夢にまで見た、復讐

 引きこもり特対法は、私の職場でもおおいに話題になった。


 ――国もすごいこと考えちゃったね。

 ――ていうか、こんな法律よく通ったよね。

 ――でもさぁ、いくら罪にならなくても、殺すのってさすがに嫌じゃない?


 そんなことを、顔見知りの同僚と顔を見合わせて盛んに言い合う。同僚の中には身内が引きこもりだという人も多いのだろうけれど、そうだったとしても、そんなことは誰も気にしていなかった。今や引きこもりのいる家はあまりにもありふれているから。私だって、わざわざ「兄が引きこもりで、もう二十何年も家から出ていないんです。本当にもう、毎日が大変で……」などとカミングアウトなどしていない。

 

 同僚との雑談に参加し、にこにこ笑って相槌を打ちながら、何甘いこと言ってるんだろう、と私は醒めた気持ちだった。殺せば片付くならば、そしてそれが罪に問われないならば、むしろはないではないか。殺しても殺し足りない、憎くてたまらない引きこもりの屑を殺しても前科が付かないばかりか、お金までもらえるなんて。本当に最高だ。奨学金返済の足しにもなるし。



 ぽつりぽつりと引きこもり特対法が適応される事案が発生し始める中、私はヤツを殺す方法を考えた。物心がついた頃から苦しめられてきた相手だから、簡単には死ねない方法でじわじわといたぶってやりたい。

 

 そのためにはどうしてやるのがよいのか、私は何週間か考え、計画を練り、そしてそれを、実行に移すことにした。




 真夏のある日、私はヤツの味噌汁に精神安定剤トランキライザーを盛った。それは私なら飲んでも何も起こらない程度の量でしかなかったが、健康体で、この手の薬とは無縁のヤツには覿面てきめんに効いたようだ。安普請の部屋の壁を通してヤツのいびきが聞こえてきてから念のため数十分置いて、私はヤツの部屋に入った。普段はドアを開けることすら許されていない、ヤツの聖域である。


 部屋に踏み入ると、カビと埃に体臭が混ざったような、えた臭いが鼻にまとわりついてきた。ヤツは私が家にいない間にシャワーを浴びてはいるようだが、それでも、この部屋の中は、臭い。きっと数日おきにしか身体を洗っていないのだろうし、換気だってろくにしていないのだろう。私は興味がないから、実際のところどうなのか知らないけど。

 

 室内を見回すと、まずは山と積まれた週刊少年ジャンプが目に付く。この手の漫画雑誌だって電子版が主流になって久しいのにヤツは紙媒体にこだわるので、毎週月曜日の朝に届くよう宅配を手配し、シフトの関係で時間が前後することがあっても必ず、月曜日中にヤツの部屋の前に置いてやるようにしている。そうしなければ怒って暴れるからだ。本当に、面倒臭い。たかが漫画雑誌ひとつが発売日に手が入らないくらいのことで、そうまで怒らなくたっていいだろうに。

 それにしても何故、週刊少年ジャンプに執着を続けるのだろうか。三十を過ぎたヤツは「少年」なんてがらではもちろんないし、三大原則たる「友情・努力・勝利」とも無縁だ――だって、小学校にもロクに通っていないヤツに友情を育むような相手がいるはずもないし、努力だって小学校に通うのをやめると同時にしなくなり、勝利どころか生きているだけで負けな人生を送っているではないか。虚構の世界で自分とは正反対に前向きに頑張る登場人物たちの姿を漫画で読むことのどこが、そんなに楽しいのだろうか。全く――理解に苦しむ。


 くずかごの周りには、丸まったティッシュが点々と落ちている。きちんとくずかごの中にごみを捨てることすらできないのか、と呆れると同時に、それらが何に使われたものであるかも想像が付いてしまってげんなりとする。何もできない、しようとしない引きこもりでもソッチ方面ではヤる気があるのは父親譲りかと軽蔑する他ない。散々暴力と暴言には晒されてきた人生だが、の捌け口にされないだけ、私はきっとまだしも恵まれているのだとは思う。


 窓際に置かれたベッドで寝入っているヤツは、当分起きそうにない。そのことを、ヤツの汚らしい顔を覗き込んで確認した私は、まずは部屋を片付けてしまうことにした。使われなくなった後も虚しく鎮座する学習机は私の腕力やドアの幅を考えると撤去するのが難しいから残しておくことにして、ばさばさと音を立てながら週刊少年ジャンプを廊下に放り出し、くずかごを蹴り出した。臭ってきそうなティッシュは触りたくなかったし、この程度の小さなものなら面積を取らないから残しておいても構わないだろうと判断して、そのままにしておいた。

 どちらにせよ、スペースはそんなに必要ない――椅子一脚と人一人分、+α。必要なのは、それだけだ。


 

