かれていき……今度こそ、クロートは絶句するしかない。


 ――マナの光から生まれた、武器……?


 それは、蔦が絡まり合うような繊細な細工が施された、彼女の半分ほどはあろうかという大きさの弓だった。


 マナから生成されたのだとすれば、それは魔装具まそうぐだ。


 ――しかも自分で作ったってことは、つまりマナ術なわけで……。


 混乱したクロートに、レリルは今度こそ悪戯っぽい笑みを浮かべ、右手を放す。


「……ふっ!」


 シュッ……!


 気合とともに放たれた矢は一直線に飛んでいき――。


 ドスッ! 


「あ……あれ?」


 彼女の少し間の抜けた声とともに、床に蠢いていたキャタプのすぐ横に突き刺さった。


「……」

「……」


 しばし無言で見詰めあったふたりだったが、レリルはえへへと笑うと弓をちょっと掲げてみせる。


「弓での攻撃は、その、まだ練習中なんだよね。当たるかは五分五分……かなー」


「えぇ……」


 思わず声を上げてみたが、驚きはまだクロートの胸をいっぱいにしており、興奮は冷めない。


 すっかり気を抜いた彼らの首根っこを、ガルムが後ろからむんずと掴んで引いたのはそのときだ。


「きゃあ!」

「うわ!」


 ブシーッ!


 ふたりが立っていた場所に、白く煙る靄のようなものが飛んでくる。


 キャタプの吐いた糸だと理解したときには、頭にゲンコツが落とされていた。


「……痛ッ!」

「……ッう、ぐ!」


「馬鹿野郎。こんなところで雑魚相手に死ぬ気かお前らは」


 レリルとクロートは咄嗟に空いている手で脳天を擦る。


 声は坦々としていたが、ガルムの拳は容赦がない。


 ……キャタプはすぐに食事に戻ったようで、追撃はなかった。


「まったく……クロート。レリルは【監視人】だ。なにかあったらお前を処刑する。――だけどな、なにもなけりゃお前の一番の仲間なんだよ。……それなのにお前ときたら、ここまでくる数日でもレリルと話してねぇだろ? だから勝手な指示になる」


「う……」


 クロートは、正論を吐かれて返す言葉もなく呻く。


 同じように頭を擦っているレリルへと視線を向けることは、どうしてもできなかった。


 ――そんなこと言っても。なんて話せばいいのか、わからないんだよ……。


「壁の二匹、一匹ずつやれ。俺は床の奴を片付ける」


 ガルムに言われて、クロートは悩みを口にせず、渋々剣を握り直した。


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