隠してもわかること

 僕たちはまたも関東地方へととんぼ返りしていた。新幹線でも手は握り続けている。凛花は安心しているようだった。

「手、邪魔じゃない?」

 凛花はしっかりと繋がれた手を見て、不安そうな顔をした。

「邪魔じゃないよ」

 僕がそう言うと、凛花はほっとしたように笑った。

「あのさ、私がデリヘルやってる理由って言ったっけ?」

 話が急に変わって驚いたが、聞かれた内容に一番驚いてしまった。以前過去を話してもらった際にはその理由を伝えてはいなかった。

「教えてもらってないかな」

「そっか。私ね楓さんのためにデリヘル嬢やってるんだ」

「え?どういうこと?」

「楓さん、右半身が麻痺しちゃって、今も入院してるんだ。それでもう働けないし、身寄りもないからさ。だから稼いだお金を楓さんの治療費に当ててるの。どうせなら高いお金をもらえる方がいいと思ってデリヘルで働くことにして。楓さんには伝えてないけどね。そんなこと言ったらこっぴどく怒られそうだから」

 確かに今まで本当の娘のようにして育ててきた凛花が自分のためにそんな方法で稼いでいると聞けば、楓さんは黙っていないだろう。もし僕に娘ができて親のためにそんなことをしていると知ったら、間違いなく怒る。

「それは大変だったね。でも自分の体も大切にしなきゃいけないよ。過去にも辛い思いをしてるんだから」

 凛花は首を振った。

「確かにそうだけど、辛い思いを払拭してくれた一人は楓さんだから。私を辛い思いから解放してくれた、花凛さん、祐くんが大変な病気にかかった時も同じことするよ」

 凛花の気持ちは強い。あれだけの経験があったというのに、人のために自分を犠牲にすることができる。僕にそんな覚悟はないかもしれない。

「凛花は強いんだね」

「まあ、嫌なことがあるとすぐに泣いちゃうけどね」

 凛花は舌を出して笑った。僕も凛花のように強くならなければならない。守りたいと思う人をしっかりと守れるように。

 僕たちが降り立った土地にも雪はなかった。僕の地元より南へ向かったのだから当然かもしれないが。

 凛花は久しぶりに降りた土地でゆっくりと深呼吸をした。そして頬を軽く叩く。

「本当に手、邪魔じゃない?」

 凛花は握られた手を見ながら、心配そうにしていた。

「心配性だな。大丈夫だよ。じゃあ行こうか」

 凛花は満面の笑みを浮かべて、頷いた。僕たちは母の実家へ行く前に立ち寄るところがあった。それはこの降り立った主要駅の近くにある店だ。

 僕が生まれ育った街よりチェーン店が多く、平日でも活気があった。やはり凛花の生まれた土地は都会だった。

 凛花は僕の手を引いて、日中の繁華街を歩いていく。その足取りはどこか自信にあふれているようだった。

「ねえ、あのお店見て」

 凛花の指差す先にはアクセサリー店があった。そこに売られている商品は腕につける数珠のようなものから紛い物の宝石まで幅広かった。

「私さ、彼氏とペアリングつけるのが夢だったんだあ」

 そう言いながら凛花は指輪を物色する。そこには全て同じようなデザインのペアリングが数多く展示されていた。

「まだ僕たちカップルじゃないから早いんじゃないかな」

 その言葉を視線で制止された。凛花に対し初めて恐怖を覚えたかもしれない。

「祐くんも一緒に探そ。どれがいい?」

 特殊な接客業をしているからか彼女の演技力は高い。それは最初に彼女と会った時からわかっていることではあるが。もう先ほどまでの鋭い眼光はもう失われていた。

 多くのペアリングは、ついている石の色が違った。この安い値段で宝石をつけることは無理だと思われる。これはあくまでエメラルド風とかサファイア風である。

 結局僕は凛花が着ているイメージの強い、赤を基調としたルビー風の石がついた指輪を買った。

「指輪は基本的に左手の薬指につけるんだよ」

 そうだったかなと疑問に思いながらも、凛花は僕の左手を優しく支えて、薬指に指輪をはめた。僕も同じようにして凛花に指輪をはめる。凛花は満足した表情を浮かべて、また手を繋ぎ、歩き始めた。

