第7話 堀と彰

 ガツッ、と嫌な音がした。 


「あっ!」

 試合を見守っていた部員達が思わず声を上げる。

 

 堀の打ったスマッシュを、彰がラケットのフレームに引っ掛けた。


「ああ、もったいねえ。」

 雪永が、仰け反りながら言った。


 最終盤にきて、明らかなミス。彰は天を仰いだ。

 スコアは19対20。堀のゲームポイントだ。


 ふう、と彰は呼吸を整える。

 今のは悪くなかった。スマッシュは見えていた。しかし、返そうとしたコースが悪かった。


 フォア側に強めのスマッシュが来たのに、相手のフォア側のバックラインギリギリに返そうとして、早く振りすぎてしまった。


 ミスはできない。手堅く返そう。まずはデュースに・・・・・・。

 ん、と彰は首を傾げた。

 

「これってデュースありですか?」


 彰より先に、堀が金本に尋ねた。部員達が「練習なのにデュースとか言うの?」と驚いている。


 それだけ堀も本気なのだ。しかも追い上げられている立場。


「好きにしたら?」


 金本はヘラヘラ笑いながら言った。堀が彰に視線を移す。意見を聞くと言うより、もはや同意を求める目だ。彰は頷いた。


 そりゃ、デュースはなしだろう。

 リードしてゲームポイントを迎えている堀にとって、ありがたくない。

 

 舌打ちをしたくなる気持ちを抑えて、彰は息を吐いた。

 


 しかし、次に聞いたのは驚きの言葉だった。


「デュースあり。2点だ。」


 堀が主審役にそう言ったのを聞き、彰は耳を疑った。


 自身にとって有利な条件を捨てて、公式戦さながらの決着を望んだのだ。


 彰は驚いた。真面目な堀らしいと言えば、そうだが。




 堀は、彰に対して複雑な感情を持っていた。

 

 1年生の時から部のエースとして持て囃され、3年生になった今ではキャプテンも任されている。圧倒的な弱小校にいながら、そこそこの成績を収めている。


「四津川はワンマン。堀はもったいない。」


 そんなことを言われるのは悪い気はしなかった。


 表向きは、「俺以外がもうちょいできりゃ」。しかし、本心のどこかでは「ここでなら俺が一番でいられる。」


 そんな立場に落ち着き、優越感まで覚えている自分に、恥じることはなかった。

 

 彰が入部するまでは。


 少し前まで中坊だった無名のチビが、3年の堀と互角以上の実力を持ち、すぐに部でナンバーワンになった。しかし、彰自身はそんなことどうでもよく、より強くなろうと外に目を向けている。


 自分が縋りついていたものが、彰にとっては砂粒ほどの価値もないものだと思うと、自分がひどく惨めで、彰が妬ましかった。



 しかし、そんな彰を見る内に、堀の中にも変化が起きていた。

 

 練習で彰相手に良いプレーができると、嬉しくなる自分がいた。


 それは、長く忘れていた、自分より強い相手に勝ちたいと思う感情。小さい枠の中で誰が強いか、などではなく、純粋に自分より強い司馬彰という相手に勝ちたいと思う心。


 当たり前のようで、堀が忘れていたことを呼び覚ましてくれた彰に対し、嫉妬を含みながらも、感謝を抱いていた。


 今日は、そんな彰と最高の緊張感をもって試合ができる。


 グレーな決着は望まない。白黒つけたい。たとえ相手が不調でも。



 堀の心意気に、彰は気づいていなかったが、気持ちが滾った。

 

 それは堀も同じだった。


 次を堀が取れば、当然、堀の勝利だ。

 しかし、彰が取って並べば、おそらく彰が勝つだろう。実力は彰が上。しかも、勢いも完全に彰だ。


 次のポイントで決まる。堀はそう確信していた。


 堀のサーブ。


 ここにきて、奇をてらうショートサーブ。シングルスではロングが主体だが、この局面で今日初めて出した。


「くそっ。」

 虚を突かれ、ダッシュできなかった彰は、やむなく高く打ち上げる。


 堀にとってはまたとないチャンスだ。


「しゃっ!」


 渾身の、サイドをつくカッティングスマッシュだ。


 前にのめり込むような形でなんとか拾った彰に、今度は逆側に強烈なストレートスマッシュを打つ。


 かろうじて打ち返したシャトルは、力なく上がった。


 絶好球だ。


 強く打ち抜く。それだけだ。何も考えるな。


 堀は今日一番のスマッシュを打った。



 トン。



 サイドギリギリに飛ぶシャトルに、彰は飛びつくようにラケットを伸ばす。僅かに当たったシャトルは、ネットを・・・・・・かろうじて超えた。


「くっ!」


 思わぬ返球に、堀は慌てて前に詰める。


 角度がない。打ち上げるのは難しい。ヘアピンで拾う。


 そこに、読んでいたように、ギュンと彰が詰めてきた。

 ラケットを上げている。


(叩いてくる!)


 堀は慌てて下がる。




 否、下がってしまった。


 彰はフェイントで、柔らかくラケットを立て、シャトルを落とした。


 堀が反応できず、シャトルはネット際に落ちる。


 20対20。デュース。


 おお、と湧き上がる部員達。笑う金本。


 追いついた、と意気込む彰と、苦笑いしながらも、吹っ切れた様子の堀。




 まもなく試合は終わった。


 最終スコアは23対21。彰にとっては、公式戦に勝利したような、達成感があった。

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