第4話 ようこそ探偵同好会へ
地味で地道な一歩だけど、着実な一歩としてレンくんの真後ろを穫ったわたしは、授業中もその後も、関心の大部分をレンくんに向けていたわ。ウィットに欠ける先生たちの授業は聞き流す程度にアンテナ張って聴いていれば指差されても大体答えられるし、前のレンくんを観察がてら波長を合わせるように動くと、授業と観察を両立できるの。観察していてわかったけど、レンくんはあんまり授業を聴いているタイプじゃない。初日に質問した時だってノートを取らないと話していたしね。でも頭に写すために定期的に黒板を見る。つられてわたしも黒板を見る。観察しながら授業も要点を押さえることができるってわけ。もっともこんな手法で先生たちに注意されずに済むのはシンクロしているのがレンくんだからでしょうね。教科書も黒板も頭のホワイトノートに写して記憶できるスペックを持つレンくんの授業姿勢に合わせているから大丈夫なのだ。早い話、わたしはおこぼれに預かっていると言えるのです。
観察時間を満喫した午前の授業が終わって昼休みになった。わたしは後ろからレンくんの白シャツをつまんでくいって引っ張る。レンくんが銀髪を靡かせながら、こっちに振り向いてくれる。
「どうしたの?」
「今日はどこで食べる? 一緒に食べたいな」
「いいよ。場所は――」
レンくんがどこで食べるのかを口に出そうとした時、そのときよ。
「あーっ、いいないいなうらやましいなあ。アサヒちゃん、レンくん、わたしもまーぜーて」
わたしの斜め前、レンくんの唯一の横隣席に座る星富紫が割り込んで来た。御丁寧に机をレンくんの机にくっつけて。押しが強いなグイグイくるな。そういうとこだぞ厚かましいぞと胸の内だけで語りかける。「誰とでも仲良くなれる」が信条で事実それを成し遂げるだけの社交スキルを持つ紫がレンくんとも仲良くなろうと、わたしたちにもやったようにコミュニケーションを図っている。机まで合体された、こりゃ今日は机でこの三人で昼食かなとわたしは観念して、つまんでいたレンくんのシャツを離した。ところがよ――。
レンくんは離したてホヤホヤのわたしの手を掴んでのっそりと立ち上がり、わたしの方に向いて「今日も外で食べよう。天気がいいし。私もいい」と口を開いたのよね。そしてその後上から下へ、タイミングを逃してポカンとレンくんを見上げている紫に改めて告げたの。「紫、君も一緒に来る?」って。
震えたわね。この流れるような対応に。早さと見事さが噛み合って、有無を言わさない迫力を生み出す。あの押せよ押せよの紫がしばらく口を開けたままその後ゴクンと息を呑んだんだから相当よこれは。紫の様子を見ていたクラスのみんなも驚いてる。固まって声も出ないって感じ、見てわかる程困惑してる。
この状況を打開できるのは、僭越ながらわたしでしょう。レンくんは訊いている立場だし。紫やクラスのみんなは固まってる。動けるのが消去法でわたししかいないからね。ホントよ? レンくんに掴まれてない方の手で紫の肩から鎖骨ら辺を人指し指でつんつつーんと押してやる。
「一緒に行くの? 行かないの? 紫ちゃん? どっち?」
「はっ! うん、行くよっ。わたしも連れてってー」
ようやく金縛りから解放された紫が珍しく慌てた仕草で弁当箱を鞄から取り出す。わたしとレンくんも弁当箱を持ち出して、三人一緒に教室を出た。後にした教室から解放されて息を吐く音が相当数分、聞こえてたわね。
レンくんと外へ向かう。でも今回は上履きのまま。なんでか? それはね、レンくんが選んだ場所が、第六高の校舎屋上に設けられていた屋外テーブルだったからだよ。外の空気を大いに浴びるわたしたち。たしかに外で間違いない。けど昨日の校庭屋外テーブルとは違う発想に、わたしはぱーっと気が抜ける。変な緊張とか余計な詮索とか、レンくんと一緒にいるとそういうものが洗われるのよねー。不要なものだと手で埃を払ってもらってるイメージかも。思わずレンくんからも飛び出して一人屋上を満喫しちゃう。え? 観察って目的を見失ってるように見える? わたしにだって自覚はあるわよ。でもこれめっちゃ気持ちいいの。雨宿りした後晴れた雲の間から覗く青空の下に一番乗りして、雨が洗って澄み切った空気を最初に吸い込む感覚に似ていると思う。とんでもない爽快感と高揚感で浮ついちゃう。くるくる回っちゃうくらいに、ね。
とは言えそれも刹那のピクチャ。ここに来たのはレンくん、紫とお昼食べるためだからね。現実に戻ってレンくんのとこに駆け寄って、一緒に机の隣に座る。ちなみに紫はレンくんの向かい側ね。
「いただきまーす」