 赤い看板に薔薇が一輪。派手な看板にはレッドルージュと書かれてある。ここが凛花の目的地だ。僕たちは躊躇なくその店に入っていく。

 ドアを強くノックしたが、向こうから人が現れることはなかった。

「まだいないのかな」

 凛花が携帯電話で時間の確認をしようとした、その時ドアは重そうにゆっくりと開いた。そこには細くてスタイルのいい、小麦色の女性が立っていた。

「おかえり」

 その女性は驚くこともなく、至って普通に挨拶した。

「ただいま」

 凛花も普通に挨拶を返す。長き時を隔てた二人の間にぎこちなさは全くなかった。

「この人彼氏なの。祐くん」

 僕は女性に向けて会釈をする。

「祐くんね。初めまして。花凛と言います」

 花凛さんは僕に向けて会釈を返し、店内へと招き入れた。僕はキャバクラやスナックに行ったことがない。そのため、どのような雰囲気か知らなかった。

レッドルージュは昼間でも光が入らず、時間の感覚を全く感じさせない。時計すらも無い。客に長くいてもらうための業だと勝手に解釈した。

「キャバクラみたいなとこで悪いけど、座って」

 花の刺繍が入った妖艶な匂いのする赤いソファに腰を下ろす。花凛さんはすぐにおしぼりとお茶を持ってきた。その手際の良さに度肝を抜かれる。

「私も失礼していい?」

 凛花はどうぞと言いながら、花凛さんを座らせた。凛花はこの時を待ち望んでいた。口火を切るように話し始める。

「楓さんから凛花って名前もらったの」

「あら、良かったじゃない。凛花って楓さんが最初に使ってた源氏名なのよ」

「え、そうなの?」

「そう、名前の理由は忘れちゃったけど。どんな漢字?」

 凛花はテーブルに字を書く真似をした。

「それじゃわかんないよ。紙持ってくるから待ってて」

 花凛さんは口に手を当てて上品に笑いながら、メモ用紙として使用するには勿体ないほどの和紙と高価そうな万年筆を持ってきた。それを躊躇なく凛花が使う。この店ではこれが普通なのだろうか。

 凛花は丁寧に自分の名前を書いた。その文字は意外にもバランスのとれていて、綺麗だった。

「楓さんの昔の源氏名と漢字も同じだ。嫉妬しちゃうなあ」

 花凛さんは少しだけ頬を膨らませた。

「でも楓さんは花凛さんのところから来たから、漢字を逆にして凛花にしようって言ってたよ」

「私は、性格が真逆だから、凛花の漢字を逆にした源氏名にしようって言われた」

「そうなの?」

「私たちは楓さんからの思い入れが強いのかもね」

 二人はそう言って笑った。その風景は微笑ましいものだった。僕も母と会った時自然に話すことができるだろうか。

「ごめんね、祐くんをおいてけぼりにしちゃって」

 花凛さんは僕に気を使った。話を聞いている方が好きな僕としてはこのまま話していてもらっても構わないのだが。

「あ、いえ。聞いている方が楽しいので」

「祐くんは聞き上手だもんね」

 凛花は同意を求めるように僕の顔を覗き込んできた。その勢いに押されて思い切り頷いてしまった。

「いい彼氏ね。これからも凛花の話聞いてあげてね」

花凛さんはそう言って、僕を褒めた。

 思い返せば、叱られた経験の少ない人生だった。自然と敷かれたレールに沿っていたからなのかもしれない。自分の意見などなく、誰かが敷かれているレールを真っ直ぐ進んでいく。

僕はそのレールから外れる人生を恐れた。自分の生計を立てられるようになっても実家を出なかった真理はそこにある。あの家に住んで守られるのではないか。何も不自由なく生きていける人生があるのではないかと。