 きっといろいろと汚れるだろうから、後始末が楽に済むよう床にブルーシートを敷いてから、背もたれも付いたしっかりとした造りの木製の椅子を置き、全裸に剥いたヤツを座らせて後ろ手に手錠をかける。足首も、抜かりなく手錠で拘束した。蹴られてはかなわない。

 仕事で慣れているとはいえ、自分より遥かに重い上に、精神安定剤の作用で全身が脱力した状態の男の服を脱がせて移動させるのには骨が折れ、セッティングが完了した頃にはすっかり息切れしていた。

 結構な大移動をさせたというのに、その間もヤツは目覚める気配がなかった。精神安定剤って、飲み慣れてないとこんなによく効くものなんだな、と実感する。


 数分間呼吸を整え、手で汗を拭ってから一度部屋を出て、廊下に散乱している週刊少年ジャンプを今度はヤツのベッドの上に手あたり次第放り投げた。どうせ二度と読まれることのない雑誌だから捨ててしまって構わないのだが、今、疲れたこの身体で紐で縛るのは億劫だから、どうせ二度と使われることのない、ヤツのベッドの上にとりあえず置くことにしたのだ。


 

 最後に忘れずにエアコンを切り、照明も落として、私はドアを閉めて廊下に出た。肺の中に溜まった汚い空気を一掃すべく深呼吸しながら自室に入り、いつもの通り精神安定剤をガリガリと噛んだ。

 ベッドの上でなんだかいつもより甘いようなその味に酔い、目覚めた後に始める復讐に思いを馳せながら、私はすとんと眠りに落ちた。





 翌日、正午すぎに目が覚めた。

 今日は深夜勤の予定だが、三時間ほどはヤツのために使える。


 これから使うつもりの道具類を抱えて、ドアの開閉に少し苦労しながらヤツの部屋に入り、椅子の前に立つと、汗だくで朦朧としていたヤツは私に気付くなり唾が飛んできそうな勢いで罵倒してきた。


 「おいっ! テメェこれどういうことだよ? これほどけよ! エアコンも切ってんじゃねぇよ、暑いじゃねぇか!」


 口先は威勢がよいが、ちっとも怖くはない。だって、手足を封じられたこの状態では精々こんなふうに喚き散らすくらいしかできないのだから。あぁ――噛みつくくらいはできるかもしれない。弱らせるまでは口元に手を近付けないようにしよう。


 

 「ほどくわけないでしょ。あんたは死ぬまでそのまんまだよ」


 冷酷に告げてやると、俺のことあんたとか呼ぶんじゃねぇよ――とかなんとか、ずれた反応が返ってくる。今気にするべきところはそこではないだろうに、そんなこともわからないコイツは本当に馬鹿だ。この先自分が何をされるのか、何故自分は椅子に縛り付けられているのか――そういうことを、その腐った頭で考えてみることもできないのだろう。引きこもっていた期間が長くなりすぎていて。


 「バカで世間知らずのあんたでも、スマホ弄りくらいはできるんだから知ってんでしょ――引きこもり特待法」


 ヤツの顔がサッと恐怖の色に歪んだ。


 「まさかテメェ、お、俺を……こ……ころ……」

 

 「そう。殺すの。あんたを。私が」


 滑稽なまでに狼狽えているヤツに、文節ごとに言葉を区切って、ゆっくりと、明確に伝えてやった。どんなに馬鹿でも、どんなに動揺していても、どんなに頭が悪くても、意味が理解できるように。


 

 「テメェ……そ……そんな、ことして、ただで済むと思ってんのか」


 ――まだ言うか。

 私は心底呆れながら親切に説明を付け加えてやる。


 「クソ迷惑な引きこもりの、あんたを殺しても、私は罪に問われない。同じ家の、兄弟の間でのことだから。それどころか、お金までもらえる。『よくやってくれた!』ってね――それが、引きこもり特待法。あんたまさか、知らなかった?」


 ヤツは歯をカチカチと震わせながら必死で言葉を絞り出した。


 「ま…まさか、俺が、こ……ころ、殺される、なんて……」


 「思ってなかった?――認識が甘いよ。私は今からあんたを殺す。

 私はずっと、あんたを殺してやりたかった。特対法のおかげで私は合法的にあんたを殺せるんだ。嬉しいなぁ」


 そこまでで一度言葉を切り、そして宣言する。


 「楽に死なせてなんかやらない。今まであんたがしたこと全部やり返してやる。たくさん苦しむといい。これは――復讐なんだから」





 まずは灰皿を取り上げ、ヤツの顔めがけて叩きつける。


 「ぐひぇひい」


 とかなんとか聞き苦しい悲鳴を上げるヤツの鼻筋はひん曲がり、だらだらと大量の鼻血が流れ落ちている。鼻が折れ曲がっているし鼻血が出ている。そして死ぬほど痛い。この状態では鼻呼吸をするのが難しいはずだ。それを私は知っている。ヤツに鼻を折られたことがあるのだから。


