一切の悪意のない正直な言葉
「………」
「どうですか、マスター? 中々いい屋敷だと思いませんか? 資料を見るとこの屋敷、とっても大きな倉庫もあってドランノーガを置いておくこともできますよ?」
「(……ねぇ? アレ、どう思う?)」
屋敷を見上げるサイに笑顔で屋敷の購入をすすめるピオンを見て、クリスナーガは小声でブリジッタに話しかける。
「(どう思うって……やっぱりアイリーンさんへの挑発、ですよね)」
ブリジッタもまた小声でクリスナーガに答えると、彼女達二人はサイに話しかけているピオンの顔をそっと見る。ホムンクルスの少女は自分の主人に屋敷の購入をすすめながら時折、彫像のように固まって屋敷を凝視しているアイリーンに視線を向けるのだが……その時のピオンの表情は決してヒロインがしてはいけない、それはそれは邪悪な表情であった。
「(あの……やっぱりあの屋敷って……)」
「(ええ。クライド家が没落するまでアイリーン達が暮らしていた屋敷よ)」
小声で聞いてくるブリジッタにクリスナーガは一つ頷いて答える。
この屋敷は以前はクライド家の所有であり、クライド家が没落した時に国に没収されて売りに出されたのだ。しかしその広さにせいで維持費も高く、何より「この上なく不名誉な形で没落したクライド家が所有していた」という情報のせいで買い手がつかず今日まで売れ残っていた。
そこで産まれて八歳まで暮らしていたアイリーンにとって非常に思い出のある屋敷が、今まで見下してきたサイの所有物になることは、彼女にとって非常に衝撃的だろう。ピオンはそれを見越して彼に屋敷の購入をすすめているのだった。
過去にサイを見下して痛めつけてきたアイリーンをピオンが憎んでいるのは知っていたが、それでも嫌がらせの為にここまで手段を選ばないとは思っていなかったブリジッタとクリスナーガは、思わず頬に一筋の冷や汗を流した。
「それでどうしますか、マスター? この屋敷に決めますか?」
ピオンが自分の主人である青年に訊ねると、その場にいる全員の視線が彼に集中して、物言わぬ彫像となっていたアイリーンまでもサイの背中を見た。この場の女性達の視線をその背に受けながらサイは、かつてのクライド家の屋敷を見上げて口を開く。
「うん。いらないな」
「「えっ!?」」
ここにきてのサイのいらないという発言に、ピオンとアイリーンが全くの同時に目を見開き驚いた顔をする。
「……え? その、マスター? 今、いらないと言いましたか? この屋敷を?」
「ああ、いらないな」
「………!?」
信じられないといった顔をしたピオンが訊ねると、サイはもう一度目の前の屋敷をいらないと言い、それを横で聞いていたアイリーンの体が震える。
「あの、それはちょっと勿体なくないですか? 今だったらこの屋敷の購入費、修復費、維持費など全てフランメ王国が負担してくれるんですよ? こんなチャンス、そうはないですよ?」
「そうなのか? でもこんなに広い屋敷に住んでも迷いそうだし、部屋も全部使わないだろうし、結局無駄な買い物になるんじゃないか? ……うん。やっぱりいらないな」
「……………!!」
なおも食い下がろうとするピオンの言葉にサイは面倒くさそうに答え、そこで出てきた三度目のいらないの発言にアイリーンの体が先程よりも大きく震える。
「で、でも……そうだ! さっき屋敷にとっても大きな倉庫があるって言ったじゃないですか? そこにドランノーガを置いておくこともできますよ?」
「ドランノーガなら今も俺の『倉庫』の異能で収納してるだろ? というか俺の『倉庫』の異能があるから、そんな大きな倉庫、何の意味ないじゃないか? ただ敷地を無駄にしているだけだよ」
「……………!」
苦し紛れに言ったピオンの言葉をサイはあっさりと切り捨て、アイリーンの顔が青白くなる。
「でも……でも……!」
サイにアイリーンが昔暮らしていた屋敷を購入させて、彼女に大きな精神的打撃を与えようと思っていたピオンは、何とか自分の主人である青年を説得の言葉を考える。だが、それより先にサイが口を開いた。
「そもそも、さ……。俺、この屋敷のこれ見よがしな装飾があまり趣味じゃないんだよ。これだったら俺の実家で暮らした方がまだマシだな」
「…………………」
アイリーンはサイの言葉を最後まで聞いていなかった。
自分が子供の頃に暮らしていた屋敷を今まで見下してきた幼馴染に買い取られそうになったと思ったら、その幼馴染に屋敷のダメ出しをされた挙げ句、辺境の田舎にある貧相な家の方がマシだと言われた。それによりアイリーンの中で強い怒りと屈辱がぶつかり合い、結果として彼女は意識を失いその場に倒れてしまった。
「え!? アイリーン! どうしたんだ!」
「「………」」
サイはアイリーンが急に倒れた理由が分からず慌てて彼女を助け起こそうとするが、一部始終を見ていたブリジッタとクリスナーガは同情の目で倒れたアイリーンを見ていた。
サイは何も悪いことをしていなかった。彼はただ、自分の従者であるホムンクルスの少女に聞かれるまま、自分の意見を正直に言っただけで、そこに悪意など一片たりとももない。
……しかし時には、一片の悪意もない正直な言葉こそ人の心に突き刺さる事があるのだった。
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