 僕は今憎んでいる父親を頼って生きてきたのだ。父親があの女を連れてこなければ、今も実家で代わり映えのない日々を送っているだろう。

 意図せず外れたレールはこれからどんな分岐点を見せ、どんな終着点に連れていくのだろうか。

「楓さんはどうして名前を変えたの?」

 凛花は聞き上手の僕を尻目に話を続けた。

「好きな景色のことだよって言ってたけど、詳しくは聞いたことがないな」

 花凛さんは立ち上がり、カウンターに置いてある絵画を持ってきた。それは手のひらよりも少しだけ大きなものだった。そこには紅葉で色づいている秋の山の姿が描かれていた。

「これ、楓さんが好きだった景色を聞いて描いたものなの」

「前言ってた絵を描く理由って楓さんのためってこと?」

「そう、楓さんが好きな景色の写真を無くしたみたいで可哀想だったから描いてあげたんだ。楓さんもこうやってカウンターに置いて、喜んでたよ」

 僕はふと疑問に思った。何故この絵がこの店に置いてあるかを。本来であれば今も楓さんのいる店で飾られているはずなのに。

「なんでこの絵が花凛さんのお店に飾られているんですか?」

 急に会話へ入ってきた僕に驚くこともなく、花凛さんは紅葉に色づく山の絵のフレームを触りながら答えた。

「私がお店を継ぐことになったと楓さんに言ったら、この絵を手紙付きで送り返してきたの」

 花凛さんはまたカウンターへ行き、引き出しから真っ白な味気のない便箋を持ってきた。そこには楓さんの書いた手紙が入っていた。

 中を見てもいいというので、見せてもらうとそこにはこう書いてあった。


 色々と大変なことがあった中でお店を継いだそうですね。それは素晴らしいことです。

 しかしママさんが繋いでくれたバトンを引き継いで走りぬくのは並大抵の努力では済みません。自分のお店であるという覚悟を持って挑みなさい。軽い気持ちでやってみようなどと思い込んでいるならすぐに辞めなさい。そうでなければママさんのやってきたお店を花凛が潰す可能性もあります。もしそうなったら私は花凛を許しません。

 今回花凛からもらった絵を送り返します。これは不必要になったからではありません。私はあなたがいなくなってからも毎日掃除をしてこの絵を飾り続けました。この絵には私の魂が移っています。これを私と思って飾ってください。いつも私に見られているという緊張感を持って、仕事に勤しみなさい。

 最後になりますが、おめでとう。頑張りなさいね。


 花凛さんに対する愛情がこの絵に込められていた。この文脈から楓さんは非常に面倒見がよく、情に厚い人であることを証明している。凛花はこの手紙を読んで、涙を流していた。

「普通はあげたものって送り返さないんだけどね。あの人なりの愛情だったのかな」

 花凛さんはまだ自分の描いた絵を撫でている。それは間違いなく楓さんを撫でているようだった。

「ねえ、もしかして壁にかかっている海の絵も花凛さんが描いたもの?」

 凛花は声を微妙に震わせていた。

「ううん。あれは私が楓さんのお店に転がり込んだ頃にはもう飾られてあったよ。誰が描いたかは知らないけど、大切に毎日掃除してたことだけは覚えてる。今もちゃんと大切に掃除しているでしょ?」

 花凛さんは楓さんが倒れたことを知らない。僕はこの質問で咄嗟に感じ取った。僕よりも関係の深い人が知らない事実を知っている。それに罪悪感を感じた。

 楓さんはきっと花凛さんに余計な心配をかけたくはないのだ。連絡をしてしまえば花凛さんはすぐに店を休み、楓さんのお見舞いに来るだろう。そして、身寄りのない楓さんを援助しようと試みる。だがそれを楓さんは望んでいない。そんな将来も見込んだ上で花凛さんには何も伝えていないのだと思った。

「そうだと思います」

 僕がそれを声に出した時、花凛さんは腑に落ちていない表情をした。それはそうだ。何も知らない僕が急に間を割って入ったのだから。

 凛花が僕の答えをどう思っているかわからない。むしろ楓さんとの関係が深い凛花ならもう既にわかっていることかもしれない。それなら僕に同調してくれればいい。それだけのことだ。

「うん。まだ綺麗にしているよ」

 凛花は涙を浮かべたまま自然な笑顔を作った。その表情を見た花凛さんはやっと腑に落ちたようだった。

「そっか。なら良かったよ。私もちゃんと楓さんの魂を毎日綺麗にしていかなきゃね。そうしないと楓さんに顔向けできないから」

 花凛さんは咄嗟にカバンから目薬を取り出して、真上を向き目に点した。多く入ったようで目から涙のように目薬が流れ落ちた。

「ごめんごめん、コンタクトだから目が急に痛くなるのよね」

 花凛さんはすぐに鼻をすすった。それは本当に泣いているような姿に見えた。

「凛花。いつかまた遊びに行くからそれまでお互いに頑張ろうって楓さんに伝えておいて」

「うん」

 二人は泣いているような表情で必死に笑顔を作っていた。

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