第2話 わたしは最後の探偵を名乗る

 一限目が終わって以降もわたしは休み時間になるたび、レンくんの机に飛び入り、いろいろ質問してみた。けれど、ことごとく空振りに終わったわ。

 以下例文を要約したもの。参考にならないわよ、多分に……ね。

「レンくん、なんで日本に留学しに来たの?」

「おじさんに手配されてね。『此処に行け』って」

「レンくん、日本語上手だよね」

「入国してから憶えたよ。此処に来るまでの六日間、ずっとラジオを聴いていた」

「レンくん、いっしょにご飯食べよう。あれ、どこ行くの?」

「外。まとまった時間は外か部屋にいたいから」

「レンくん、もうお弁当食べたの? どこ見てるの?」

「空気とおしゃべりしていたんだ。明日は太平洋沖って言ってる」

「レンくん、授業中ずっとノートとってなかったけど、いいの?」

「大丈夫、黒板も教科書も全部頭に写したから」

「レンくん、今興味のあることって何?」

「みんなと……ああ、ゴメン。不許可だ」


 ――ってな具合ですよ。わかる? 彼の具体像。わたしは全然わかんない。はぐらかされている感がハンパないのよ。というか電波を疑ったわ。『空気とおしゃべり』の件に関しては。

 でもわたしも、そしてわたしに先を越されたものの同じようにレンくんの机の周りに集まっていたクラスメイトみんなも、レンくんの発言が嘘だとは思えなかった。わたしたちの質問に答えてくれるレンくんの瞳はとても真っ直ぐで透き通っていて、鏡のようにわたしたちを映していたし、言葉遣いにも声色にも正直さが滲み出ていたのよね。なんて言うんだろうなあ……その在り方が当たり前とでも言うのかなあ。何にも困った様子を見せないし、何を嫌がっている風でもない。それが態度で見てわかるから、これは持って生まれた天性のものだとわたしは確信したの。


 そしてHRを終えて下校が始まると、わたしはレンくんの机、じゃなくて部室に校則違反級改め人類新記録級の走りで駆け込んだわ。横開きのドアを投げ開けると、そこに揃ってる我が探偵同好会の部員達。

 橘研司、在原水輔、小野桜の三人が。

「どうしたんです部長、魚の楽しみを知ったかのような面持ちで」

 研司の質問にも答えずにわたしは桜の腕を掴んで引っ張った。

「荷物まとめて」

「お姉様? ひゃうぅ?」

「これから彼を尾行する」

「彼って誰です?」

「早く! 下校されたらアウトなの!」

「はっ! はいぃっ!」

 桜に下校準備を促すわたしを見て、奇異に思ったんでしょうね。悪戦苦闘の小説家見習いこと水輔が頭を上げて声かけてきたわ。

「なんだどうした部長? 尾行なんて、探偵っぽいことリアルに言い出しやがって。謎なモンでも見つけたのかい?」

「見つけたわ」

 間髪容れずに答えてやった。今度は部員達がキョトンとする。

「わたしの6組に今日レンって名前の留学生が来た。制服着用免除、核心に触れられると『不許可』って言って探らせない謎な人物がやってきたのよ! もっと彼の事が知りたい、後をつけたい尾行したい! だから桜連れてくから! 戸締まりは宜しくね、研司、水輔!」

「準備できました。お姉様!」

「よし、行くわよ」

「らじゃー」

 わたしは部室に背を向けて、ドアも閉めずに教室へリターンダッシュ。桜もその後をつけて走ってくる。研司と水輔の気配はない。まあ追っては来れないでしょうね、後始末全部擦り付けたんだもの。

 階段と廊下を全力疾走してわたしは教室に戻ったわ。まだ居て欲しいと願っていたけど、それは叶わなかったわね。机にはもうレンくんの姿はなかったわ。ならばやることは?――情報収集。桜が追いついたタイミングでわたしはレンくんの机から教室の内側に振り向いて声を張ったの。

「レンくん帰ったの? いつ? 家どこだって?」

 矢継ぎ早に三本の問文矢。一本くらい刺さって欲しいと思ったところ、見事ヒットしたわ。

「レンくんならついさっき教室を出たばかりよ。多分一分も経ってないし。追いかければ捕まるんじゃないかな?」

 クラスメイトのチア部レギュラー笹ノ葉花絵(ささのは はなえ)が欲しい答えをくれたわ。花絵ちゃんナイスプレー! ナイス応援! チューしてあげたい。ほっぺにだけど。

「ありがと花絵ちゃん。これから尾行してみる。これ、情報代ね、使い切っていいから。桜、行くわよ!」

「さぁーいえっさぁー」

 わたしはブレザーの校章付き胸ポケットの中に入れていたアプリマネーのプリペイドカード、1,500円分の使ってないやつをそのまま花絵ちゃんに放り投げ、教室の外でこっちを伺っていた桜の二の腕掴んで再度脱出。今度は桜と並んで走る。桜はちゃんとついてくる。当然でしょう。だって桜、わたしより足早いし。100m走で0.4秒もね。てか11秒12ってタイムなら十分陸上部でやっていけるとわたしも思ってる。


