迷宮はかくありなん④
窓がないのに、なぜかしっかりと見渡せるほど明るい部屋は広かった。しかし、同時に殺風景ながらんどうとした空間をより際立たせてもいた。
真っ白な壁は鏡のように磨かれていて、まるでどこまでも先へ続いているような錯覚を覚える。
足下には、三人並んで歩ける幅の真っ赤な絨毯が奥へと真っ直ぐに伸びていて、毛足が長く柔らかいその絨毯の上にいたことに、クロートは靄が晴れて初めて気が付いた。
正面の一番奥、絨毯の終わりには大きな金色の細工が施された椅子があり、そこにはゆったりと体をもたせかける女性――いや、もっと幼く見える――の、姿がある。
「ふ、はは! 我が名は、とな! うむ、いい名乗りである、クロート。妾は気に入った! さあこちらに来るがよい」
女性から発せられたのは、先ほどのよく通る声。
楽しそうにころころと笑っていて言葉こそ偉そうだが、やはり幼い子供のそれにも聞こえる。
――あれがハイアルム……なのか?
クロートは知らず眉をひそめながら、奥へと進んだ。
近付くにつれ、肌が白く、冴えた蒼い月の色をした髪の少女の輪郭が、はっきりと縁取られていく。
その絹のような髪は、おそらく彼女の膝まで届くほどに長く、体と椅子に沿ってゆるりと垂れていた。
纏うのは肌と同じく白いローブ一枚。袖はなく、膝下から先は細い素足が覗く。
おかしそうに吊り上げられた柔らかそうな小振りの唇は、血色のいい桃色。
髪と同じ色をした睫毛が影を落とすその眼は、見たこともない金色に光っていた。
「……」
ハイアルム……と呼んでいいのかわからず、不躾な視線を少女に向けていたクロートは、はっとして背筋を伸ばした。
――俺より小さいぞ、どうみてもまだ子供……。どういうことだ?
それに、あの容姿。翼はないけど、まるで――この建物のいたるところに設置された番人の像、そのものだ……。
クロートは背中がひやりとするのを感じ、拳をきつく握り締めて唇を横に引き延ばした。
少なくとも、目の前の少女を侮ってはならないと感じるには十分すぎる理由だ。
少女は二度頷くと、椅子にもたせかけていた体を起こした。
「妾を畏れるか。うむ、それは正しいぞクロート。……我が名はハイアルム。ノーティティアを統べ、【
少女は……いや、ハイアルムは、クロートをじっくりと眺めながら話し始めた。
目の前の少女が長い時間を生きていると言われても、すぐに呑み込めたわけではなかったが、クロートは頷く。
確かに、マナリムにはさまざまな種族が暮らしており、おそらくその半数以上は、人間よりも寿命が長いことを知っていたからだ。
「その濡れ羽色の黒髪と、意志の強そうな翠の眼。なるほど、ガルムの息子だけあって似ておる。……ふむ、体付きはまだまだだの」
再びころころと笑い、ハイアルムは自分を見詰めるクロートに満足そうに頷いてみせる。
綻んだ笑顔には、純粋な幼子のように邪心の欠片もない。
「では、さっさと説明を済ませよう。【
びくり、とクロートの肩が跳ねた。
――処刑される……? 死ぬってことか?
不正をするつもりはなくとも、その言葉はひどく重い響を伴っていた。
ハイアルムの金の眼は、そんなクロートの一挙一動をつぶさに見守り、小さな唇に浮かぶ笑みが絶えることはない。
「――人間はお主たちが創った宝と、マナにより生まれる異形たちの核を求め、迷宮攻略に挑む――欲がそうさせる。まこと、人間とは罪深き生き物よの」
クロートには、ハイアルムの言葉の意味はよくわからなかった。
宝や核がもたらす恩恵は確かに自分の欲をかき立てる。でも、それが罪深いことだとは思えない。
……名声や冨を求める冒険者たちの気持ちが、いまのクロートにはよくわかるのだ。
それでもハイアルムの言葉は、自分が宝箱を設置することがなにか重要な使命なのだと感じさせるには、十分すぎるほど威厳に満ちていた。
「監視人のことは本人に聞くがよい。これからともに数多くの迷宮攻略をするのだからな。……レリル、あとは任せる」
「はい、ハイアルム様」
「――ッ!」
クロートは弾かれたように振り返った。
彼のすぐ後ろ、いつの間にかひとりの少女が立っていたのである。
クロートが思わず剣に手を伸ばしていたのは、ガルムの教えの賜物だ。自分の命を守るためには必要な反応でもあろう。
ハイアルムはその動作に、口元の笑みを深くした。
レリルと呼ばれた少女は、クロートよりも頭ひとつぶんは背が低い。
蜂蜜色の艶のある髪を高く一本に結っていて、その先は彼女の首筋を隠す位置にある。
クロートをじっと見詰める大きな眼は、新芽のような黄みがかった翠色をしていた。
――彼女が――俺の【監視人】……?
クロートは注意深く相手を窺う。
クロートの革鎧と対のような白い鞣し革の鎧は、彼女の胸元と左肩だけを守り、胴回りは鎧の下に着込んだ厚手の服を防具代わりにしているようだ。
腰巻きのような布が腹の真ん中できっちり留められていて、その先は体の後ろ側で二本に分かれている。
下半身はその腰巻きの下、膝上のスカートの裾から黒いタイツが覗き、あとは膝丈のブーツで覆われていた。
武器は……いまのところ所持しているようには見えない。
少女はクロートの不躾な視線に呆れたように肩を竦めた。
「……私はレリル。よろしくね?」
「えっ、あ」
自分が武器に手を伸ばしていたことに気付いて、クロートは慌てて手を放したのだった。
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