夜営地での夜

 士官学校の学生達が軍事演習を行う平原に着いたのはその日の夕方、日が暮れ始めた頃であった。


 軍事演習は翌日に行う予定で、学生達は野営をする準備に取りかかる。この野営の準備にどれくらいの時間がかかるのかも教官達の評価対象であり、学生達は皆真剣に自分達の今夜の寝床になるテントを組み立てていく。


「マスター、これをどうぞ。白湯ですけど暖まりますよ」


「マスター殿、これもどうぞ。夜は冷えますのでお体を冷やさぬよう」


「ありがとう。ピオン、ヴィヴィアン」


 学生達の大半が自分達のテントを組み立てている中、すでにテントを組み終えたサイがピオンとヴィヴィアンから白湯が入ったコップと毛布を受け取る。「倉庫」の異能で必要な荷物だけを異空間から取り出す事が出来て、山奥のイーノ村で生まれ育って何度も山で野宿をした経験がある彼にしてみれば、テントの組み立てなど大した手間ではなかった。


 テントの組み立てが終わって野営の準備が整うと、そこから今日は自由時間となる。サイが受け取った毛布を羽織り白湯を飲みながらピオンとヴィヴィアンと話をしていると、そこにテントの組み立てを終えたビークポッドがやって来た。


「もうテントを組み終えるとは作業が速いな」


「そう言うビークポッドも手際がいいじゃないか。他にはまだ組み立てている奴がいるのに」


「なに、俺は幼少の頃から親父殿に何度もキャンプに連れて行かれてな。そのお陰だ。それにしても……」


 ビークポッドは少し自慢するようにサイに答えると、そこで周囲を見回してから呟いた。


「何と言うか、全員の表情が暗いな」


 ビークポッドの言う通り、周囲の学生達のほとんどは真剣ではあるものの、どこか落ち込んでいるような暗い表情をしていて、それもあってテントを組み立てる作業の手が遅くなっていた。


「言われてみれば確かに……。一体どうしたんだ?」


「そんなの決まっているじゃないですか? あの女、エレナと一緒のチームになれなかったから落ち込んでいるのですよ」


「あの女は今や士官学校、大学の両方で一番人気がありますからね」


 サイの疑問にピオンとヴィヴィアンが答える。学生達はすでに明日の軍事演習で二つの陣営のどちらにつくかを教官に指示されており、サイ達とビークポッドは同じ陣営で、エレナはもう一つの陣営につく事が決まっていた。


 エレナは士官学校に入学してから今日まで着実に士官学校と大学の関係者達を魅了していき、今では士官学校と大学の学生達だけでなく、学園の教師や用務員といった学生以外の学園の関係者も多数彼女に魅了されていた。ここで落ち込んだ表情をしている学生達は皆、エレナに魅了されて明日の軍事演習で彼女と同じ陣営になれなかった者達であった。


 ちなみにサイ達は、三ヶ月前に一度顔を合わせてからエレナとその取り巻き達と会っていなかった。どうやら初めて会った時のピオンとの会話がよほどこたえたようで、エレナの方からサイ達を避けているらしい。


 サイもエレナ達の元で、婚約者を魅了された貴族令嬢がエレナの元に直談判する等の騒動が頻繁に起きているのを知っている為、彼女に近づきたいとは思わなかった。そう考えるとエレナを挑発して彼女にこちらへの悪感情を植え付けたピオンには感謝するしかないサイだった。


「まったく……。皆、何であんなエレナみたいな女に熱狂できるのか俺には理解できん。巨乳ではなく貧乳なのに」


「俺もだ。巨乳じゃない貧乳のエレナにそこまでの魅力なんてあるのか?」


「巨乳ではなく貧乳なのに」


「巨乳じゃない貧乳なのに」


 ここにはいないエレナに対して貧乳と連呼するサイとビークポッド……ではなく巨乳好きな馬鹿一号と二号。もし彼女がこの会話を聞いていたら鬼の顔になって二人に剣で斬りかかっていただろう。


「しかし……エレナに婚約者であるアルベロ様を取られてしまっては、ブリジッタ様もさぞや落ち込んでいるだろう。サイ? お前よくブリジッタ様と話しているんだろう? ブリジッタ様の様子はどうであった?」


「ああ、それならブリジッタは特に気にしていないみたいだ」


 結局アルベロは実家からも注意を受けたみたいだが、エレナの魅了から目が醒める事なく婚約者であるはずのブリジッタを蔑ろにして、ついに先月本人は知っているかは知らないがブリジッタとの婚約を解消された。そしてこの婚約解消の話はもう一人の当事者であるブリジッタにもいったのだが、彼女はそれに対して全く動揺を見せてはいなかった。


 元々アルベロとの婚約は家同士で決めたものだし、ブリジッタとしては前文明の研究の方が婚約よりも大切であったから、婚約者がエレナに心移りしたのを知った時も彼女は他の婚約者を取られた貴族令嬢とは違って特に何も思わなかったそうだ。


「そ、そうなのか?」


 サイの話を聞いてビークポッドは若干困惑した表情となる。


「そうだよ。別に意地を張っているとかじゃなくて、あれは本当にアルベロへの興味がないって顔だったな」


 学園の図書館で婚約解消の話をするブリジッタの顔を思い出しながらサイは言う。あの時の彼女は、まるで他人事のようにアルベロとの婚約解消の事をサイ達に話していた。


「そうか……。では何故、ヒルデさんとローゼさんをブリジッタ様の側につけたんだ? 俺はてっきり傷心のブリジッタ様の話し相手にしたのだとばかり思っていたのだが……?」


 サイに質問をするビークポッドの言う通り、ヒルデとローゼは今ここにはおらず、自分達の主人である青年の命令で大学にいるブリジッタの側にいた。それを知ったビークポッドは最初、婚約解消の件で傷心中のブリジッタの気を紛らわせる為に、サイがヒルデとローゼを彼女の話し相手としてつけたと思っていたのだがどうやら違うようだ。


「話し相手って点は間違っていないぞ? ブリジッタはヒルデとローゼが知っている前文明の話に興味があるからな。だけど俺が二人をつけた理由は……」


「「………!」」


 サイがそこまで言った時、突然ピオンとヴィヴィアンが同時に立ち上がり、二人とも同じ方向に視線を向ける。この時の二人のホムンクルスの少女はとても真剣な表情をしており、サイもビークポッドも何事かと二人を見る。


「マスター。そのヒルデとローゼの件ですけど、少しお話があります」


 ピオンとヴィヴィアンが真剣な表情のままサイ達の方に振り返ると、ピオンがサイに向かって口を開いた。

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