 総合第六高等学校の下駄箱は階段を上がった二階部分にあるわ。それがどうしたって? わたしよりバカね、察しなさいよ。

 間に合ったのよ。下駄箱で上履きから外靴に履き替えて桜と合流して外に出て階段を見おろした光景の中に、彼が――レンくんの姿があったの。

 ここでわたしは桜の肩をつかんで急ブレーキ。呼吸を整えつつ桜に彼の姿を指差して教える。

「桜、見える? あの白いシャツと黒ジーンズの私服姿の銀髪の子、あれがレンくんよ」

「ひゃぁーあの人ですかあ、お姉様を謎でときめかせていやがりますのは。怪しくは……なさそうですね。お姉様、ホントにあの方つけるに値する謎っ子なんですかあ? ――むぎゅ!」

「騒ぎ立てないで。静かにつけるわよ、いいわね」

「ぷひゃっ……は、はぃ」

 ヘタすりゃこの場で騒ぎそうだった桜の口を手で塞いで念を押してから、レンくんの姿を見失わないようにしつつ、下校生徒の一人二人として奇を衒わずに下校を装う。尾行の始まりよ。


 総合第六高等学校があるのは、仮名(かな)市。人口30万人弱で、海はあるけど山はない、内陸まで起伏のない平地の土地にわたしたちは住んでいる。

 レンくんをつけて我らが仮名市をわたしと桜は行ったり来たり。彼はバスにも電車にも乗らず、流れるように道路を歩いて街の中心部に向かっている。電柱の陰に隠れるなんてことはしないわ、こっちは二人掛かりだし。可能な限り曲がり角の陰に身を潜めて、息を殺して気配を消す。そして彼が視界から消えそうになるたびに飛び出して後ろをつける。下手だとは理解してるわよ。プロじゃないし、未経験だし。でもできる限りの全力を尽くしていた成果かしらね。レンくんには気付かれることなく、着かず離れず、その後をつけていたわ。

 で、午後5時くらいにマンションが建ち並ぶ宅地エリアに入っていったの。大型マンションが多い、最近開発された宅地だから、わたしたちも曲がり角に隠れる芸当はできなくなったわ。歩道幅が広くなって、一戸建てが少ない地域――曲がり角そのものがないのよね。わたしと桜は作戦変更。学校指定のカバンの中に入れていたジャージを取り出してブレザーの上から着用して見てくれを偽装したのよ。いくらレンくんが窓際生徒だって言っても、来た今日の日に第六指定のジャージまで見分けられるとは思ってないから。なにせレンくん、私服登校生だし。


 ところが。

 衣装チェンジしてからの尾行は思わぬところで足止めを食った。レンくんは複数のマンションが並んだ路地で突如立ち止まり、歩道に植樹されていた木に寄りかかってマンションの上を見上げてそのまま動かない。ひとつ離れたマンションの手前にあった公園に潜んでその様子を観察するわたしと桜。ひそひそ声で密談も始めたわ。

「レンさん、なにしてるんでしょうねえ。ずーっと夕方になって白く霞んだ空を見上げてますよ。あれ、お姉様? なにされてますの?」

「携帯のカメラ使った望遠鏡アプリ起動してるのよ。これでレンくんの顔色を伺えるわ。桜、あなたは」

「わっかりましたあ、わたしも望遠鏡アプリで――」

「そこの自販機でコーヒー買って来て。ホットね」

「ぎゃむっ! はぁい……」

「頼むわよ。これ多分持久戦だわ」

 桜をパシリに使って買って来させたコーヒーを飲みながら携帯画面に映し出されるレンくんの表情を録画する。ホームシックを語ったときと同じ、憂いを含んだ儚い肖像に。その一瞬、わたしは意識が頭から離れていく感覚を覚えた。まるで魂が身体から引き剥がされるみたいな、不思議な感覚を。

