迷宮はかくありなん⑤
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【ヒカリゴケの洞窟】
ここは、スライム洞窟とさほど変わらぬ難易度――つまり、駆け出し冒険者が訪れる程度――の迷宮だ。
その名の通り、淡い黄味がかった光を放つ苔が群生している洞窟であり、主に苔を主食とするキャタプという魔物が生息している。
キャタプは芋虫のような外見で、ヒカリゴケばかり食べているために、その体もヒカリゴケ同様、淡く光っていた。
体長はクロートの腕の長さ程度、太さはガルムの腕回り程度で、簡潔にいうなれば丸々太った芋虫だろう。
しかし魔物であることに変わりはない。油断すれば口から吐き出される粘着質の糸に絡め捕られ、脱出不能に陥ることもある。
キャタプが恐ろしいのは、捕らえたにもかかわらず苔にしか興味がないため、放置されるところだ。
動けなくなったが最期……目の前で苔を貪る芋虫だけを眺め、息絶えることになる。
……今回、【
九級であるクロートにとって、避けられぬ道ではあったが……正直なところ、彼は大いに不満を抱いていた。
「なんだってこんな、駆け出し冒険者の真似事しなきゃなんないんだよっ」
クロートの足下に張り付いていたこぶし大の苔玉が、振り抜かれた彼の右足によって無残に蹴散らされる。
洞窟はヒカリゴケによって明るく、通路もふたり並んで歩けるほどに余裕があった。
湿っぽい空気はあまり気持ちのいいものではないが、ヒカリゴケが作り出す幻想的な光景は一見の価値ありと言われるほどで、駆け出し冒険者にとっては胸躍る迷宮だ。
それでも、物足りない。
クロートは唇を尖らせた。
「贅沢言ってんじゃねぇよ。駆け出しのくせに」
クロートの後方では、この広い通路であっても窮屈そうに見える屈強な戦士――クロートの父親であるガルムが、堂々と歩いていた。
「もっと難易度の高い迷宮だって一緒に潜ってただろ! それに、なんで付いてきたんだよ……」
クロートは振り向きざまに言い返すと、今度は右の壁にあった運の悪いヒカリゴケをばしりと叩き落とす。
「あはは……」
その様子に乾いた笑い声を上げたのは、蜂蜜色の髪を高く一本に結い上げた少女――レリル。
彼女は、駆け出しの【
「……う、笑うことないだろ……」
クロートはまだ彼女のことが掴みきれずに、そう言って手に付いた苔を払った。
――まあ正直、父さんがいるのはありがたいんだけど――。
心のなかで呟いて、クロートは洞窟の奥を見る。
少し先で左へと弧を描いた通路は、いまのところ一本道だ。
しばらくは誰も訪れていないのだろう。足下に群生している苔玉には、人の痕跡は見られない。
つまり、ここの宝が回収されてからそれなりの時間が経っているのだ。
――宝箱を『
クロートはそう思い直して、柔らかくて少しだけ弾力のある苔を踏みながら、洞窟の奥へと歩を進めた。
******
……【
ガルム自身も【
同時に、クロートが幼いころからふたりで旅していたことを思えば、ガルムは監視人が常に行動をともにせずとも問題のない階級……四級以上であることを物語っていた。
「おう、名前は?」
「はいっ、レリルです」
「レリル……レリルだな! 俺はガルムだ。うちのクロートのこと、頼んだぞ」
「ガルムさんのことは存じ上げています! お会いできて嬉しいです!」
「おっ、そりゃあ光栄だ」
なぜかすぐに打ち解けたふたりをぼんやりと眺めながら、クロートは自分が知りたかったことの半分も聞けていないことを思い出す。
そもそも【
けれど、例えば――宝箱を設置できるのは、一日一個までであること。その中身は、迷宮の難易度と自分の経験によって変えられること。
そういった『
ほかにもいろいろあったが、クロートはいつか聞こうと思っていたことのひとつを、このとき初めて口にした。
「……父さん」
「ん、なんだクロート」
「俺がもし、【
途端、ガルムの眉がぎゅっとひそめられ、その口は真一文字に閉じられる。
――それだけ厳しい法のもとにありながら俺に打ち明けた父さんや――同じように誰かを【
――なんとなく予想はついてるけど……ちゃんと、父さんの口から聞きたい。いまがそのときだ。
クロートは何度も自分に言い聞かせながら、じっとガルムの答えを待った。
「……隠しても仕方ねぇな。秘密を知られたそのときは、処刑だ。……宝箱を設置するのを誰かに見られたとき、その誰かを処刑するのと同じようにな」
ガルムはゆっくりと、低い声で、告げる。
クロートはその言葉に、やっぱり……と思うのと同時に、ひどく『安心した』。
「じゃあ、父さんは俺が法を守れて……誘いを断らないって信じて打ち明けたってことだよな。――うん、よかった」
口元を緩め、ほっとしたように呟いたクロートに、ガルムは目を丸くしてぽかんと口を開けた。
自分が信用されているのだとクロートが認識したことは理解できた。
――理解はできたが、その反応はどうなんだ。
ガルムはがしがしと頭を掻くと、唸るように口にした。
「……おい、わかってんのか? もしお前が……」
「わかってるよ。それとも……俺が断ると思ってた?」
「いや、まったく思ってはいねぇんだが……」
「だろ。ま、俺は父さんの息子だったってことだよな!」
クロートは言いながらにやりと笑うと、ガルムとレリルの横を通ってさっさと行ってしまった。
「…………」
「――いい人ですね……よかった」
なにか熱いものが込み上げ、振り返ることもできず口をへの字にしてぐっと堪えていたガルムに微笑むと……気を遣ったのだろう。レリルはクロートのあとを追って歩き出す。
「……ああ、自慢の息子だ」
小さな囁きは、誰の耳にも届かずふわりと空気に溶けていくのだった。
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