第5話 部室に火が灯る

「ようこそ。探偵同好会へ」

 レンくんに歓迎の表情を見せてから、わたしはレンくんの手を両手で握って離さずに、そのまま後ろ向きにステップを踏みながらぴょんこぴょんぴょん、彼を部室の中に連れ込む。レンくんは抵抗しないし遠慮もしない。わたしに引っ張られてもなんら恥じることない態度で部室の中に来てくれた。世の中他人事みたいに感じている連中には、レンくんを見習ってほしい。「部外者がどうした」と言わんばかり……いや、言ってはないけど、見せているのよ。と・に・か・く! 自然とどこにでも溶け込むレンくんの姿は、もはや我が探偵同好会五人目の部員と言っても過言ではない程マッチしていたわ。雨上がりの虹も白旗モンね。恥ずかしくなって影ごと引っ込みそうだわ。

 探偵同好会には木製の机が一台、これは創立者兼部長であるわたし用。あとは常日頃畳まれて寝かされている学校の備品代表その3的な折りたたみ式の横長机が二つ、合体した状態で置いてある。研司が中国の本を読むのも水輔が小説執筆に悪戦苦闘するのも、桜が宿題やっていたりするのもそっちの机ね。

 ちなみに椅子はわたしが校長のお下がりで払い下げて貰ったレザーシートの黒い椅子。残りの連中はパイプ椅子よ。あと来客用にパイプ椅子の予備があって、それらは畳まれて部室の一角に寝かされている。桜に指パッチンで合図を出すと、可愛い妹は散歩を楽しむワンちゃんよろしく椅子から立ち上がって予備の椅子を引っ張り出し、部長机の向かい側に組み立てて配置するのだ。良く出来た妹分でしょ? 躾の賜物よ。ちなみに鞭は使ってないわよ。縄とスプーンで十分です。

「レンさん、この椅子にどうぞー。すぐにお茶を用意しますね」

「感謝を」

「桜ー、わたしも。あと冷蔵庫から生八つ橋出して。おやつに御馳走するの、ンフフ」

「はぁい」

 桜が部室に休憩用という名目で配備されているポットと冷蔵庫に向かうのを眺めながら、わたしは部長用革シートに座り、真正面ではレンくんが机に鞄を置きながら桜の用意したパイプ椅子に座ったわ。席替え以降レンくんの背中を独占できているわたしですが……前もいいわねと思っている最中でございます。

 そしたらレンくんの後ろ、わたしから見てレンくんの奥から声がラジオ発信される。水輔がこっちに注目してたわ。

「そいつがお前のレンか……不思議だねえ、どう見ても違和感の塊なのに、なぜかこの部屋にマッチしてんな。おかしくねえって思えるぜ」

 そう、そこよ。そこがレンくんの謎であり、魅力でもある。浮いているのに認められる、異彩を放っても異臭芳しい訳じゃない。この謎原理の1ページでも翻訳して読み解くことができるのなら、わたしたち今度の文化祭でパリコレを開催できるわよ。

 水輔がわたしと重なる見解領域を示したことにわたし満足、ただし空腹。腕組みして目を閉じてうんうんと頷きながら桜のお茶と八つ橋を待っていたら。パイプ椅子とワックスでコーティングされた床が擦れて出す出来損ないの楽器が発するに似た歪な音を耳が拾ったわ。片眼を閉じたまま、右目だけ開くと水輔は難航中の執筆作業を中断して椅子を動かし立ち上がり、そのままこっちへ寄って来たの。

「おまたせしましたぁ、お姉様、レンさん」

 ジャストミートな遭遇で同時に桜がお盆にお茶と生八つ橋をのっけて部長机に差し出した。湯のみは二つ、爪楊枝も二つ。

 当然これはわたしとレンくんの分だということが明暗両面でわかる仕組み。なのに水輔は明け透けと近寄って来て、素手で生八つ橋をひとつ摘まみ上げるとパクっと一口、ネコババしおった。