三人揃って手を合わせて、わたしたちは弁当を頬張り始める。わたしの弁当はお母さんが作って朝食の横に置いていてくれたもの。当然桜とメニューは同じ。朝はシリアルの稗田家が、ここでごはんのある食事をとるわけ。まあそんなことはおいといて、最後の探偵として観察すべきはレンくんよね? 昨日のレンくんは留学初日でお昼は購買でエナジードリンク買っていただけだし、気になるわ〜。と言う訳で堂々と横で食べているレンくんのお弁当箱を覗きますと……。
一面に栄養食品で保存食にもなるカロリースティックがずらりと敷き詰められていて、レンくんはそれを一本一本取りながら、バクバク食べておりました。
またしても、とか思っちゃった。毎回わたしはレンくんに驚かされてばかりだけど、食事もこれとは畏れ入ります。他に取り出したのは折り紙のスプーンにヨーグルトと野菜ジュース。うちもシリアル朝食で栄養バランス重視している方だったけど、レンくんの方がより徹底していたわ。
さらに分ったけどパクパク食べるスピードも早い。口の中で噛んだ途端崩れてパサパサした食感になるカロリースティックをポテチかって風にどんどん食べていってる。勢いのあるレンくんの食事、あっという間に食べ終わりました。わたしも紫も、まだ半分も残っているわ。
「わ〜レンくん食べるの早いねー。すごいねー」
真正面でその機械的な食事ぶりを目の当たりにした紫が呆然とした声で話を振る。押してるつもりなのかしら? 言葉に思いがくっついてないぞ。
ところがこの娘は星富紫、そのスキルは言葉だけじゃない。言行一致、行動もこなす。実際のアプローチでも押してくるからこの娘は一層タチが悪い、気付けばグイグイ押されてしまうのだ。紫は弁当箱から卵焼きを箸でつまんで弁当箱を左手で横にずらしつつ、空けたスペースから箸を持った右手右半身を前に寄せてレンくんに「これあげる。はい、あーん」と卵焼きを差し出して来たんですなあ。親愛構築、よくやるわ。
そのままレンくんが食べるか断るかと思ったら……彼は座った姿勢のまま、まったく動かず微動だにしない。これこそ心底不思議な目で、紫のことを見つめてる。その上こんな言葉を放ったわ。
「あーんって、どういうこと?」
またきたか……当たり前の常識をほんとに知ってない、レンくんの真実が出た瞬間ね。箸を差し出した紫は「え〜っ」って表情を出して戸惑っちゃってる。しょうがない、ここはひとつ、わたしが助け舟を出しておこう。貸しにもなるし。
「紫ちゃんはレンくんに自分のおかずを食べて欲しいんだよ。あーんってされたら口を開けて受け取るんだよ」
「そうなんだ。でも紫の卵焼き、届いてない――ああ、こうすればいいだ」
そう述べたレンくんはいきなり卵焼きを差し出していた紫の右手手首を掴んで引っ張り、自分の口元まで持ってきて食べた。
「きゃっ」
一体何が起こったかって? 素早いレンくんのアクションに身体ごと引っ張られた紫は体勢を崩して、向かい側のテーブルに右半身を倒す格好になったのよ。太腿から大っきい胸まで完全にテーブルに密着していて、右の胸なんて形を変える程圧し潰されていたわ。唯一の救いは体勢を右寄りに崩したことで、左にずらしていた残りの弁当箱に覆い被さらなくて済んだ点でしょうね。それにしてもビックリだわ。自分の方から受け取りにいくって発想はレンくんにはないんだね。でもある意味当然かもしれない。あーんの意味さえ知らなかったんだから。
レンくんは卵焼きを紫の箸諸共口に含んでもっくもっくと食べていた。凄い間接キスっていうか、唾液混合がされていたわ。そういう躊躇いもレンくんにはないみたいね。テーブルから見上げている紫もこれには戸惑いからなんか興奮じみた表情へと顔色を変化させていたわ。当然でしょう、擬似間接キスだもの。
「食べ終わった。ありがと」
そう言ってレンくんは口から箸を、掴んだ紫の手を離す。手を離すと言っても引っ張ったままその場で離すというのではなく、最初に力を抜いて、前のめりになっている紫を動けるようにしてからそっと元の体勢に戻るようにナビゲートして、手を離していたわ。レンくんにアシストされる形で紫も流れに沿ってぺたんとおしりを椅子に戻す。そしてこの娘は左手をほっぺに添えてこう語ったのだ。
「はあ〜びっくりしたー。でも、ここまでお近付きになったなら、十分お友達になれるよね?」
だから気が早いっつーのよあんたは。とかわたしが声に出さずにつっこんでいたら紫はレンくんが口をつけた箸で躊躇うことなく残りのお弁当を食べはじめた。満面の笑みで。おかずもご飯も旨さ300%増しって陶酔した笑顔でよ。
「ん〜、おいしー」
箸が止まるわ。少し引くわー。あんたが押して圧をかけるから下がるしかナイワー。立場守るためにもね。
レンくんの予想外の言動さえポジティブに捉えてアプローチをやめない、遠慮の欠片も無い紫の姿を第三者的立場から身構えて眺めつつ、ワタシも残りのお弁当を食べたわ。どことなく味の記憶が消えていたのは内緒よ?