 そのとき、見たの。

 レンくんの目尻から涙が溢れ落ちているのを。

 どっちの目で見たのかしら? 意識の目? それとも身体の目? よりにもよって身体と意識が離れた時に見えるなんて――。

 ううん……離れなければ、離さなければ、見えなかったのかもしれないわね。

 謎解きに調べものに夢中になっていて視野の狭かったさっきまでのわたしじゃ、彼の感情を汲み取ることなんてできなかったでしょう。

 だとしたら、なんて皮肉で、僥倖で、救いのある今なのかしら。見落としていた大切なものに、足下に落ちていた宝物に、気付けたのだから。

 レンくんが泣いている訳は、なんとなく分かる気がする。でも、わたしはそれに寄り添うことができない。彼の孤独、望郷の思いは彼にしか分からないものだから。

 だからわたしたちは、次の動きまで、ずっと公園で張り付いていたわ。


 気付けば、夜になっていた。

 時計は午後9時を過ぎている。あれから4時間近く、彼は歩道の木にもたれかかったまま、微動だにせず、動かない。

 わたしも桜も動かない。『忍び耐える』ことを信条のひとつにしているので、決して折れない。諦めない。次の動きが来るまではと、じっと公園から覗き続ける。春先から初夏にかけての夜は気温が下がると心配してくれたなら大丈夫、スカートは丈気持ち長めにしてあるし、ジャージを着込んでいるからね。

 それでも予想外って言えば肯定するしかない。持久戦を覚悟したけど、先の見えない展開に恐怖を覚えるのも事実。実際、桜がこんな弱音を吐いたくらいだもの。

「お姉様、今夜はここで野宿ですか? 家には遅くなるって連絡してますけど、もう人通りもほとんどないし、帰ろうとしても気付かれますよねえ」

「気付かれてもあなたはレンくんと面識ないから大丈夫だと思うけど。帰りたいならお先にどうぞ」

「いーじーわーるーぅ。わたしがお姉様一番主義なの、わかっているくせにぃ」

草の壁より低い地面スレスレにしゃがんだ状態からわたしの腰を揺さぶってくる妹分。わたしがその頭を抑えて止めようとした時だったわ。

 テルルルルルル……レンくんを覗いていたわたしの携帯に着信。発信先は電話番号表記。電話帳に登録してない誰か、誰かしら?

 登録外の他人であることはわかっているので拒否しようかもと思ったけれど、ここは出たわ。桜にレンくんの見張りを言い付けて、レンくんに背中を向けて電話に出て――。

 すぐにまた振り向くことになったのよね。

 だって、電話かけてきたの、他ならぬレンくんだったから。振り返った先のレンくんは、ちゃんと電話を持っていました。

「いつ気付いたの?」

『尾行している時は自分も尾行されてないか気をつけないと。後ろから吹き抜けた風が、私に教えてくれたんだ』

「じゃあ、ずっとそこに寄りかかっているのも」

『この正面のマンションに私の部屋がある。でもそこまで突き止められるのもどうかと思って、我慢比べ』

「なるほど、完敗ね」

 観念したわたしは肩を竦ませ、茂みから離れて公園から歩道に出た。慌てて追いかけて来た桜も、電話を持って対面するわたしとレンくんを見て察したみたいで、余計な口は挟まない。その気になれば直接声を届けられる距離感を、わたしたちはなぜか電話で話している。不思議? 全然。距離も装置も関係ない。わたしとレンくんが街灯が照らす歩道の上、目を合わせて話し合っていることに意味があるんだもの。

『どうして私に探りを入れるんだい?』

「レンくんが謎めいた人だからだよ」

『他に謎はないの?』

 ありえない台詞を、彼は本心から話している。声でそれがわかっちゃう……だからもう、怒りなんて感情は、とっくのとうに無くなっていたわね。彼が真実なんだもの。

「ないよ。この世界に謎はない。人間が解決できる謎は滅んでしまったの。だからレンくん、君がこの世界最後の謎なんだよ」

『そうなんだ』

「そうなの。ねえ、最初に話しかけた時のこと、憶えてる?」

『うん。君は「調べなきゃ気が済まない」って私に言った』

「そうだよ。だから……」わたしもこのとき、涙を零した。

「わたしは最後の探偵として、あなたの謎を解き明かすわ。あなたのことが知りたいの。愚かだと断じられても、これが持って生まれた性分だから。生まれて初めての衝動だから――でも、もしあなたが」

『いいよ、許す』

 零していた涙が表情筋の動きと見開いた目で弾け飛んだ。一気に視界が鮮明になる。涙で滲んだ目の前の景色が、魔法にかかって幻になる。

 その幻の中、レンくんが笑ってはいないけど、穏やかな表情でわたしの顔を包み込む。ダメだよこんなの――好きになっちゃうよ。

『質問には「不許可」と言って君を失望させるかもしれない。私には迷惑かもしれない。だけど君がそうありたいと願う在り方を「不許可」と断じることは、私には出来ない。私が許す。朝火、君はこの世界最後の、探偵だ――』


 名乗っただけの自称のはずだった。

 それなのに、許してもらえたのよ。

 こんな嬉しいことってあるのかな?

 ううん、今を生きるわたしの本体本心が言っているわ。


 この『許し』こそ、人生で最も貴い、歓喜の体験なんだって。

 

 こうしてわたし、稗田朝火は探偵になった。この世界で、最後の探偵に。

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