危険な兆候

「大通りの方は随分と活気に満ちていますね。ここからでも人の声が聞こえてきそうです」


 サイ達が住居として屋敷を購入してから一ヶ月が経った。屋敷の二階の窓からブリジッタが王都の大通りを見て言うと、同じく窓から大通りを見ていたクリスナーガが頷く。


「そうね。それに今日は天気もいいし、絶好のお祭り日和。私もこのまま大通りに行っちゃおうかな?」


「駄目です。私達にはこれから予定があるのですから、行っている時間はありません」


 このままだと本当に大通りに行ってしまいそうなクリスナーガにブリジッタが苦笑を浮かべながら釘を刺す。するとクリスナーガは少しむくれた顔となって言う。


「そんな事は分かっているわよ。ちょっと言ってみただけだってば。……でも貴女は興味ないの、ブリジッタ? 今日のお祭りは私達にとって特別なものなのよ?」


「もちろん興味はありますよ? だって今日は……」


「失礼します」


 ブリジッタがクリスナーガに向けてそこまで言った所で、彼女の言葉を遮るように二人にとって聞き覚えがある声が聞こえてきた。ブリジッタとクリスナーガが声がした方を見ると、そこにはサイ達との連絡係であるアイリーンが部屋の入り口に立っていた。


「クリスナーガ樣。ブリジッタ樣。お迎えの準備が整いました」


「ええ、ありがとうございます」


「私達のためだけにわざわざ親衛隊の一部隊を迎えに寄越すだなんて慎重すぎる気がするけどね。ともあれありがとう」


 アイリーンの報告にブリジッタは優雅な笑みを、クリスナーガは若干呆れたような笑みを浮かべて礼を言う。


「それで? サイ達の方は?」


「……アイツら、いえ、彼らならすでに準備を終えて予定の時刻にやって来るそうです」


 クリスナーガの質問にアイリーンは一度言い直しながら答える。その時クリスナーガは、自分がサイの名前を言った時に彼女の顔色が悪くなったことに気づく。


「……ピオン」


「……………!?」


 次にクリスナーガがピオンの名前を言うと、アイリーンは体を震わせて先程よりも顔色が悪くなる。


(やっぱりこれは……)


(完全にピオンがトラウマになっているわね)


 ブリジッタとクリスナーガは、ピオンの名前が出た途端に顔色を悪くするアイリーンを思わずといった表情で見る。


 アイリーンは今から一カ月程前に、自分がかつて暮らしていた屋敷が売りに出されているのを見て心労で意識を失ったが、十日くらいすると連絡係として復帰した。その彼女が復帰した日から今日までピオンは、アイリーンに精神的に追い詰めるように「いやがらせ」をしていた。


 いやがらせと言ってもピオンが行なったのは、相手の体を殴ったり私物を壊したりする様なものではなく、アイリーンが皆とする会話に入り込んで一言二言、彼女に嫌味を言う程度のものである。しかしピオンは実に巧妙かつ絶妙にアイリーンの心をえぐるタイミングで嫌味を言い放っており、その上嫌味の内容が過去に彼女がサイを見下したり暴力を振るった事実である為、アイリーンはまともに言い返すこともできず心労を重ねていたのだった。


 よく見ればアイリーンの目の下には隈ができていて少しやつれた様に見える。それを見てクリスナーガとブリジッタは、ピオンがかなり有能でその有能さをアイリーンを追い詰める為に全力で使用しているのが実感できた。


「ねぇ? アイリーン? 貴女、いい加減サイに謝ったら?」


「そうですね。一度、サイさんとしっかり話し合った方がいいと思いますよ?」


 クリスナーガとブリジッタがアイリーンに忠告する。


 確かにピオンがしている事はやり過ぎなのかもしれないが、その原因は昔アイリーンがサイに行なった行為と、今も彼に謝罪をしないばかりかどこか下に見ている態度にあった。


 ピオンは主人であるサイに敵対する人間以外には危害を加えないどころかむしろ友好的である。アイリーンがとりあえず形だけでもサイに謝罪して、心の内を話し合えばピオンのいやがらせも多少は多少は収まるだろう。


 そう思ってアイリーンに忠告したクリスナーガとブリジッタだったのだが……。


「…………………………は? 何を言っているのですか?」


 忠告されたアイリーンは、何を言われたのか分からないといった表情でクリスナーガとブリジッタを見返した。


「何をって、だから……」


「謝る? 何で私が謝らないといけないんですか、あんな奴に!? 話し合う? 名前だけの貴族なんかと、平民と話すことなんかありません!?」


 クリスナーガの言葉を遮ってアイリーンは、徐々に声を大きくしながらまるで独り言を言うように話す。今までのピオンのいやがらせによって心労が溜まっていたせいか、その声には隠しようもない強い苛立ちがあった。


「私、悪い事なんかしてないもん! 私、貴族なんだから平民なんかどうしようが勝手じゃない! サイなんて運がいいだけの平民よ! 私だってゴーレムトルーパーがあれば! ザウレードさえあったら! 今頃は私が英雄になっていたのに! そうよ、私が……!」


「アイリーン!」


 感情が爆発したのか、若干幼児退行を起こしながら不満を叫ぶアイリーンをクリスナーガが叱咤する。叱咤されたアイリーンは、自分がかなりマズい事を口走ってしまった事を自覚すると顔を青くした。


「アイリーン……。今のは話を振った私とブリジッタが悪かったから聞かなかった事にするわ。……でも次はないからね?」


「………はい」


 クリスナーガの言葉に横に立つブリジッタの頷くと、アイリーンは俯きながら小さな声で返事をした。


「とりあえず私達もすぐに行くから、アイリーンは親衛隊の所に行っといて」


「………はい。分かりました」


 アイリーンはそれだけを言うと部屋から出て行き、アイリーンの姿が見えなくなるとブリジッタがクリスナーガに話しかける。


「アイリーンさん……今のままだと危険なのでは?」


「そうね。もう、いつ怒りが爆発してもおかしくないくらいスッゴい危険」


 ブリジッタの言葉に同意しながらクリスナーガは、軍学校時代での友人の事を心配する。


 これはクリスナーガの勘だが、恐らくピオンはいやがらせをしながらアイリーンの我慢が効かなくなるのを待っているのだろう。そしてアイリーンに先に手を出させることで、本格的に彼女を始末する大義名分を得るのがピオンの考えだと、クリスナーガは今でのピオンの行動から推測する。


 そうなる前になんとかアイリーンを止めてあげたいと思うクリスナーガであったが、さっきの態度を見る限り難しいだろう。そう考えたクリスナーガとブリジッタはアイリーンの事はひとまず後にして、今はこれからのやる事に意識を集中する事にした。


「とりあえず行きましょうか? とにかく今はこのお祭りを成功させましょう」


「ええ、そうしましょう。何しろ今日はサイくん達の祝勝パレード。そしてその後は私達の婚約パーティーがありますからね」


 クリスナーガの言葉にブリジッタが頷く。


 先程からクリスナーガが言っている今日行われるお祭りとは、サイ達の黒竜盗賊団を討伐してザウレードを奪還した事を祝う祝勝パレード。


 そして今日は、フランメ王国の新しき英雄と、その英雄が乗る新しいゴーレムトルーパーが初めて国民にお披露目される日であった。

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