 「あんた、私を拳骨で殴って私の鼻をへし折ってくれたことがあったよね。腕力に自信がないから灰皿でぶん殴らせてもらったけど、痛くて息もしにくいでしょ」



 ヤツの返事を無視して今度は電気ポットを持った。容量四リットルの特大サイズだ。

 

 「や、ひ、やめ……」

 

 ヤツはこれから起こることを予期してか、言葉にならない声で何やら懇願めいたことをしているようだが、そんなものはもちろん無視して、ヤツの両脚の膝から上に満遍なく熱湯を注いでやった。


 「ひ、ぎゃ、あつ、熱い、熱いぃぃぃぃぃぃ」

 

 聞くに耐えない悲鳴が響きわたる。

 もがいて少しでも楽な姿勢を探すことすら、今のヤツには叶わない。熱湯をかけられた箇所はいくら冷やしてもじんじんと熱を持ち、皮膚が剥がれ落ちて手当てをするたびに猛烈な苦痛を味わう羽目になる。熱いうどんを脚にぶっかけられて火傷を負った私はどんなにつらかったことか。ヤツには手当の一切をしてやるつもりがないし、むしろ焼け爛れた患部を更にいたぶってやるつもりだ。私と同じ――いや、それ以上の苦痛を味わうといい。


 「あんた、私の脚に熱いうどんぶっかけてくれたことがあったよね。あの時ひどい火傷をして、今でも跡が残ってるんだよ。あんたにはうどんじゃなくて、熱いお湯をたっぷりサービスしてあげたよ。もちろん手当はしてやらないから。熱くてたまらないだろうけどね」



 「ちょっとだけ手錠外すけど、私に何かしたら爪を剥いでやるから」


 苦痛に顔を歪め、荒い呼吸をするヤツに一方的に告げて手錠を外してやり、有無を言わさず右手を掴み、大振りのカッターナイフでその手の甲をザっと切りつけると、口を開けた白い紡錘形の傷から、一泊遅れてだらだらと血が流れ始める。


 悲鳴らしい悲鳴は上がらない。鼻と脚の負傷の痛みが強すぎて、この程度の痛みにはもはや動じないのか、あるいは、痛いけれども悲鳴を上げるだけの気力体力がないのか。別にどちらでも構わない。いずれ遅かれ早かれ、悲鳴を上げることなんかできなくなるのだ。


 この位置、この深さならおそらく静脈、神経、そして腱が損傷している。ここまでの深さだとたとえ皮膚は縫合できても、治った後も痺れは残るし握力だって落ちる。ちょうと同じ位置に同じくらいの傷を負わされたのだから私にはわかる。


 「あんた、ガラスで私の右手を切り裂いてくれたことがあったよね。おかげで目立つ傷跡が残ってるし、今でもちょっと不自由なんだよね、私の手。右利きなのに。あんたにも同じくらいの傷を付けてあげたよ。痛いでしょう」


 出血する手をそのままに、元通り両手を後ろ手に手錠で拘束した。抵抗らしい抵抗はなくて、ちょっと拍子抜けだが、まぁ――爪はまた後でじっくり剥いでやればいいか。

 

 

 この日の締めくくりとして、メリケンサックを嵌めた拳でヤツの顔を殴った。すっかり顔が変形して目鼻立ちがわからなくなった頃に飽きてやめると、ヤツはプッと折れた歯を吐き出した。そういえば私もヤツに殴られて折れたんだよなぁ、前歯。ヤツのこれは奥歯かな、と、床に落ちた歯の形から推測する。

 

 

 今日はここまで――と決め、一リットル入りの水のペットボトルをヤツの口元に持って行ってやると、少し不思議そうな顔でこちらを見るので、意図を説明してやる。


 「楽に死なせないって言ったよね。このまま放置して脱水とかで死なれてもつまらないから水飲んで。きっとこれでも足りないだろうけど」

 

 ヤツはおとなしく従った。実際喉は渇いていて当然なのだ。あてがったペットボトルの中身を飲みにくそうに、それでもさほど時間をかけずに飲み干した。


 満身創痍ながらホッと一息ついたヤツに、苛立ちが募る。まだまだこれからなのに。ほんの少しの間、休むことができるだけなのに。



 「私、これから仕事だから今日はここまで。おなかもすいてるだろうけど、私が帰るまでご飯は我慢して。

 続きは明日ご飯食べてからね。じゃあ――おやすみ」 



 そう伝えて、使い終えた道具を搔き集めて部屋を出た。


 ヤツは何かもごもご言っていたが、その内容は多分、もうやめてくれとかそういうことなのだろうが、すぐに、もう殺してくれと懇願したい気分になるはずだ。


 

 いつまで持つか――まぁなまじ長持ちしてもつらいだけだけれど。

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