「食い意地張ってんじゃないわよ水輔。あんたの分は冷蔵庫に別途残ってるはずでしょう? 返せんの? 利子取るわよ」

「ケチな素振り見せんなよ、調査対象の客人の前で。俺も話に混ぜてくれ。ネタに困ってんだ。いつものことだが」

「でしょうねえ。まあいいわ。さっ、レンくん、甘味をどうぞ」

「食べていいの?」

「もちろんよ。なんならお昼の紫みたいに食べさせてあげちゃうよ。あ、でも腕掴まれて身体ごと引っ張られちゃうか。八つ橋はね、こうやって食べるの」

 百聞は一見にしかず。まして十聞くらいで済む説明なら、尚更手本を実演すべし。てなわけでまずはわたしが爪楊枝を八つ橋の真ん中、餡の詰まったとこにプスッと刺して持ち上げて、あーんと開いた自分の口の中に放り込み、頬張る。

 口の中で咀嚼体勢になったことを舌先と味覚で確認したわたしはレンくんに視線を戻す。レンくんはあの透き通った目で真っ直ぐわたしの間食を観察していたわ。最後の探偵を許されて観察しまくっているわたしが観察される――もっとレンくんが好きになるわね。

「なるほど。わかった」

 レンくんはそう呟いてわたし同じ動作で爪楊枝を八つ橋に刺して口元へと持ち上げる。その所作はとても自然で滑らか、どんなにスローにしようとコマ送りにならない、微分法も通用しない。

 そのまま食べてくれるというところで、なんとびっくりハプニング。

 レンくんの下唇に触れた衝撃で八つ橋が爪楊枝からずり落ちて落下しちゃったのよ。わたしも、桜も、水輔もあっと思ったけど間に合わないしもう遅い状態。手を伸ばしても届かない、八つ橋が床に落ちて埃まみれになっ……らなっかった。

 なぜかって? 説明には時間が欲しいわ。目撃者三人とも目を疑う時間が必要だったから。あと嘘って思う時間も。

 だって、だってだってっ! 八つ橋に落ちられたレンくんの爪楊枝が落ちるより早く、稲妻より早く上から再度八つ橋を刺し貫いてその手はドリフト急旋回。ちょっと屈んだレンくんの口元に戻ってレンくんの口に入っていったから……。

 わかんない? つまりはこういうことよ。レンくんは落とした八つ橋を再度キャッチして無事食せました。その一部始終が超スピード過ぎてわたしたち唖然としてます、ってこと!

 目が点になるって言うのはこういうことかとわたしたちかと、完全な自覚症状状態。医者に診察して貰うまでも無い、目が点になっているのはわかりきっていることだから。ついでに呼吸も止まっていたと思う、限りなく本当に近いよ……たぶんってレベルで。

 耳に音が入って来ない。皮膚の感覚が麻痺しちゃってる。鼻で息もしてないし、唾の味も感じない。

 わたしたちはレンくんの超絶動作の一部始終、その視覚情報を処理、いいえ受け入れるだけに脳の全部を使っていたのよ。

 全く、何も感じない。時が停まったかと錯覚しちゃう。

 事実、ようやくわたしたちが時の流れを自覚したのは、レンくんが「もういいか」と告げて爪楊枝を皿に置いた時。やっとわたしたちは戻れた。まずは息を吸って吐いて生の実感を取り戻す。そして瞳孔を開いて皿を見ると、残っていた八つ橋の数からレンくんがちょうど半分、三個の八つ橋を食べたのだと時差付きで知るの。二個目三個目を食べていた時のレンくんの姿をわたしは全く憶えていない。信じられる? 目の前なのに。桜に目を配ると子犬みたいに畏まった妹は自分も知らないとふるふる無言で首を振る。水輔はどうかと見ると、まだ固まってやがりましたわ。このにぶちんが。森に帰れ。

