殺し遂げた、その後に

 その後私は二日間にわたって、ヤツを痛めつけ続けた。

 すぐには死なないように、でも、すごく痛くて苦しい目に遭わせ続けた。


 手始めに手足二十本の爪を剥ぎ、剥いだ後はそこに千枚通しを刺したり、煙草を押し付けたりした。これは相当効いたようで、以後は反抗的な態度を見せることがなくなった。

 背中の全面にナイフで大きく「屑」という字を刻み付けた。画数が多いので刻むのが大変だったが、刻まれる側の苦痛も大きかったことだろう。よしんば生き永らえたとして、背中にこんな文字が刻まれていては恥ずかしくて人前で着替えができないだろう。生かす気などないのだけど。

 火傷させた脚は徹底的にいたぶった。皮膚を失い、赤い肉が露わになった患部をナイフでめちゃくちゃに切りつけ、塩を擦り込み、更にもう一度熱湯をかける。そんなことを数度繰り返すと、もはやこの脚は機能を回復する見込みなどないのではないかと思われる惨状を呈した。

 メリケンサックで更に顔を殴りつけたのはもちろん、ブラックジャックを使って胴体や手足も漏れなく痛めつけた。急所であるみぞおちを重点的に狙ったことは言うまでもない。


 合間合間に水分補給をさせ、申し訳程度に食事も摂らせたが、もちろん渇きと空腹が満たされるような量ではない。

 エアコンを切った部屋の中で身体を動かしているのだから、私は間断なく水を飲み、時にはヤツが好きな銘柄の炭酸ジュースをこれ見よがしに飲んでみせたりした。私は炭酸が好きではないのだが、ヤツの渇望感と羨望を掻き立てるためだと思えば、難なく一気飲みすることができた。

 ピザをデリバリーして、ヤツの目の前で一枚平らげてやったりもした。私は少食だから本来こんな量を食べるのは難しいはずだが、ぺろりと食べきることができた。


 うだるような部屋の中にいては私が体調を崩してしまうので、ヤツが明らかに意識を失っている時などは、抜け出して冷房がガンガンに効かせてある自分の部屋で涼みつつ休憩を取った。

 不思議なことに気分は昂揚していて、疲労を感じなかったし、かといってそれが苦痛だから無理やりにでも眠りたい、などとも思わなかった。気分が昂りすぎて眠れないという状態はつらいはずなのだが。だから私は何年かぶりに、精神安定剤トランキライザーなしで過ごすことができた。本当にやりたいことをやるためならばどこまででも頑張れるのが人間というものなのかもしれない。



 責めを再開してから二日目の夕方、そろそろ終わりにしよう――そう決めた。

 

 諸々の後処理のために明日はあらかじめ有給休暇を取っているとはいえ、その後は仕事に戻らなくてはならないし、ヤツは血とか膿とか汗とか小便とか、いろいろな体液に塗れていて臭い。火傷の化膿が進むと、臭いは更に耐え難いものとなるだろう。

 昔の中国で行われていたという凌遅刑りょうちけいよろしく肉を少しずつ削ぎ落したり、比較的ダメージの少ない状態が保たれている膝から下の生皮を剥いだりして長々と苦痛を与え続けるのも魅力的だが、臭いの問題はもちろんのこと、最悪の場合、ヤツの身体にハエがたかり始めるであろうことは想像が付いたので、想像して愉しむにとどめることにしておいた。

 看護師という職業柄、外傷や褥瘡じょくそうなどによってできたひどい状態の患部を見る機会はそこそこあるが、生きた人間の体に蛆が湧いているという絵はまだ見たことがないし、見ることになったとして耐えられる気がしない。私は、虫が好きではないのだ。



 殺し方については、返り血を浴びるのが嫌だから首を絞めるのが一番だろう。失禁は避けられないだろうが、それでも、一番綺麗な部類の死に方であることは間違いない。

 しかし、息の根を止めてやる前に一つだけ、聞いてみたいことが私にはあった。



 

 「この二日、じゃなくてえーと三日か。痛くて苦しかったでしょ。そろそろ終わりにしてあげようかなと思うんだけどさ」

 

 ヤツに切り出すと、ぴくりと身体を震わせてこちらを見た。言葉は何も発しないし、既に原型をとどめていない顔からは表情も読み取れない。何を言われてもどんな顔をされてもほだされない自信はあるし、決定が覆ることもないのだけど、もう少しちゃんと受け答えできる程度の体力だけは残しておくべきだったかな――そう後悔する。この状態では、聞き出すことが叶わないかもしれない。


 それでも――試してみる価値はある。


 

 「最後に一つ、聞きたいことがあるんだ。どうしてお母さんを殺したの? 単なるものの弾みじゃなかったよね。だってあんたあの時、背中を押して突き落としてたし。あんなにあんたを庇ってくれてたお母さんを――どうして殺したの? 答えて」


 「アイツは、母親、なんかじゃ、ねぇ……」


 

 問い質すと、思いの外はっきりした答えが返ってきた。あうあうとわけのわからないことだけを言われることを半ば覚悟していただけに、少し驚いた。


 「どういう意味」

 「そのまんまの、意味だ…… 親父は、あの女の、せいで、死んだ……

 あの、女……憎かった、だから、殺した……」


 カッと頭に血が昇った。


 「お母さんのことをあの女呼ばわりとかやめなさいよ! あんたのこと、すごく大事にしてたじゃないか! お父さんは、なんか知らないけどあんたと同じように勝手に引きこもって、勝手に死んだんだよ! お母さんのせいなんかじゃない!

