第3話 席替えから近付く女

 レンくんの前で最後の探偵を名乗った翌日。わたしは携帯のアラームで目を覚ます。足のあたりには肉の感覚。ああ、一緒に寝ている桜の足が乗っかってるんだわ。

 え? なんで桜と一緒に寝ているかって? そりゃもちろん、ルームメイトだからよ。ここはわたしの稗田家だけど、桜はわたしの妹分を名乗ってうちに居候しているからね。詳しい経緯? 長いからまた今度ね。

「桜。時間よ。起きて」

「ふぁあ〜い。おねーさまー」

 グーの手で目を擦りながら上体を起こす桜を尻目に、わたしはベッドからおりて身支度を整える。下着、制服、身だしなみ。着替えとおしゃれに気をつけている方かもしれない。でもモテたいとか思ったことはないわ。どっちかって言うと、この丁寧さは教師陣の受けを良くするためかな。パッと見てすっぴんや保湿ケアもできていない女子生徒とできている女子生徒じゃ内申違うと思っているから。エリート校の総合第六に通っていると、成績以外でも点数稼がなきゃいい番号を回してもらえないからね。だからって度が過ぎるとお灸を据えられるけど。「適切」のギリギリを見極めなきゃいけない、割と気を遣う作業よね。

 わたしに続いて桜も身支度を整えたら鞄を持って一階のダイニングルームに向かう。まあLDK構造でリビング・キッチンと一体化している部屋だけど、食事の机はダイニングなのが稗田家ルール。間違ってもリビングの机で食事はしない。あそこで食べられるのはお菓子だけよ。

「おはよう、お母さん」

「おはようございます、お義母様」

「おはよう、朝火、桜ちゃん。二人とも今日は早いのね」

 わたしのお母さん――稗田美人(ひえだ おとめ)が顔を向けてこっちを見て言葉を返してくれる。でもキッチンで料理中の手は止まってない。まな板とIHクッキングヒーターの間を行き来しながら動くお母さんは、おはようの挨拶から二分足らずでわたしたちの前に朝食を配膳してくれる。茹でた野菜がメインのおかずが大体ごはん一杯分くらい、あとの主食は……うちではシリアルだ。自分達でシリアルフードの袋と牛乳を取って来てボウル型のお皿に盛りつけて食べる。稗田家の朝のエネルギー源は米ではないのよね。日本人らしからぬ? 反論できないわ。

 そんな周囲から見たら変わっている、でもうちではずっと変わらない食事を、いつもより早い時間帯に変えて食べる。なぜ早いのって? ふふふ、勘のいい読み手さんだこと、そんなの決まってるわ。

 レンくんと一緒に登校するためよ。

 我が家から六高までの登校ルート上にレンくんの住んでいるマンションはない。少しだけど迂回する必要があるわ。当然時間もかかる。ならはやく朝ご飯。どう、シンプルな思考結果でしょ?

「ごちそうさま」

「ごちそうさまでした。お義母様」

「おそまつさま、いってらっしゃい」

「うん。歯磨きしてからね。桜」

「はぁい」

 わたしと桜は食器は机に置いたまま鞄を持って洗面台に。稗田家の洗面台は横に広く、蛇口も二つあるから便利。二人同時に歯磨きと身だしなみ最終チェックをしてから、玄関で靴を履き、登校開始。

「いってきまーす」

「はい。いってらっしゃい」

 お母さんの声を背中に受けて追い風に。最後の探偵の登校開始よ。


 マンションの前で待っていると、レンくんが出てきた。レンくんの格好は昨日と変わらない。白い長袖のシャツに色褪せた黒のジーンズ、よくよく見ると靴も革靴ではなく、スポーツシューズだったわ。靴ひもがなくて、ジッパーで開け閉めするタイプの靴。つくづく思う。なんでこれで登校できるのかと。

 でも通学路上でわたしと桜がその手の質問をしてもレンくんは「不許可だから、答えられないな」でブレない。鉄面皮ね、難攻不落だわ。だけど不許可の返事が返ってくる質問を何度も飛ばしてわかったことがある。レンくんの表情変化、と言ってもゲームのキャラの立ち絵みたいに表情差分があるとかじゃない。レンくんに至ってそんな見て判るレベルの変化はないわ。

 むしろレンくんの表情変化を見分けるポイントは表情以外にあるってことが判ったの。返事をする声色だったり、返事を返すまでの秒数の差分だったり、レンくんの目の透明度とか、そういった要素が、ポーカーフェイスに見えるレンくんが実は、それなりにどころか彼なりに常に真摯に答えている、悩んでもいるって教えてくれる。これがわかっただけでも一歩前進よ。探偵は見るだけでなく観察するものだからね。

そしてわたしはレンくんにそっと耳打ちするように話しかけながら、通学を楽しんだわ。中々言えることじゃないわよ、この台詞。


「おはよー」

「おーはー」

「おはようさん」

「あっ、レンくん。おはよう」

 わたしとレンくんが学校に到着したのは始業ベルの二十分前。わたしは自分の机に鞄を掛けてからクラスメイトたちに群がられるレンくんと離れ、職員室へ向かう。担任の響子先生に席替えの提案をしに行ったの。これからレンくんの観察をやっていくには席が近いことが必須でしょ? 最低でも隣前後の席に座りたいじゃない? 悪だくみ? 当然仕込みますとも。事勿れで流されやすく、生徒の自主性を重んじるスタンスの響子先生に許可をもらうのは容易いこと。でもくじは先生の見ている横でわたしが作る必要がある。先生が監視してました、公正ですよって大義名分のためよね。

