その5.5 〜雨宮〜


 両親も兄も、先生もクラスのみんなもその親も、あたしを『良い子』と位置づけた。友だちの家に遊びに行くと、その子の親によく褒められた。


『雨宮さんは可愛くて勉強もできて、偉いねぇ』


 その頃のあたしは本当に単純で、舞い上がっていたんだと思う。


 そんなあたしに人生初の恋人ができたのは小学六年生だ。当時高校生だった兄。その友だちである山岸先輩と付き合った。

 「兄貴には内緒な」と、その人はよく言った。彼の部屋に何度か遊びに行ったことがある。

 当時のあたしは直感したのだ。自分だけじゃないんだ、と。


 そして、彼と付き合って一ヶ月もしない頃のこと。とても暑い日だった。

 笑ってしまうほどベタな話である。ある朝下駄箱を覗いたら上履きの上に手紙が入っていた。これまたベタにハート形のシールで封をされたいかにもな手紙だ。差出人は、書いてなかった。

 ——手紙の筆跡で予想はついてしまったのだけど。

 書いてある通りに昼休みに屋上前の踊り場に行ったら、やっぱりその子が待っていて——、

 「付き合ってください」と告白された。

 びっくりするほど真っ赤になった頰。その熱い視線は、紛れもなく恋をする人のそれだった。


 ねえ晴海——アンタは。ただの友だちだと思ってた子から、突然好きだと告白されて。それがどんな気持ちか分かる?


 頭を下げたままのその子の短い髪を見つめる。

 あたしは「うん、いいよ」と答えた。

 その子の名前は——、日賀といった。

 

 日賀と二人で遊ぶ時間が増えた。ただし、学校の中では今まで通りのお友だち。それが二人の間の約束事だった。

 日賀はあたしとの関係を秘密にしたがっていた。あたしとしても、高等部に広まりでもしたら面倒だったので、あえておおっぴらにする必要はないと思っていた。利害の一致だ。

 だいたい、小学生のカップルがすることなんて、友達の延長みたいなものだ。お互いの家に遊びに行って、週末には泊まったりする。初めてキスをしたのは、あたしの部屋。恋人らしいことと言えば、そのくらいだった。


 まぁ、子供のお粗末な継ぎはぎなんて、簡単にほつれるもので。あたしの部屋に三人が勢揃いするというお間抜けな出来事によって、この二股は知られる運びとなった。

 その頃になると、山岸先輩はだいぶ冷めていたので、何の後腐れもなかった。そんなもんかと、拍子抜けするほどあっさり、彼との付き合いは切れた。秋の深みに銀杏の葉っぱが散るくらい当然のようで、なんの驚きも執着もなかった。

 ——こじれたのは日賀のほうだった。年相応か少し幼いくらいの、純粋で無垢な小学生にはショックが強過ぎたのかもしれない。目に見えてふさぎ込んでしまった。

 ショックはそのうち怒りに変じたらしい。矛先は当たり前にあたしに向いてきた。

 ある日の放課後、告白された踊り場に呼び出された。自業自得なのは承知しているから、引っ叩かれるのくらいは覚悟していた。でも、思っていた以上に、その子は自分を俯瞰できていなかった。


「みんなにばらす。雨宮がしてきたこと、全部ばらしてやるから」


 あたしは半分くらい冷え切った頭の中で呟いた。

 ——無駄だからやめなって。あなたのために。だって、ねえ——?

 その子の瞳を見て——、言うのは止めておいた。きっと一生許してもらえない。


 結局、あたしの思った通りになった。

 その子が語る本当の話は一笑に付され、あたしが騙る本当みたいな話がみんなの中での事実になった。

 別にその子が特別嫌われていた訳じゃない。ただ、周囲に対する好感度ポイントの差が絶対的だった。それだけ。


 その子は雪が降る季節になる前に、親の都合で転校していった。




 記憶に残るその子の面影は、何となく晴海に似ているのだ。




   ***続く***

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