レン、この世界最後の謎
心環一乃
第1話 君は不思議そのもの
情報化と情報管理が行き届いた現代――。世の中に"不思議"はあっても"謎"は無くなっていた。膨大な個人情報のビッグデータが絶えず蓄積されて、わたしたちのやることなすことは全て記録される。そんな社会にわたしは生きている。
不満があるわけじゃない。だって世の中平和だし。犯罪が無くなったわけじゃないけど、1日も経たずに解決するのが現代の常識。昔あった映画では、『犯罪が予測可能』といった内容の映画もあったみたいだけど、それに近いこともできている。
全ては月に自然装置の知性演算器『ビッグアイ』が造られて、その子機である人工衛星が地上の全てを監視するようになってから。それ以来、"謎"は生まれなくなった。わたしたちの行動は人工衛星の監視を通して光でも1秒かかる遠さの月のビッグアイに知らされる。膨大なデータを天才なシステムがあっという間に処理し、忖度もするビッグアイがもたらす情報で、地球の社会は成り立っている。善い方向に。犯罪は減ったし、戦争も10年に一度有るか無いかにまで減った。お天道様ならぬお月様が見ていて、度を越して悪いことすれば社会的制裁が与えられることを王様から奴隷まで知っているからね。軽い嘘やイタズラなら忖度の範囲内だけど、いじめやパワハラは処罰対象。何とも平和な世界になったことですこと――。
でも、個人的には、ちょっとつまらない。
わたし――稗田朝火(ひえだ あさひ)が謎を求める人間だからだ。わたしは探偵物のドラマのファン。リアルタイムで起きる謎を解明しようという脚本が楽しくてしょうがない。それに憧れて『探偵同好会』を創設してみたけれど……まあ、ものの見事に見当外れだったわね。集まった生徒はわたしを含めてたったの四人。そして四人全員がこれでもかってくらい纏まらないんだもの。
探偵小説でもない、中国の古典を読み耽っている男子、橘研司(たちばな けんじ)。
新しい探偵小説を書こうとしているものの絶賛難航中の男子、在原水輔(ありはら みすけ)。
そしてただ単にわたしを慕って入って来た後輩の女子、小野桜(おの さくら)。
同好会を設立して二年目になっても集まったのはこれだけで、しかも纏まらない有様。唯一共通している日課は、放課後になったら同好会部室に毎日やってきてそれぞれの時間を過ごすだけ。まるでカフェ、もとい誰かの自宅に上がり込んでる気分ね。同好会という体で集まったはずなのに、誰もが自分の世界に引きこもっているのよ。
でも、そうなるのもわからなくはない。この世の犯罪は全て解決される現代、わたしたちが求めるシチュエーションは、もう現実には起こり得ないのだから。探偵なんて意気込んでも、それより先にビッグアイが解決しちゃう。圧倒的な早さと権力で。それでモチベーションを高めようなんて方が無茶だったのよ。
そんな風に悟ってしまいながら、惰性で探偵同好会に通い続ける、平穏な日常。
学生らしく勉学に勤しみ、身体を鍛え食事をとって、社会に相応しい大人にステップアップするだけの学校生活を送っていたわたしの前に――。
彼が、現れたのよね。
「レンといいます。よろしくお願いします」
留学生の彼はそう名乗った。猫背気味に丸まった姿勢で、頭を屈めてこっちを見ながら。目つきは良くもないが悪くもない。三白眼ではないけど、眼光鋭い方じゃない。髪は銀髪短めの癖っ毛で総じて後ろ向きにはねている。なによりも驚かされたのはその格好だ。総合第六の制服であるブレザーでもズボンでもなく、襟のない白い長袖シャツに色落ちした黒のジーンズと、完全に私服姿で教壇の上、先生の横に立っているのだ。その男は。
驚いたのはわたしだけではない、クラス全員が目を見開いて彼を見ている。一体何があれば国内のエリート校と名高い総合高に制服も着ずに登校できるのか。
留学生だから? いやいやいや、理由が弱い。弱すぎる。もっと何かあるはずなのだ。合理的に説明をつけられる、確固とした論理的証拠が。
瞬きもせずにわたしが彼を観察していると、教壇の横にいた担任の先生――26歳独身の平泉響子(ひらいずみ きょうこ)先生がざわつくクラスをなだめようと、教壇の上から下の机一同に言葉を発してきた。
「レン君はとある事情で制服着用を免除されていますので、明日以降も私服で登校することになります。みなさんも不用意に騒ぎ立てないでくださいね。騒ぎになると連帯責任取らされちゃいます。先生も辛いです……」
大人の事情なんかどうでもよかった。わたしの目に入っていたのは窓側最後列に一個だけ残っていた空き机に向かうレンくんの姿だけ。誰とも目を合わせず、窓の向こうに目をやって机に座る銀髪の少年。
凄くそそられたわ。生まれてから最高に興奮しているのが今だと言えるもの。
HRが終わるとすぐ授業。これほど時間割を恨めしく思ったことはないわね。次の休み時間を一日千秋の思いで待ち焦がれたわ。授業? そんなもの聞いちゃいないわよ。
そして一限目が終わるとわたしはマッハでレンくんの机に乗り込んだ。他の女子よりも男子よりも、立ち上がろうとしていたレンくんよりも早くだ。
「レンくんだよね。ちょっと話、いいかな?」
わたしがレンくんの机に両手を着いて、走ったせいで荒ぶった息でゼーハー言いながら話しかけると、椅子ごと机からちょっと仰け反っていたレンくんは何か観念したように両手を下げてこう応じたの。
「いいよ。で、君の名前は?」
「おっと、これは礼儀知らずだったわね。ごめんなさい。わたしは稗田朝火。この第六高で探偵同好会の部長をしているわ」
「探偵……」レンくんがちょっと声色を曇らせた。
「そうなの。もう謎があると解きたくてしょうがないっていうか、ううん、違うわね。ええと……ああ、あれ、調べずにはいられない性分なのよ。わたし、探偵ドラマが好きだから『不可解なことには絶対理由がある』って名言を信条にしちゃっているのよね。でー色々訊きたいんだけど、まずはこれかな。レンくん、君はどこから留学して来たの?」
わたしの投げた第一問。背後3mくらい離れたところで、男子女子問わず集まって聞き耳立てていたのが手に取るようにわかったわ。レンくんの答えが得られるまでの間、クラス全員が固唾を飲んで、呼吸のリズムをシンクロさせていたもの。
ところがレンくんから帰ってきた返答はかなりぶっ飛んだものだった。彼は窓の外を指差してこう言ったのだ。
「あっちからだね」
ハイ? アッチカラッテ……?