 それに何? 言うに事欠いて、『憎かったから殺した』? そんなこと言うの?」


 激情のままにまくしたてるとヤツはふ、と息を吐いた。笑ったつもりなのだろう。怪我を負い、体力も失っているせいで、笑うことはできなくなっているのだ。


 「お前、何も、知らないん、だな……」


 

 何も知らない? とんでもない。私は知っている。

 

 父親と言うべき存在は二年ほど引きこもった後、首を吊って死んだ。そうして男親が不在になった家の中でヤツは誰に止められることもなく暴君の如く振る舞い、母と私は日々サンドバッグ扱いされた。殴る蹴るの暴行はジャブ程度。鼻を折られ、脚に火傷を負わされ、手を切り付けられ――傷跡が残るほどの暴力を何度も受けた。家から出るために全寮制の高校に行こうと準備していた矢先にヤツが母を階段から突き落として死なせた――いや、殺したから、私は家に残るしかなくなった。苦労しながらなんとか看護職に就いて、職場でも家でも人の世話をするばかりで、私自身を労わってくれる人はどこにもいなくて、いつまでこんな生活が続くのだろうかと絶望していたところ、引きこもり特対法が施行された。だから私はこうして、ヤツを散々痛めつけた後で始末してやろうとしているのだ。


 

 何も知らずのうのうと生きてきたのは、お前の方じゃないのか――

 

 私はヤツを睨み据える。


 「もう、いい。あんたが人を殺したことを悪いとも思わない本当に最低の屑だってわかった。これ以上、話すことは何もない。

 ――もう、死んで」



 私は、ヤツの首に手をかけた。

 私程度の握力ではそう簡単には死ねないと見えて、数分間ヤツは痙攣を続けたが、最後にひときわ大きく震えたと思うと、それを最後に、動かなくなった。


 手を放す。舌が飛び出した醜い死に顔をなるべく見ないように、今まさに失禁したのであろうと思わせる新鮮な尿臭をできるだけ嗅がないようにしながら私は椅子から離れた。


 ――終わった。


 私は、安堵の溜息をついた。





 数時間後、私はヤツの死体はとりあえずそのままに、警察署に来ていた。引きこもり特対法にのっとって親族を殺した場合に定められた、所定の手続きを行うためだ。

 受付で来意を告げると、間もなく四十絡みの婦人警官が来て、小部屋ブースに案内された。彼女は今時珍しく眼鏡、それも黒いフレームのお堅い印象を与えるやつをかけていて、髪もかっちりと束ねている。その物腰や立ち居振る舞いからは、いかにも警察官という雰囲気が漂っていた。


 「引きこもり特対法適用事案担当課の名取です」


 促されるまま向かい合って座ると婦人警官は名乗り、「まずは申請書をお書きください」というので、言われた通り、申請書に必要事項を書き込んでいく。私の名前は城崎璃亜しろさきりあ。殺した相手の名前は城崎礼音しろさきれおん。続柄は、兄――というふうに。


 

 書き終えた申請書を渡すと、名取は


 「それでは、事実関係を確認して参りますので、少々お待ちください」

 

 と告げ、一礼して小部屋から出て行った。


 

 事実関係って、何だろう。ヤツがどれだけ長い間引きこもっていたか、どれだけひどい暴力を振るってきたか、どれだけ迷惑な存在だったか――そういうことを、事細かに調べてくれるのだろうか。そうだとしたら、お母さんが殺された“事故”についても、本当のことが明らかになるのかも。あの時は、犯罪者の妹なんてものになりたくなかったからそう処理してもらったけど、今なら本当のことが全部わかっちゃってもいいな。

 いろいろ調べてもらった結果、こんなひどいヤツは殺されて当然だと認めてもらえて、褒めてもらえるだろうし、報奨金だっていっぱいもらえるのだろう。報奨金、満額の百万だったら理想的なんだけどな。



 一人、小部屋に残された私がそんなことを取りとめもなく考えていたらドアが開いた。名取が入ってきて、先ほどまでと同じ、私の向かい側の椅子に座った。

 


 「兄のこと、調べてくれたんですよね? ね、ひどい奴だってわかったでしょ?」


 名取の表情から、出て行く前にはなかった深刻さがかすかに読み取れるような気がして、必死に話しかける。



 「ええ、調べました。その結果」

 

 名取は途中で思わせぶりに言葉を切った後、続けた。


 「あなたとお兄さんの間には血縁関係がないことがわかりました。よって、あなたの行為は引きこもり特対法適用の対象外となり、通常の殺人事件として取り扱われることになります」


 

 そんな、そんな馬鹿な。そんなはずは――

 

 私は、何も考えられなくなった。

 何も考えられないまま、何か説明をする名取の口元をぼんやりと眺めた。

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