昼食も、その後の昼休みも、午後の授業も終わり、HRも終わる。放課後が始まる。わたしは教科書ノート一式を入れた鞄を机にもちあげた後、その手で指で、レンくんの背中をつんつつーんって突く。紫とは違う、稗田朝火のアプローチサインを受け取ったレンくんはわたしの方に振り向いて、「何か用?」と尋ねてきた。
「もう帰るの?」今度はわたしが訊く。
「予定はない」レンくんが答える。
「なら今日の放課後をわたしにちょうだい。探偵同好会にお招きしたいの」
隙を挟まずわたしはレンくんへお誘いの言葉を贈る。下手に間を取ると紫が割り込んでくるからね。帰宅部だけど学校内外問わず友達と距離を縮めるために部活にも参加したり、外で遊んだりする星富紫に。
案の定紫はこっちを見ていた。でも、心底悔しがっている様子は顔に出してない。むしろちょっとだけ残念って表情。わたしも付き合いがあるから、こういうときの紫の事情は、大体わかる。
「あー、アサヒちゃんいいなー。ワタシも行きたいけど、今日の放課後は別のお友達との約束があるから行けないよ。レンくんがこっちに付き合ってくれればいいんだけどなー。うぅっ?」
紫はそれ以上の言葉を発せなかったわ。レンくんがわたしの手を取っていたから。唇をすぼめる紫を相手に、レンくんは一言、助言を贈る。
「早い者勝ちだ」ってね。
「ぶー、しょうがないなー。でもわかったっす。明日はレンくんと一緒にいれるように予定を開けておくもんねー。早い者勝ち、でしょ? レンくん」
「そうかな。そうなるかな」
レンくんは珍しくはっきりしない受け答えをした。でもそれを追及するより早く、紫は「お友達が待ってるから。じゃーねー、また明日ー」と肘から上だけ上げて手を振り去って行く。後に残ったのはレンくんとわたし、そして外野のクラスメイトたちがちらほら。わたしはレンくんの手を握り返して引っ張る。
「じゃ、行こう。こっちだよ」
「ああ、頼む」
レンくんと手を繋いで、わたしは部室に歩を進める。引っ張る手には力が籠り、足取りは軽やかに、スキップ一歩手前だ。そんな調子でわたしはレンくんを、部室棟の一角に位置する物件、探偵同好会の部室へと招き入れた。
ガラッと横滑り式のドアを開けると、そこに揃っている、わたしの部員たち。
「お帰りなさい、お姉様。レンさんもようこそ。昨日ぶりですね、桜ですよ」
「ご客人とは珍しい。私服はさらに珍しい。なるほど、君が噂の私服留学生、レン君だね。橘研司です、よろしく」
「うおっ、銀髪! しかもジーンズとかいいのかよ。俺の書いている作品よりキャラ立ってるじゃねえか……ああ在原水輔だ。まあ座んな」
いつも部長のわたしより早く部室にやって来る三人の部員たち。
橘研司、在原水輔、そして後輩で居候の小野桜が客人のレンくんを迎え入れる。いよいよもってこの会が動き出す気がしてならなかった。
だからわたしもレンくんに向き直って、部長として挨拶する。
「ようこそ、探偵同好会へ」ってね。
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