同じ方角に右手人指し指を向けて、わたしは訊いた「あっち?」と。
するとレンくんは「うん。間違ってはいないと思う。私はあっちの方角からやってきたんだ。この第六高に」
え、えええええぇ〜。
意味がわからない。あっちに何があるのだろうか。もっとこう、どこの国とか街とか、そういうものを想定していたもので――。
テンパってしまったわたしの横に、女子が一人、寄ってくる。茶髪のショートカットで快活で話し上手で友達多くて胸も大きい人気者のクラスメイト、星富紫(ほしとみ ゆかり)ね。両手をスカートの後ろで組んで、腰から上を下げてレンくんに視線を合わせてくる。胸を目立たせるあざといポーズでわたしたちの会話に割り込んできたのよ。
「あっちかぁ〜。ほらアサヒちゃん、携帯出して」
「えっ? ええ?」
「ええーじゃないでしょう? コンパスアプリで方角、割り出してよー。それでも探偵同好会なの〜」
からかわれた物言いに不満が先に来たけど、ご指摘はどうもありがとうだったので、何も言わずに指示に従ったわ。コンパスアプリで割り出すと方角は南南東付近を指していた。それをわたしが言葉に出すと紫はわたしの立ち位置を奪ってレンくんに話しかける。
「南南東かあ、日本からそっちの方角には……東南アジア諸島とかオーストラリアとかも入るのかなあ? レンくんはそっちから来たの?」
いつの間に選手交代したのかしらと疑問と不満が湧き出るが、ここは紫に話させるのが僥倖と判断したわ。わたしの探偵スキルの低さは同好会部員にも指摘されている程なので、素直に観察者に徹することにしたの。
でも、レンくんの答えは要領を得ないままだった。彼は紫の質問にこう答えたのよ。
「南南東にはそういう国があるんだね。そっかあ……。残念ながら私はそれらの国から来てはいないな。でもたしかにあっち――南南東の方角だよ。私がやってきたのは」
「ええ〜なにそれわかんないよー。国じゃなかったらなにがあるのお?」
「故郷さ。私が生まれ、そして帰ろうと思う場所がある。今はこの国にいるけれど、留学が終わったら、私は帰るんだ」
留学に来ていきなりホームシック全開の発言に、クラス中が静まり返った。さらに驚いたのはその話をしていたレンくんの表情が、とても色っぽかったのよ。望郷の念を滲ませた憂いのある表情は女を虜にする魅力があったの。それに気付いてわたしがハッと横に後ろに目をやると、話しかけていた紫が息をすることも忘れて目の中の瞳孔を広げていたし、後部座席で聞き耳立てていた他の女子たちも口をポカンと開けたりしながら瞬きせずにレンくんを見ている。男子でさえ余計な言葉を発さない。これは何人か落ちたなと、わたしは理解したわね。
今度はわたしがフォローする番。石膏像みたいに固まった紫の背筋を左手の指でなぞってやったわ。感度のいい刺激に「ひゃんっ!」と嬌声を上げた紫はわたしに振り向くけど、わたしが視線は紫に、でも顔の方はレンくんに向けているのを見せると、得心したようでまた口火を切る。今度は両手をレンくんの机に乗せて、一層レンくんに迫る格好で訊く。胸まで机に乗りそうだったわ。
「レンくんの故郷ってどんなとこなの? きっといい場所なんだよね。私、その話が聞きたいな〜」
おねだりもここまで直球だといっそあっぱれと褒めたくなるわね。まあわたしもちゃっかり同席させてもらって観察させてもらおうとおもっているからお互い様か。
しかし、レンくんは紫の申し出を断ったわ。いつの間にってくらい自然にその右手で紫の頭を撫でて、彼はこう告げたの。
「ゴメンね。それは話せない。不許可な案件なんだ」
不許可な案件って……このご時世、聞いたこともない言葉だわ。ここまで秘密主義な男子は天然記念物並みに珍しいでしょう。男子だってある程度身の上話さないと、女子に好かれないからね。
でも、レンくんの場合は違っていたと思う。
わたしも、紫も、他の女子も男子も。これから学校生活を共にするみんなが、彼の秘密と謎に惹かれていったのだから……ねえ。
世界最後の謎を秘めた少年に。みんなが熱くなった――そんな一年が、始まったのよ。
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