隠していること
河川敷からの帰りは二人並んで、ゆっくりと歩いた。
「しかしいい子と巡り合ったな」
「そうかな」
「ああ、俺と祐だけなら、あのまま譲らずに謝ってたよ」
そうかもしれない。僕たちの距離を詰めたのは凛花だった。彼女の提案があったから僕たちはこの道をまた二人で歩いている。
「そうかもね。連れてきて正解だったかもしれない」
「そうだな。あの子のこと大切にしてやれよ」
「うん。そうするよ」
だが僕と凛花の関係は偽りだ。そんなこと口が裂けても言えないけれど。この偽りの関係は母を見つけた瞬間に終わる。そうなれば凛花と僕はまた元の関係に戻るのだ。デリヘル嬢と客の関係に。
光司さんの家に着くと、凛花はすやすやと寝息を立てていた。僕に振り回されて、心労がたたったのかもしれない。しかし、光司さんの家にいつまでもお邪魔していては迷惑がかかると思い、起こそうとした時、彼女は自ら目を開けた。
「あ、すいません。寝てました」
「ああ、いいですよ。気にしないで」
光司さんは優しい笑顔を凛花に向ける。僕はすかさず彼女に視線を送る。
「じゃあ、僕たちまた行くところがあるから失礼するよ。ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
僕に続くようにして凛花も頭を下げた。
「いえいえ。えっと聞きそびれていましたが、彼女さんのお名前は?」
「凛花です」
「凛花さん、祐をどうかよろしくお願いします」
僕たちが頭を下げるよりも深く、光司さんは頭を下げた。
「そして、ありがとうございました」
光司さんのお礼に凛花はピンとこない様子だったが、光司さんと同じくらい深く頭を下げていた。
「いえ、こちらこそ祐くんをこれからもよろしくお願いします」
「いつでもお世話しますので、任せてください」
光司さんはゆっくりと頭をあげて、胸を軽く叩いた。そして僕の方向へ体を向けた。
「祐、またいつでもいいから遊びにこいよ。俺は大学卒業してもここにいるから。お前の帰りを待ってるよ」
「うん。必ず帰ってくるよ」
僕はそう告げて光司さんの家を後にした。光司さんは僕たちの姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
「どうだった?一緒に走ったんでしょ?」
「速くはなかったけど、うまく走れたと思うよ」
「速いこととうまく走れたことは同じじゃないの?」
細かいニュアンスを凛花は理解してくれなかった。それがひどくもどかしい。しかし、その姿は愛らしい。
「また帰ってきなよ。ここに」
「それはどうだろうな。明言はできない」
「でも光司さんに明言してたじゃない」
失言は認められないらしい。僕は仕方なく頷いた。
「これからどこに行くの?光司さんの電話が来るまで動けないじゃない」
「せっかくだから、この土地を堪能してみようか」
「辺鄙なところを?」
「そう。辺鄙なところにもいい場所はあるよ」
僕は久しぶりに行きたい場所があった。それは母を思い出すための材料になる気がする。そこは、僕が昔抱いていた家族の姿があった場所だ。
「ここからだと一時間くらい歩くけど大丈夫?」
凛花は少し驚いたようでしばらく考えていたが、仕方なく頷いた。
三十分ほど歩き、山を目の前にした時、凛花の足が止まった。
「まさかこれ登るの?」
「そう。でもそんなに急な道じゃないよ」
「私山登りなんてしたことないよ」
「大丈夫。僕もついてるから」
「まあ、いっか。田舎は移動手段が少なそうだから、いっぱい歩こうと思ってたところだし」
凛花は何度も屈伸をする。山を登る決心をつけたことに感心し、僕は心から拍手を送った。
昔より道はしっかりと舗装されていた。アスファルトで固められた道路がずっと続いており、夏は歩きやすくなっている。
だが季節が季節だけに道には所々雪が残っていた。それが逆に良かったのかもしれない。凛花はしっかり積もっている雪を見て、喜びを爆発させているようだったから。
しばらく歩き、滝につながるところで道は未舗装へ変わる。しかしそこからの距離は一キロにも満たない。
「ここから石がいっぱいあるけど、大した距離じゃないから頑張って」
「うん」
そう言うと凛花は僕の前に手を差し出してきた。僕はそれが何を意味しているのかわからず、途方に暮れた。
「その手は何?」
「危ない道は手を繋いであげることが普通じゃない?これだから祐くんはモテないんだよ」
モテないという彼女の口癖には舌打ちをしたが、意味を理解した僕は凛花の手を取る。その手はとても暖かかくて、少しだけ心が満たされた。
凛花の手を取りながら僕はゆっくりと前へ進んでいく。少しだけぬかるんだ道は僕の黒いスニーカーに茶色い水玉模様を付け加えていった。
「よし、ついた」
木々たちを潜り抜け、開けた場所に辿り着くと、変わらない姿で思い出の地は存在していた。奥の方に見える滝。子供の頃は大きく見えたが、大人になるとそれほど大きくは見えない。
そして、この川岸に広がる砂利のカーペット。僕たちはこの砂利の上でバーベキューをした。テントを広げて、川の字になって仲睦まじく夜を明かした。楽しい思い出がふつふつと蘇る。
「すごい景色。こんな場所があるんだね」
凛花は物珍しそうに辺りを見回して感動しているようだった。
「小さい頃家族でここに来てキャンプをしたんだ。両親が離婚してからは来る機会が無かったけど」
「いい記憶だね」
「あの頃は幸せな家庭だったのかもしれない」
「そうかもね」
凛花は少し歩いて、小さな異変に気付く。
「ねえ、あそこだけ木が生えてない」
そこは夏になるとヒメサユリが満開に咲く場所だった。冬はこんなに殺風景であるとは知らなかった。
「あそこには夏、ヒメサユリっていう百合の仲間が咲き誇るんだ。薄ピンクの花が凛と咲く」
凛花が少しだけ身を震わせた気がした。何故か触れてはいけないものに触れた気がした。
「そっか。綺麗なんだろうね」
凛花は遠い目をしてその場所を見つめていた。僕にはそれが何を意図しているのかわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます