第28話 敗北の先

 侑司と柿崎の試合が第2セットを迎えた頃、彰はロビーの隅っこに座っていた。

 体を丸め、腕で顔を覆ったままだ。コートでは試合が続いており、人が少ない。今の彰にはちょうどよかった。


 チームメイト達は何というだろうか。万年1回戦負けのチームだったのだから、讃えてくれるかもしれない。

 でも、今はこのまま帰ってしまいたい。


「単調な試合するからだ。」


 頭の上からしゃがれた声が響いた。

 驚いて顔を上げるとジングウの姿があった。


「見にきてくれてたんですか。」

「トロい弟子の緩い成長を冷やかそうと思ってな。」

 そう言うと、ジングウは彰の横に腰かけた。

「ははは。ありがとうございます。」

 彰は力なく笑った。


「負けてすいません。」

「何だ、それで落ち込んでんのか?まさか、おめえが勝てると思ってたのか?」

 彰の言葉にジングウは大げさに驚いて見せた。

「絶対勝てるって思ってたわけじゃないですけど……。」

「そう思って臨め。言っただろうが。」

 どっちですか、と彰は笑った。ふん、と眉を顰めるジングウに苦笑いした彰だったが、みるみる顔が歪んでいく。


「負けた時、相手と顔を合わせたんですが、眼中ないって感じでした。「5分後には忘れます」みたいな感じで。」

「当たりめぇだ。片やチャンピオン。片や弱小校の1年坊。瞼にもかからねぇだろ。」

 ジングウに突っ込まれ、うー、と彰は唸った。

「明日から練習やるか?」

 ジングウの言葉に彰は首を横に振った。

「今日から。」

その様子を見てジングウは笑った。

「よし。」


「彰、どこに行ったんですかね。」

 雪永が心配そうに言った。金本は楽天的だ。

「ユッキーが心配してどうするんだよ。司馬ちゃんなら大丈夫だよ。」

「あ、いた。あれ?なんか知らないおっさんと喋ってますね。」

「げ。」

 雪永が指さした方を見て、金本が露骨に顔を顰めた。

「知り合いすか?」

「あー。よーく知ってるよ。だから言うよ。帰ろう。」

 金本が立ち去ろうとした瞬間、ジングウがくるっと振り返った。

「おい。そこのバカ。先輩に挨拶もなしとは教師失格だな。」

 ジングウに呼びつけられ、金本は片手で顔を覆った。


「いや、お久しぶりです。神宮先輩。」

「全くだ。何年ぶりだてめぇは。俺が死ぬまで顔見せねえ気か。」

「いえ、決してそういうわけでは……。」

 ジングウの低い声に、金本は慌てて額の汗を拭う。初めて見る金本の姿に、彰と雪永は声を殺して笑った。

「こいつぁ俺の弟子みてぇなもんだ。」

 ジングウは金本の方を顎でしゃくった。間違いないです、と恐縮する金本がとにかくおかしかった。

「じゃあ、先生の先生ですか。」

「泣き虫でクソ弱虫のこいつを、ある程度まで鍛えてやったんだ。」

 雪永は笑ったが、彰は感心して聞いていた。ジングウの「ある程度まで」は相当なレベルだからだ。

「いや、確かにそうです。先輩には徹底的に鍛え抜かれました。」

 相当凄まじかったのだろう。その時の記憶が強すぎるのか、金本はジングウに全く頭が上がらないようだった。彰と雪永は、そんな金本のことを少し可哀想に感じた。


「金本、てめぇ直接指導してねぇだろ。」

 ジングウの指摘に金本は背筋を伸ばした。

「体つき見りゃ一瞬だ。さぼってんな。古傷庇ってでもガキの相手くらいてめぇならワケねえだろ。」

 古傷?彰と雪永は金本を見た。決まりの悪そうな顔をしている。

「今日から彰はリベンジに燃えるそうだ。戻ったら相手してやれ。金本!」

 ジングウは最後に、急に声を張り上げた。金本だけでなく、彰も雪永も背筋を伸ばした。

「はいっ。」

「……お前の事情が分からねえわけじゃねぇ。だが、教え子たちには誠実でいろ。今よりもな。」

 ジングウはそう言うと、立ち上がって客席に戻っていった。振り返ることなく、彰に手だけ振った。


「先生のあんな姿、初めて見ましたよ。くくく。」

 雪永は面白そうに笑った。金本は不服そうだ。

「あの人はなぁ、昔は滅茶苦茶怖かったんだよ。今ではジイサンだけど、面と向かって会うのは勘弁なんだよ。」

 まだ緊張しているのか、金本はまた額の汗を拭った。

「分かります。ジングウさん口悪いし、でもああ見えて親身なんですよ。」

「丸くなったんだよ、今は。ちょっと昔だったら司馬ちゃん、毎日泣いてるよ……。」

金本は大きなため息を吐いて言った。彰は少し金本に親近感を覚えた。

「そう言えば、先生、古傷って……。」

 彰がそう言いかけた時、チームメイト達がやってきた。

「おっ。司馬。いたな。」

「あ、先輩達……。」

 金本に聞きそびれてしまって、彰は少しがっかりした。しかし、そこでふと思い出した。

「侑司と柿崎さんの試合!」

 彰は思わず叫んだ。

「ああ……。」

 チームメイト達が歯切れ悪く答えた。


「それが……。」

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