愛の形

 携帯を鳴らしても結果は同じだった。もう息子は帰ってこないのかもしれない。それはもう、確信へと変わっていた。

「息子さん電話でないの?」

「ああ、出る気は無いらしい」

 恵那が大きなため息をつく。本来ならば俺もそんなため息をつきたいのだが。このままでは恵那が俺との結婚を受け入れてくれない。

「なあ、気持ちがあるだけで結婚はできないのか」

「そんな簡単に決意できるのは一度も家庭を持ったことがない人だけだよ」

 恵那の言葉はいちいち胸に刺さる。勢いよくナイフを投げられているようだ。

「息子はもう出ていった。帰ってはこない」

「もし帰ってきたらどうするの?また余計な奴がいるって思うよ」

「だったらこの家を払って、違うところに住めばいい」

「真ちゃんはそんなことできないよ」

 俺はいつでもそうできると思っていた。しかし息子がいなくなってからというもの、誰もいないところに帰ってきた息子の表情が浮かぶのだ。何もないところで一人佇み、俯く息子の姿が。あの頃母親に置いていかれた時のように。

 恵那はその俺の脳裏に浮かぶものを察している。相変わらず勘がいい。

 最近悪い風がよく室内に流れてくる。都会の方の生ぬるいような風が。この気持ち悪い風は一体何なのか。誰が送り込んでくるものなのだろう。

「私は結婚なんて望んでなかった。もし真ちゃんが初婚で子供もいなければこんなこと思わなかったかもしれないけど。私は真ちゃんとただ一緒に居られればよかった。波風立てずに真ちゃんと一緒に居られれば、それだけでよかった」

 恵那の声は高く上ずっていた。俺と恵那の価値観は全く違っていた。俺のやり方で波風が立たなければよかったのだ。しかし、それは間違っていて、二人だけの家族を崩壊させた。恵那はそれを重く捉えている。

「真ちゃんの優しさをずっと感じていれるだけでよかったのに、私が真ちゃんを本気にさせてしまったんだよね」

 急に唇を奪われたときのことを思い出す。俺は確かにあの瞬間恵那へのうやむやだった恋心が愛へと変わった。

「なんで俺を本気にさせたんだ」

「私以外の女に奪われないため。真ちゃんの優しさを他の女に向けてほしくなかった。今と変わらない息子さんとの生活を保ったまま、私のことを思ってくれればそれだけでよかったんだよ」

 俺は恵那を理解していなかった。俺は恵那に対して何を求めていたか。それはきっと真実の愛と呼ぶには程遠いものだった。性格や体、顔の良さ。他人からどう思われるか、失いかけていた性欲。それだけを求め、恵那に好かれようとした。

 しかし恵那は違う。俺と息子しかいないという家庭関係を分かった上で、それを崩壊させないように俺を求めていたのだ。俺が恵那だけに向けていた、優しさという無形の象徴を。

 ただ祐を知らない恵那は不安になりながらも俺を信じて、動いた。俺の恵那に対する気持ちを曝け出したからだろう。

いや、違う。俺を失わないためには従うしかなかったのだ。それに俺は息子から間違いなく理解してもらえるという根拠のない自信を持っていた。簡単に否定はできないだろう。

 祐が理解してさえくれれば、恵那は俺と一緒にいることができる。しかしそれが失敗すれば今まで俺の築いてきた家庭は崩壊する。そんな大きな賭けを簡単に仕掛けてしまった。そして、派手に失敗した。

 俺は恵那を一人の女として見た。恵那は俺の優しさを自分だけに向けてほしかった。果たしてそれは本当に愛なのだろうか。少なくとも俺たちの気持ちがすれ違っていたことは間違いない。

「それは俺を愛していたのか?」

「愛の形は様々だよ。私が愛していたと言っても、真ちゃんはそれを愛と捉えないかもしれない」

 今までの話を思い返すと確かに理解はできた。俺が一人の女として愛したのは他の男に取られないためであるし、恵那が俺の優しさを他の女に向けないでほしいと言ったのも俺を愛しているが故なのだ。ただそれはお互いの中で一生交わりはしない愛の形なのかもしれない。

「俺はこれからどうすればいいんだ」

「私が現れる前の家族に戻ればいいんじゃないかな。真ちゃんが私に重ねる人と一緒に」

 恵那はそう言ってカバンを持ち、家を出た。

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