共通点

 朝目覚めると凛花は隣で僕の手を握りながら眠っていた。安心したのも束の間で時計を見るとチェックアウトの時間まで残り三十分。僕は慌てて凛花を起こす。

「まずい。寝坊した」

 凛花は飛び起きた。二人で軽くシャワーを浴び、軽く準備をする。急いだ結果僕たちはチェックアウトまでの時間を五分残してホテルを出た。

「危なかったね」

「間に合ってよかったよ」

 少しだけ気まずくなるかと思っていた。だが僕たちの間にそんなものは全くなかった。お互いの顔を見て話すことができ、笑い合うことができる。一つの愛の形を見つけた僕たちの絆は強い。

 昨日隆一に会ったコンビニの前を通る。僕の実家へと向かうにはこの道しかなかった。

「ねえ、朝ごはん買ってきてもいい?」

 僕はその声を無視して先へと進む。

「もういないから大丈夫だよ」

「確信がない。我慢して」

 手を強く握りしめて、僕は凛花を引っ張った。もう昨日のような思いは味わいたくない。日中なら尚更。

 目的の住所に辿り着くと、そこには広い土地に大きな和風の建物があった。厳格な雰囲気の漂う装いに背筋が伸びる。

「じゃあ早速ピンポンしようか」

 先に進もうとする凛花を制止した。

「今回は僕が行くよ」

「お、男らしいねえ」

 凛花は僕の背中を優しく押した。僕は手を離して、母の実家へと向かう。呼び鈴を鳴らすと、中から若い女性が姿を現した。その顔には素顔が想像できないほどの完璧な化粧を施していた。

「あの、麻生祐子さんはいますか?」

「母は、もうここにはいませんが」

 母がいない。俯いたまま顔を上げずに彼女は確かにそう言った。彼女は僕の姉であることに間違いなかった。弱々しくて、脆い。今にも消えてなくなりそうな存在だった姉がこんなに逞しく成長していることに驚いていた。

「こんにちは。いきなり」

 そこまで言ったところで凛花は言葉を失ったようだった。僕が後ろを振り向くと凛花は口に手を当てて止まっていた。姉は声のする方へと顔を向ける。姉も同じように口に手を当てて止まった。

「凛花。どうして」

「優美さんこそ、なんでここに」

 この場に不可思議な空気が滞留していた。それは僕たちの周りで長く滞留し続ける。僕の姉と凛花は楓さんの店にいた従業員だった。そして僕の姉が話に聞いた、優美さんだった。その優美さんであり僕の姉が何故一人で母の実家にいるのか。僕は混乱したまま必死に脳内の回路を繋ぎ合わせていた。

「ここが私の実家なの。凛花はどうして?」

「私は祐くんのお母さんを探してて」

 姉は僕の顔を見て納得していたようだった。

「やっぱり祐なんだね。本当にここへ来るとは思わなかった」

 僕は小さく頷いた。そして、父と顔の似ている姉の顔をじっくりと眺めた。鼻の大きさだけは昔と変わらない。

「え、優美さんが祐くんのお姉さんなの?」

 混乱していたのは凛花も同様だった。まさか一緒に働いていた人が僕の姉と知ったらそれはそうだろう。すんなり理解できる訳がない。

「まあ中に入って。詳しいことは中で話すよ」

 姉は僕たちを家へと招き入れた。僕も姉もお互いに顔を見ただけでは気付かなかった。昨日の花凛さんと凛花のように自然に話せる雰囲気もない。僕たちの間に刻まれた溝は相当深いようだ。

 大きな居間は新しい畳にしかない爽やかな匂いを醸していた。日光のよく入る空間は気持ちとは裏腹に心地のいいものだった。

「今、お茶準備するから待ってて」

 この広い部屋に部外者の僕と凛花が静かに残る。久しぶりにした正座はすでに足を痛めつけていた。

「要は優美さんと祐くんが兄弟ってことでいいんだよね」

 声を潜めていても静寂の中では大きな声に聞こえた。

「そうらしいね。まさか凛花と僕に共通点があったとは」

「やっぱり出会うべくして出会ったのかな?」

 凛花は一人でニヤついていた。残念ながら僕はそれに応える余裕がなかった。

 姉がお茶とお菓子を持って居間へ戻ってきた。その出で立ちは母に似ている気がした。

「どうぞ」

 僕と凛花はよそよそしい会釈をする。

「いろいろ聞きたいことがあるんだけど、まず何で家を出たの?」

 驚いた。姉は当たり前のように僕が家出をしたことを知っていた。それが何故かわからず、混乱する。

「あ、いや父さんと喧嘩してね。何でそれを」

「お父さんがここに電話してきたの。祐が来てないかって。電話はおじいちゃんがとったから軽くあしらったみたいだけど」

 父が僕を心配しているとは思わなかった。新しい生活を始めるためにはお前はいらない。そう言われている気がしたのに。僕は少しだけ父のことを見誤っていたようだった。

「そうだったんだね」

「でも家出するくらいの事件があったんでしょ?」

「ああ、姉さんと同じくらいの歳だと思われる結婚相手を連れてきたんだ。そんな人を僕はお母さんと呼べなくて家を出た」

 何度も言葉を詰まらせながら必死に状況を伝えた。僕の額には季節外れの汗が滲んでいた。

「父さんはもう離婚したと思ってるんだね。それもそうか」

「え、どういうこと?」

 姉の言い分が理解できなかった。確かに父は僕に離婚した経緯を伝えてはこなかった。ただそれは離婚した事実を伝えて、僕を動揺させてしまう危険性を回避するための行為だと思い込んでいた。

しかし、離婚の事実を父は知らないと姉は言う。僕はまたも混乱した。

「実はね、お母さん離婚届を役所に提出していないの。だから今も戸籍上は月島。両親は何十年と別居しているだけの状態なのよ」

 あり得そうもない事実に僕は凍りつく。父は本当に離婚が成立していると思い込んでいた。母が離婚届を提出していないことも知らず。離れていても僕たちは紛れもない家族だったのだ。月島家は昔のまま存在していた。

 父はこれまでの期間で戸籍謄本を一度でも取っていれば母の席が抜けていないことを確認できた。しかし父にはそんな機会がなかったのだ。そのまま気付かずに今まで生活を続けてきた。

「母さんは何で離婚届を提出しなかったの?」

「詳しくはわからないけど脅しのつもりだったみたい。すぐに祐を育てられないことに気付いてお父さんが泣きついてくることを考えてたから、離婚届を出さなかったんじゃないかな」

「なんで僕だけを置いていったんだろう」

「それはお母さんに聞きな。本当のことはお母さんしか知らないよ」

「でも母さんがどこにいるかはわからないし」

「それは凛花も知っているから大丈夫だよ」

 今まで顔色を変えずに話を聞いていた凛花の表情が崩れる。疑問を抱いた表情だった。その凛花に向かって姉は唇を動かした。

「私たちのお母さんは楓さんだよ」

 平然と言いのける姉の姿は頭の中でスローモーションになって再生された。僕たちは口を開けて姉を見ることしかできなかった。話で聞いていた楓さんが僕の母。僕の頭はショートしかけている。状況を理解できない。ここに来てからそんな場面が多くなっていた。

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