第19話

「きて……起きてください。直次さん!」


 ゆさゆさと体を揺さぶられた俺が目を開けると、にこにこと笑う渚ちゃんがいて。

 彼女は俺が起き上がった瞬間に、勢い良く抱きついた。


「今日、朝からアルバイトなんですよね。急いでご飯を食べないと遅れちゃいますよ?」


「あ……そうだった。ごめんね、渚ちゃん。ご飯の準備、させちゃって……」


「全然大丈夫ですよ。いつもお世話になっているので、これくらいのことは朝飯前です」


「あと……そろそろ、離れてもらえると」


「ダメです。もう少しだけ、直次さんエナジーを摂取させてください」


 直次さんエナジーって何だよ。

 そんな疑問が脳裏に浮かぶが、決して口にはしない。

 ……最近の渚ちゃんは毎日こんな感じだ。

 家にいる時も、外にいる時も、俺にべったりで離れようとしない。

 俺がバイトの時や、彼女が学校の時はやむを得ず離れるが、別れる前に必ず抱きついて、エナジーとやらを摂取する。

 初めこそ、微笑ましく思っていたものの。

 今となっては、少し……いや、かなり異常だと思い始めた。


「大好き、大好きです。直次さん。ずっと……私だけの直次さんでいてくださいね」


 服に顔を埋めながら、俺に聞こえない声で何やらぼそぼそと呟いた後に、顔を上げた渚ちゃんの瞳は。

 ……ドロリと濁っていて。

 底知れない何かを感じさせるから。















 バイト終わり。

 最寄りの喫煙ルームでタバコを吸っていると、誰かがこちらに近寄ってきた。


「直次先輩。タバコやめたと思っていたのに、また吸っちゃったんですね」


「……佐藤か」


 にへらと笑う佐藤は当然と言わんばかりに、俺の隣に座る。

 そして、懐からライターを取り出して、紙タバコに火をつけた。

 因みに、銘柄はセブンスター。

 俺と同じ銘柄のタバコだ。


「やっぱり、止めらんないですよねぇ。私も先輩のせいで、立派なヘビースモーカーになっちゃいましたよ。まだ二十歳なのに」


「人聞きの悪い事言うなよ。お前が勝手に吸い始めたんだろ。俺は一切、勧めてない」


「憧れの先輩が吸ってたら、影響されちゃうものなんですよ……女の子って生き物は」


 目に見えて分かる冗談を口にした佐藤は、楽しげに煙を吐き出した。

 ……今思うと、彼女との付き合いは長い。

 ガキの頃に知り合って、なんだかんだで関係が続いている。

 中学の時の知り合いも、高校の時の知り合いも、自然と連絡が途絶えてしまったけれども……佐藤とだけは親しくしているのだ。

 小学校も中学も高校も、フリーターになっても同じバイト先で働いているのだから、腐れ縁というものは恐ろしい。


「そう言えば、先輩。一つ、お願いしたいことがあるんですけど……いいですか?」


「お願い、とやらの内容にもよるな」


「簡潔に言うと、私の妹に野球を教えてあげて欲しいんですよね。月に二、三回……1時間程度でいいんで」


「妹? 弟じゃなくて?」


「はい、妹です。女の子なのに、甲子園を目指している凄い子なんですよ。でも、中学校の野球部には入れてもらえないらしくて」


 なるほど。

 大方、事情は把握した。

 女子は甲子園に出れないのに甲子園を目指しているのか、なんて無粋な事は言わない。

 生憎、俺はフリーターなので時間ならいくらでもあるし、頼みを断る理由はない。

 そう考えた俺が了承しようとすると……不意に渚ちゃんの姿が脳裏に浮かんだ。

 何故かは、自分でも分からないが。


「ダメ、ですかね?」


「いや、いいよ。全然OK」


「助かります。立派な姉として、妹に救いの手を差し伸べたかったので!」


「……二十歳にもなって、定職についていないお前が立派な姉と呼べるのか?」


「ちょっと、先輩! それを言ったら、お終いでしょう! 同じフリーターとして!」


 けらけらと笑いながら、二人揃ってタバコの火を消した俺達は喫煙ルームから出る。

 すると、そこには。


「仕方ないから迎えに来てあげたわよ、お姉ちゃん……って、何でお姉ちゃんと変態ロリコン男が一緒にいるの!」


 先日、渚ちゃんと俺が抱き合っている姿を目撃した少女。

 佐藤の事をお姉ちゃんと呼ぶ少女が、俺を見て驚きの声を上げていて。

 デジャブを感じたのと同時に、世間は狭いな……と思ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

近所に住むクールな少女が実はめちゃくちゃヤンデレだった件。 門崎タッタ @kadosakitta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