第14話

「しょうがないんだ。これはしょうがない…。これも家族が本当に幸せになるためなんだ…」


 おびただしい量の血を流して倒れている母と、血がべったりとへばりついている包丁を瞳孔を開いて凝視している父。


 返り血を浴びた父親が自問自答するように呟きながら、青ざめた顔で頭を抱え始めて。

 窓から差し込む月の光が、手に持っている銀色の刃を煌々と照らしている。


「おい、親父…。何、やってんだよ…」


 疑問の言葉が口から出る。

 けれども、俺の両足は目の前の惨状を直視したからか、小鹿のように震えていた。


「直次。お前も母さんの所まで送ってやるからな…。家族三人、天国で幸せになろう…」


 冗談じゃない。

 正直に言って、俺は既にお袋と親父には失望していた。

 常日頃から綺麗事を俺に聞かせて。

 再就職したくないという身勝手な理由で、人が来ない定食屋を閉めようとしない彼らに対して、俺は家族としての愛情を持てなかったのだ。


「やめろ。それ以上近づいたら、俺は……」


 激しい物音がしたため、夜盗が来たと勘違いした。

 そんな俺の手には、部活でいつも使っている金属バットが握られている。

 ……少しでも両親といる時間を減らしたいという不純な理由ではあるものの、部活で野球をやっていて体を鍛えている俺なら。

 親父を制圧することなど、簡単にできる。

 しかし、眼前に迫る死の恐怖を受けて腰がすっかり抜けてしまった俺はその場に力無くへたり込んでしまった。


「ひ、ひひひ、ひはははは」


 自分の手で最愛の妻を殺したという精神的なショックからか、既に気が狂った親父は奇妙な笑い声を上げながら、俺の方へじりじりと歩み寄ってくる。

 しかし、俺は動けない。

 今現在も、切先がお袋の血で真っ赤に染まっている包丁に釘付けになっていて。


「頼むからやめてくれよ! 親父ぃ!」


「すぐに、すぐに父さんもそっちにい、行くからなぁ。安心しろ…直次…」


 俺の静止の言葉に耳を貸さない親父が俺に向かって勢い良く包丁を振り下ろして。

 何もかもが、終わる。


 ……人の夢なんて所詮幻想だ。

 夢を追った結果、親父のような惨めな姿に成り下がるのなら、俺は夢なんて見ない。

 一方的に人を信用して、こんなにも歪な形に収まるのならば、俺は他人に期待しない。

 信じない。

 俺は人を愛さない。

 薄れ行く意識の中で、そう心に誓った。













 

  

「…ッ」


 ベットから飛び上がるように目覚めた俺は直ぐに自分の脇腹を確認する。

 そこには、過去に行った縫合処置の痕跡があった。


 激しい息遣いを深呼吸をすることで正す。

 辺りを見渡すと、渚ちゃんの姿は無い。

 彼女は昨日から宿泊学習で、不在なのだ。


 ……その事を理由にして昨夜に読んでいた俺の枕元にあるcomic L◯を一瞥する。

 この雑誌を利用して自慰行為を行おうとすると、渚ちゃんの顔が脳裏にちらついて興醒めしたことをふと思い出した。


「ここ最近、墓参り行ってなかったから親父達、怒ってんのかな……」


 理由は分からないが、渚ちゃんがうちに来てから見ることの無かった悪夢。

 それを久しぶりに見たことで、急激にストレスが溜まった俺は長らく吸っていなかったタバコの箱を手に取る。

 やけに重く感じる腰を上げてベランダに向かおうとすると、俺の枕元に置いてあったスマホのバイブが突然激しく鳴り始めた。


 …おもむろにスマホを手に取ると、スマホの液晶画面には優作さんからの着信の連絡が表示されていた。

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