第25話 それぞれの始まり

 彰はいつになく緊張していた。

 これまでと会場の雰囲気が違う。

 4回戦はベスト8だ。メインイベントが近づくに連れ、会場も熱気を帯びてくる。

 加えて、相手は昨年度の優勝者、武蔵工業高校の中田有吾。

 本命中の本命だ。

 

 試合前の基礎打ちをしながら、彰は不思議な感覚を覚えていた。

 蓮台との練習試合では、柿崎と試合をする前には高揚と緊張で抑えられない気持ちだったが、中田に対してはまるで心が動かなかった。


 というのも、彰は、昨年まで中田有吾という選手のことを全く知らなかった。いや、彰だけでなく誰もがそうだった。


 彼の名が突然知られたのは、昨年の県大会だ。

全くの無名だったにも関わらず、大会を難なく勝ち進み、決勝ではあの柿崎相手に圧勝したのだ。

 全国でも最終的にはベスト8まで進み、その名を全国に轟かせた。


 高校バドミントン界では、あれほどの逸材が、一体どこに隠れていたのか、と誰もが口にしていたという。


 基礎打ちを終え、握手を交わす。中田は、僅かに笑みを浮かべ、「よろしく」と言った。好青年なのか、それともチャンピオンの余裕なのか。

 


 彰はその場で二度ジャンプし、屈伸をした。緊張からか、身体が少し硬くなっている。

 無理もない、と自分で笑った。1年生で県大会ベスト8に進み、相手は前年度の優勝者。

 自分にしては出来過ぎだ。

 中学時代は毎年一回戦負けだったのだから。


(欲を出しすぎちゃ駄目だ。無心で)

 

 考えすぎないことを心がける。そして、構えを取って、中田の動き出しを待つ。


 ファーストサーブは中田。スッと腕を前に出し、間髪置かずにサーブを打つ。

 ロングに放たれたシャトルを、彰はクリアで返す。

 中田もそれをクリアで打ち返す。暫く、クリアを打ちあい、互いに相手の調子を探る。二人共、慎重な入りだった。



 彰の試合が始まった直後、小西と柿崎は、トイレの外に出て、椅子に座っていた。

「どういうことっすか?負けてくれって。」

 お互い、もうすぐ試合が始まると言うのに、と柿崎は怪訝な顔をした。


「言葉どおりだよ。」

 小西は口元にだけ笑みを浮かべて言った。

「それで、はい負けます!とか言う奴バカでしょ。」

「ははは。確かにね。」

 柿崎は呆れた。

「じゃあ、行きますわ。そろそろ始まるし、小西さんもそうでしょ。」

「君のためなんだ。」

 柿崎は立ち止まった。何を言っているんだ、という顔だった。


「柿崎君、篠宮は強いよ。」


 小西はもう一度言った。

 柿崎は無視をして試合会場へと向かった。

 


「ポイント。6―0。」


 彰は天を仰いだ。

 立て続けに6点を取られた。

 速くて正確。だが、それだけではない。


 無駄がない。

 中田の動きを見て感じたことだ。腕の振り、フットワーク、どれも最低限の動きで普通以上にこなす。侑司や柿崎のような派手なスマッシュはなく、一見すると躍動感に欠ける。


 しかし、どこに打っても淡々と返される。同じような速度で、同じようなコースに。

 そして、すぐに元の位置に戻る。

 機械のようだ。


「ポイント。7―0。」


 打っても打っても決まらないので、段々と自分のリズムがおかしくなっていく。そして、気が付けばネットに掛かるミス。


 決して強打で攻めるタイプではない。むしろ、相手の攻撃を受け切り、カウンターの一打を見舞うタイプ。彰と似たタイプだが、完成度は中田の方が遥かに高い。


(隙がない……!)


 スマッシュ。通じない。ドロップ。通じない。クリアもカットも、ヘアピンも全て返される。

 選択肢がなくなり、ジワジワと手足の自由も奪われていくような、惨めな感覚に陥った。 

 それは、彰にとって初めての恐怖だった。


「彰……。」

 四津川のチームメイト達が不安そうに彰を見つめる。


「司馬ちゃんの進化系と言ってもいい相手だからね。」

 金本は腕組みをしながら見つめていた。

「じゃあ勝てないってことですか?」

 雪永が金本に食ってかかる。

「あのねえ、ユッキー。あんた、司馬ちゃんのことだと何でそんなムキになるのよ。」

 うっとうしそうに金本が言う。雪永が言葉に詰まった。

「現実を見なさい。片や昨年のチャンピオン。片や公立の無名の一年。ハナっから格が違うんだよ。」

「でも……。」

「悔しいのはキミだけじゃないんだ。勝ち目がないわけじゃない。でも、厳しい。厳しすぎる。」

 金本は苦々しい顔をしていた。雪永も口をつぐんだ。



「ポイント。10―1。」

 

 何もできず、点差ばかりが開いていく。

 彰は焦っていた。


 このままじゃ同じだ。


 あの時と。

 中学校の時と、同じだ。



 そして、違うコートでも、試合が始まろうとしていた。

「よろしく。」

「こっちこそ。お願いします。」

 侑司と柿崎が握手を交わす。


 彰と侑司にとって、それぞれのターニングポイントとなる試合が始まった。

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