全てを
楓さんの気持ちを知ってから二ヶ月後、ローズマジックは閉店の時を迎えていた。私の住処は今日で消えてしまう。これからはまだ帰って来ていない楓さんの家に住む。一年と半年ほど私はここでお世話になった。悲しい気持ちが胸を覆い尽くす。
最後の営業を終えて、これからは荷物の整理へと移る。赤いソファも檜で作られた高級なカウンターも、全てリサイクルショップに売却する段取りになっている。
ただ一つだけ楓さんから必ず持って来るようにと頼まれた品があった。それはあの大きな絵。
「凛花、荷物を車に積んじゃいな」
優美さんの借りて来た軽トラックの荷台に荷物を押し込む。泥のついているシートの上に荷物を置くのは嫌だったが、贅沢を言ってはいられない。
店内に戻ると、優美さんが絵画を取ろうとしていた。
「これ持っていくんでしょ?」
「はい。手伝います」
優美さんと二人で持ってもその絵画は重かった。幼い頃学校でフットサル用のサッカーゴールを持った時を思い出す。それ以来重いものを持った記憶はなかった。
裏口から出ると、幅の狭い路地が続くため絵を傷つけないように気をつかった。軽トラックまでたどり着くと、その絵画を壊さないように緩衝材でぐるぐる巻きにする。
「ここまでやれば大丈夫。さあいくよ」
優美さんと共に軽トラックへ乗り込む。室内も土の匂いがした。シートにも泥がついている。私は背もたれに寄りかからないよう背筋を伸ばした。
軽トラックは勢いよく発車した。私はその勢いで背もたれに押し付けられ、不快になる。
「このトラックどこから借りて来たんですか?」
「実家から。私の実家お米作ってる農家でさ、わざわざ持って来たんだよ」
新幹線の車窓から見えた稲穂を思い出す。ここに来た頃に見た稲穂はもう刈り取られ、また新しい稲穂が風に揺れているだろう。あれから季節は巡り巡ってまた同じ季節へ戻ってくる。見える景色も前に見たものとは大きく変わらなくても必ず小さな変化はどこかで起きている。
「凛花はこれからどうやって生きていくつもり?」
「わからないです。やれる仕事があるかどうかもわかりませんし」
私は捜索願を出されているため、身分を明かすことができない。仮に捜索願を出されていなくても身分を証明するためのものを何も持ち合わせていない。仮の姿でこれからも生きていかなければならないことを考えると、そう簡単にバイトすらできない。私にはもう水商売の業界で生きていくことしかできないのだ。
「普通の仕事に就いたらいいよ。まだ若いんだし」
「それは多分できないと思います」
「まあそんなことだろうとは思ったけどさ。家出かなんかでしょ?」
私は、無言を貫いた。こうしてはいけないとわかっているのに。
ただ、優美さんに過去を話したとしても、包み込むようにして理解を示してくれるのではないか。無意識にそう、感じていた。
「凛花。あんたはとっても強い子。そして、人を愛する事ができる子。だから、大丈夫だよ。自信持って、生きな。そして信じられる人を見つけたら、たくさん甘えるんだよ。理解してくれる人はたくさんいるんだから」
優美さんは素直で清々しい人だ。自分にも他人にも嘘をつかない。いや、もしかしたら嘘をつけない人なのかもしれない。だが優美さんのそういうところが好きだった。店の動向についても子供の意見だというのに真剣に耳を傾けて話を聞いてくれた。私はその優美さんの誠実さが好きだ。
私は大切な人と別れる辛さをまた知る。もう私にはそんな辛さ、必要ない。大切な人をしっかりと私が繋ぎとめられるように、強く、芯を持って、生きていく。
大切な存在を見つけたら、私は全てを隠さずに全てを愛してもらうのだ。私も、必ず全てを愛するから。
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