 と、ここで我が探偵同好会の残る一人、橘研司が読んでいた本をパタンと閉じてから、わたしに目配せしてくる。最初はわたしを見て、次いで棒人間水輔を見る。その意図を察したわたしは右手を研司に見えるようにして、ガッツポーズの要領でグッと握りしめる。了承のサインだ。

 すると研司は立ち上がって抜足差足忍足、水輔の背後に這い寄ってからその脇腹を――くすぐる。

「らひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 そうなのです。水輔はくすぐり耐性が極端に低いのです。特に脇腹は弱点そのもの。感度が良すぎるのであっという間にピッチパコーン。やっと正気を取り戻す。

「はっ! 俺は一体?」

 手で空気をさわさわしながら我に返った水輔を眺め、わたしと桜は呆れ顔ニヤニヤ。そして水輔の後頭部を左手人指し指でデコピン一発、研司が背後から囁きかける。

「固まるのは執筆のときだけで十分だろ水輔。客人の前で硬直するなって話だ。部長の会話に割り込んでおいて置物か? 情けないぞ」

 研司の歯に衣着せぬ物言い、水輔の制服を切り刻む。イメージでね。イマジンイマジン。

 狼狽える水輔を押し退けて今度は研司がレンくんに話しかける。部長のワタシにするのと同じ、丁寧口調で下手から。

「レン君、ズバリ訊きたい。君は何者なんですか?」

 うおー直球、ど真ん中。予告ストレートに違わぬ威力だわ。普通のバッターじゃ逆に答えられないわよ研司。あんたもあんたで間を掴まない奴ねー。流れを把握して乗ってかないとノックもキャッチボールもないわよ。野球のゲームが成立しないって。まあこれは会話だけど、そう例えてみただけですよ?

 水輔の畳に土足で上がるかのような質問、でもレンくんは答えてくれた。相変わらず要領は得ないけど、ちょっと新情報も入ってたわ。

「私は留学生さ。故郷を訳あって離れざるを得ず、この場所に来た。ここは異国だ。馴染めないな。昨日飲んだけど水の味も全く違う。故郷の水はもっと粘り気があった」

「粘り気のある水……? 面白い、実に面白いですよレン君。部長が執心される訳だ。どうやら本当に未開かつ斬新。部長、このヤマ、僕も乗らせていただきたい」

 意外に思わなかったと言えば嘘になるわね。同じ本を何度も何度も読み込む研司がその行いを放棄してわたしの観察に加わりたいって言って来たんだから。

 でもまあ、断る理由は何も無い。ついでにこいつを誘わない理由も無い。

「水輔」

「あん?」

「あんたはどうすんの? これから一人でこの部室を切り盛りする? 惹かれてんでしょ? ここが前髪の掴みどころよ」

 腕組みしたわたしの、ちょっと意地の悪い投げかけ。うん、わたしはわかっている。水輔の気持ちも、どうしたいかも。伊達に裸を見せてはいないのだ。わたしたちは合宿と露天風呂で裸の感情をぶつけあった――

「乗るに決まってんだろ! あったりめえだ。俺ら第六三銃士、今こそ剣を翳そうぜ!」


 そう、わたしたちは総合第六では三銃士で知られた三人組。それに今年桜も加わって、今の探偵同好会なのだ。


 わたしたちは水輔の切った啖呵に合わせて手を天に翳し、四人の掌を合わせる。

 誓いを此処に。決意を新たに。

 探偵同好会が一丸となって、最後の探偵としてレンくんの観察に一致団結する。それが任務以外で纏まる。体の芯から火照っているのがわかる。興奮している。目が生きている。

 観察対象であるレンくんが見ている目の前で、いいえ、レンくんが見ている前だからこそ彼の前で堂々と。


 わたしたちは最後の探偵を、改組して今一度旗揚げしたのでした。

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