 そこも悪だくみの範疇よ。先生の前でわたしが作る即ち、ルールはわたしが決められるってこと。わたしはポストイットを必要分頂戴してくじを作り、職員室になぜかあったパーティ用のBOXも借りてその中にくじを放り込み、先生と一緒に始業ベルよりも早く教室に戻ったわ。席替えにも時間がかかるからね。始業ベルの八分前ね。

 先生が予定より早く教室に現れると、

「みなさーん、おはようございまーす。もう全員集まっていますね。実は稗田さんの提案で、そろそろ席替えをしてはどうかって話になりました。先生の前で稗田さんにくじを作って貰ってこのボックスに入れてあります。このクラスは昨日レンくんを迎えて二十六人になりました。ボックスには1から26までのくじが入っています。それが窓際前から1〜6、次の廊下側前から7〜11って具合です。せっかくなので最初は留学してきたレンくんから引いてもらいましょう。くじをみるのはみんな一斉にです。みんな引ききるまで開いてはいけませんよ。では発案者の稗田さん」

 と話しかける。まだ教室を座ったり立ったりしていた生徒達も、一斉に自分の席に戻る。BOXを持っていたわたしは「はい」と返事をして窓際最後尾に座っているレンくんにBOXを差し出す。レンくんは以外としっかりした作りの、ゴムカバーの付いているBOXに左手を入れてガサゴソと中身を掻き回したあと、くじを取り出す。グーの手できつく掴んだせいか、レンくんの取り出したくじは丸くくしゃくしゃになっちゃっていたわ。

「レンくん、まだ開かないでください。では次の子に。稗田さん」

「はい」

 そうしてわたしは6番席のレンくんから1番席まで、次に7番席から後ろヘ前へとクラスメイトたちにくじを引かせていったわ。みんなが引いたくじを机の上に置いて待つ中、最後、廊下側最前列、22番席に座っていた男子、サッカー部の頃取拓真(ころとり たくま)にくじを引かせて終了。わたしがBOXを教壇の前に戻したタイミングで響子先生は「では開いてください」と告げる。みんなが一斉にくじを開ける。その記されていた番号に皆が一喜一憂ざわつく中、手を挙げた生徒が一人。黒髪ロングの美少女で我が6組の委員長、畔柳瑞湖(くろやなぎ すいこ)ね。

「すみません。わたしのくじ、重なっていて二枚分あります」

「はい? おかしいですね。稗田さん、27番まで書いたんですか?」

「いえ、先生。違うと思います。発案者でボックスを回していた稗田さん自身が引いていないんです。稗田さん、中にくじありますか?」

「あっ……」

 すっかり失念していた。わたしは係に徹するあまり、くじを引くのを忘れていたのだ。みんなの視線が集まる中、わたしは慌ててBOXの中に手を突っ込むけど、紙の感触は見当たらず。「ありません」と告白した途端、クラスに「クスクス」って失笑されちゃったわよ。

「しょうがないですね」響子先生が呆れた口ぶりで喋ってくる。

「畔柳さん、その二枚分のくじの番号は?」

「6番と7番です」

「しょうがないですから稗田さんと畔柳さんで合議してどっちか決めてください。もう……困っちゃいます」

「あのー、だったらわたし」

 ここでわたしが手を上げて、畔柳さんに、否、迷惑かけたクラス全員に話しかける。

「ワガママ言って何なんですけど、わたしちょっと遠視気味で、教卓に近い7番だと見辛いかも……眼鏡かけてないし、6番を望むわ。いい、畔柳さん?」

「ええ、いいわよ」

 畔柳さんが6番のくじを差し出してくれたので、わたしは平身低頭の体でそれをありがたく拝領しました。

「では、これで全員わかりましたね。変えた席に移ってくださーい」

 響子先生の号令がかかり、みんな荷物をまとめてくじで決まった席に移る。わたしの席はレンくんの座っていた席ね。そしてその前には――。

 5番席のくじを引いた、レンくんが座っているわ。


 ええ、作戦通りの結果ですわよ?


 こうなることはほぼ必然。だって全部わたしが根回ししていたんだからね。下準備って大事。この結果は「勝負は始まる前から決まっていた」パターンだと思ってください。

 そんなわけで、わたしはレンくんの真後ろという絶好の観察場所を確保できたのです。改めて見てみると、レンくんの背中はおっきく見えるね。ただ見るだけならそれほどでもないと判断できるけど、観察眼で見ればその背中になにかおっきいものが隠れているのが見えるの。巨大な秘密? きゃあーどうしよう――なんて妄想も悪くないと思っちゃう。

 と、そんなレンくんに横から話しかける女子が。昨日わたしの質問攻めに割り込んで来た高コミュ力女子の星富紫。すっごく嬉しそうにレンくんに話しかけているわね。しゃべくり倒されてレンくんは返事する暇もなし。他の席は眼中になかったから放置したけど、紫がレンくんに積極的に話しかけることのできる隣席に来たっていうのは――面白くなりそうって思っちゃうわね。きゃっ。

「それでは私語はやめてくださーい。HR、始めまーす」

 響子先生のコールがかかって紫はレンくんから距離を取って教卓を向く。わたしは先生なんてお構い無しにずっとレンくんの背中を観察してたわ。

 小さな一歩を踏み出した実感を、与えてくれる背中がある。

 その満足感を噛みしめるほど、わたしは席替えを謀ってよかったと思ったの。

 これからますます観察するからね、レンくん。

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