その3


 遅れて到着した八雲のもてなしもそこそこに、雨宮と近所のスーパーまで買い出しに行くことになった。

 彼が参上した時点で、ほとんどの食べ物が私たちの胃袋に消えてしまっていたからだ。『青日』効果、恐るべし。明日から当分はストイックな生活を心掛けなきゃなぁ……。

 コーナーを適当に回って、焼き鳥と乾き物、それから缶ビールをかごに入れた。かごの中はやっぱり茶色っぽくて彩りに欠ける。

 ポイントカードを持っている雨宮が支払いをする間、私は買い物袋に詰める役を引き受けた。何を隠そう、この買い物袋も雨宮ブランドである。レジを抜けて歩いてくる彼女と合流して、その帰り道。


「はーるみ。半分持つね」


「あんがと」


 飲み物で重くなった手提げ袋の持ち手を、二人で分けて持った。雨宮と私の背はほとんど同じ。普段はヒールの差で彼女の方が高く見えるが、今は二人ともぺたんこのサンダルを履いているので、この持ち方が一番バランスを取れる。

 雨宮は少しのろのろとした私の歩調に合わせてくれている。

 水面に揺蕩うようなこの時間は、結構居心地が良い。


「来週の休み、水族館行こうよ。スカイツリーの」


 雨宮が誘ってくる。私に向けて身体を捻っていると胸元が強調される。線が細いくせに、出るとこは出ている。


「あんた来週はデート入れてたんじゃなかった?」


「それはキャンセルになったから」


 彼女は何でもないことのように告げた。その割には、どこか遠くを見るような瞳をしている。きっとろくでもないことを隠しているに違いない。


「そーいえば、スカイツリーって初めてかも。雨宮は?」


「一回だけ行ったことあるよ。去年かな」


 心の中で「誰と?」と言いかけたが、口にはしなかった。


「あ、でも。水族館は行ったことない。喜んで。晴海と行くのが初めてだよ」


 調子の良いことを言って笑う雨宮。さっきの元気のなさが勘違いだったかのように、その声は弾んでいる。

 雨宮の感情が読めない。こうして隣を歩いている目線の高さは同じなのに。見えている景色はたぶん、水族館と動物園ほど違っているのだ。

 意を決して聞いてみる。


「遠藤さんと何かあった?」


「何もないわよ」


 本当に何でもなさそうにも聞こえるが、表情が少し固くなった気がする。もうちょっと押してみることにする。


「あんたが伊豆に旅行にいったのって、先月だったよね。お盆に入るちょっと前」


「うん」


「————その後しばらく、元気なかったよね」


 気になってはいたものの、面倒事の臭いがしたので、予定通り彼女が帰宅した翌日に帰省した。戻ってきた頃にはすっかり元の雨宮だったので、すぐに忘れてしまったけど。

 菅田部長経由で総務に遠藤さんの辞表が届いたのは、その直後——お盆休み明けだった。


「晴海には関係ないでしょ」


 その通り。いつもなら関係ないと引き下がる。遠藤さんだっていい大人だし、義理立てするつもりは別にないのだ。でも、何故か今日は腹が立ってしまう。


「いい加減にしなよ。私、あんたのそういうとこ、好きじゃない」


「——遠藤君から誘ってきたんだもん」


「……いつから?」


「覚えてない」


 彼女は三ヶ月くらい前から、後輩の島田さんと付き合っている。遠藤さんと交際のあったらしい時期は今のところ不明だが、お盆休みに別れたとするならば。交際時期がどうしたってかぶるのだ。


「島田さんとは続いてんの?」


「——うん」


 雨宮はやっぱり馬鹿だ。


「いい加減、断ること覚えようよ。雨宮モテるんだから。告ってきた人全員にオーケーしたって、お互い傷つくだけでしょ?」


「晴海には分かんないよ」


 不意に面倒臭くなった。いくら言っても伝わらない。


「あっ、そう。それなら勝手にしな」


 二人で運んでいる手提げがさっきより重くなった気がした。


   *

   *

   *


かず、気を付けろよ」


 振り返ると八雲が立っていた。

 それは入社前説明会の後、飲み会の席でのことだ。


「ん?」


「雨宮。あいつ、和の嫌いなタイプだぞ」


「え、なんで? かわいーじゃん。気が利くし良い子だと思うけど」


 上京する私の不安を見抜いて、助け舟まで出してくれた子だ。それを捕まえて何てことを言うんだこの男は。


「俺も誘われたんだ。ルームシェア」


「はい?」


 一言で、私の天と地がひっくり返った。


「それ、いつの話?」


「和がオーケーしてすぐ後。あの飲み会でだよ」


「まじ?」


 八雲からそれを聞かされたとき、早まったかなと後悔した。


 でも、この巡り合わせを疑いたくない気持ちが勝った。雨宮だって話せばきっと良い奴で、八雲の件は偶々だったかもしれない。


 そして、入社から約三ヶ月。

 雨宮は週末に出掛けることが多くなった。聞いてみると、同じ部署の先輩に告白されて付き合っている、と事も無げに答えた。ルームメイトの幸せを願って何も言わなかった私の見立ては、甘すぎたと言わざるを得ない。その一ヶ月後には、付き合っている人が四人に増えていたのだから。

 なぜ知っているかと言うと、——本人から聞いたわけじゃない。雨宮の恋人のうちの二人が同じ大学の出身で、たまたま私らが居合わせた飲み会で、片方が口を滑らせて、ちょっとした喧嘩になったからだ。

 騒動は瞬く間に広まり、雨宮は男性女性問わず四方八方から噂されるようになった。

 まもなく、雨宮の恋人四人が雨宮を巡って取っ組み合いの喧嘩を始めた。

 私は自業自得とか思っていたし、雨宮も「関係ないでしょ」の一点張り。なのに、仲裁に入ったのは私だ。何故か。

 最大の原因はルームシェア。修羅場の会場が必ずうちになるからだ。


 ——にしても、大の大人が五人も揃って浮気だの何だの。夏だからがっついてんのか。


 思い返せばいつもこんな騒動に巻き込まれてきた。

 私の人生、本当に呪われてるんじゃないだろうか。


 中学ではテニス部内で部員同士の男女トラブルが立て続けに発生し、何故か全てのメンバーと仲が良いという理由で仲裁役を背負わされた。高校二年でようやく陸上部に落ち着き、平和な部活動ライフが遅れると思った矢先、今度は緑化委員の後輩同士の痴話喧嘩に巻き込まれた。後に『緑の庭事件』として語り継がれることになったのは、別の話である。

 そして大学時代に至っては、所属してすらいないテニスサークルの痴情のもつれに付き合わされた。青春ドラマよろしく河原で殴り合いを始めた男子メンバー二人を素手で鎮圧して、意味もなく英雄になってしまったけど。正直そんなの求めてない。しかも望まぬ栄誉の代償に、単位を一個犠牲にした。

 ——そんな私の必死の努力を他所に、翌年サークルは解体したのだった。

 誰も救われなかった結末にショックを受けて一週間引きこもったのは、果たして良い思い出と言えるのか。


 社会人になった今、もうあの日の過ちは繰り返さない。固く決意したのだ。だから私は、社内恋愛については断固として否定派なのである。




   ***続く***

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