36話「いばら姫」
36話「いばら姫」
柊は風香の家に到着すると、急いで合鍵を取り出して、彼女の部屋に2人で入った。
部屋は真っ暗で、柊は電気をつけて廊下を走った。すると、奥の真っ暗な寝室のドアが空いていた。そこには、彼女がベットの上で仰向けに横になってた。
「風香………」
柊は彼女に近寄り、風香の顔を見つめた。
いつもより青白い肌と唇、表情もどこか苦しそうに見えた。
柊は彼女の頬に触れる。少し冷たくなっている。けれど、彼女の体がゆっくりと呼吸しているのを感じられ、ホッとした。
「よかった……。風香さん、無事ですね」
「あぁ………でも、顔色が悪いな………」
「………確かにそうですね。呼吸も少し遅くかんじられますし………」
「………風香………」
柊は風香の髪を撫でる。
いつもならば、頭を撫でれば嬉しそうに微笑みすり寄ってくる猫のような彼女だけれど、今は熟睡してしまっている。
メモリーロスを使用後は深い眠りにつくのは知っている。頭の中の記憶を一時的に削除するのだ。体に負担がないはずもない。その負荷に耐えられずに体を壊す人も多いのだ。
「青海さん、これを見てください」
「………メモリーロスか………」
和臣は風香の寝室のサイドテーブルに置いてあった未使用のメモリーロスを見つけたようだった。柊もそちらに目を向け、薬を見つめる。淡いピンクとパープルのカプセル。メモリーロスのカプセルと言われるものだ。
「医療用のカプセルに似てはいるが………」
「はい。少し大きめに見えますね」
職業柄、メモリーロスはよく目にしている。もちろん、法外なものもだ。
「これを押収させてもらって、成分を確認しましょう。ですが、この状態だと大丈夫だと思います。過剰摂取が多すぎると寝ていることも出来ないので」
「そうか………」
「病院につれていきましょう………」
「いや………そのままにしよう」
「え!?」
自分でも酷い事を言っているとわかる。和臣が驚くことも。だが、柊にはそうするしかなかったのだ。
「何言ってるんですか?過剰摂取の危険があるなら1度受診しないと」
「この状態なら大丈夫なんだろう?」
「ですが………!」
「風香は自分を囮に使って欲しいと薬を飲んだ。病院に行き、そこで目を覚ましてメモリーロスを飲んだと知ったら、風香はどうなる?薬が切れるのを待って、何故薬を飲んだのか思い出す事になるんだ。そして、美鈴の事も思い出す。そうなったら、風香が危険をおかしてメモリーロスを受け取り、恐怖と戦って薬を飲んだ。そんな彼女の気持ちが全て無駄になるんだ」
「…………柊さん」
自分でも情けないと思う。
好きな人が体を張っているのに、自分は何も出来ていない。守ることすら出来ないのだから。
「俺に考えがあるから後で説明する。……悪いが先に車に戻っててくれないか。風香と2人きりになりたい」
「………わかりました」
和臣は柊の悔しさと悲しさが混じった表情を見つめたあと、ゆっくりと部屋から出ていった。
柊はベットの横に座り、近くで風香の顔に自分の顔を寄せた。
「おまえ、何やってんだよ………俺を心配させて。でも、そうやって友達のために体をはって何かしようとする。そんな風香が俺は好きだよ」
そう言って、眠る風香の頬にキスをした。
すると、ポタポタッと滴が彼女の頬や鼻先に落ち、流れていく。
それが彼女のものではないと気づくのに、柊はしばらくかかった。
「おまえの前で泣くなって、カッコ悪いな……………でも、今回だけは許してくれよ。風香、おまえを守れなくて、本当にごめん。………おまえの気持ちは受け取ったよ。2人で捕まえよう。そして、風香の思いを彼女に届けてくれ。………最後まで彼女を信じてあげてくれ」
柊は、涙を拭いた後、ポケットからスマホを取り出した。そして、先ほど彼女から届いたメッセージを再び開いた。
これは彼女からのSOSでもあり、謝罪でもあり、ラブレターでもあった。
柊はそのメッセージにまた目を通した。
どこから彼女の声が聞こえてくるような気さえした。
『 柊へ
柊には怒られるかもしれないけど、美鈴の事をどうしても自分の力で解決したいと思っているんだ。でも、自分だけでは、出来ないから柊に手伝って欲しいんだ。
お説教なら、いつでも聞くから。甘えさせてね。
いろいろ考えて、私が囮になるのが1番だと
思ったの。私の宝石を狙っているなら、いつも通りに接して、美鈴が部屋に入ったのを現行犯逮捕する。でも、きっと美鈴自身は手を汚さないかもしれない。そしたら、きっと私に居場所を聞いてくると思う。そうしたら、助けて欲しいんだ。私がピンチな時には助けてくれるよね。だって、柊は警察官でヒーローでしょ?
それと、美鈴の事を知った私はきっと美鈴と今まで通りに話せないと思ったの。きっと表情でバレちゃう。女の勘は鋭いから。
だから、メモリーロスを飲むことにしたわ。病院はすぐに予約出来なかったから……ネットで探したり、SNSに「メモリーロス飲みたいな」って書き込みしたら、すぐに売ってくれる人に会えたの。違法なものじゃないって言われたけど、わからないよね。売り子さんは普通の女の人だったけど、やっぱり飲むの怖いな。
でも、自分の決めたことだから、飲むね。
美鈴の事を柊に聞いたこと、忘れるように飲んだ後に強く強く願うね。
危険なことに巻き込みたくないって、せっかく忘れたのに教えたら怒るからね!
でもね…………こんな事勝手に決めてごめんなさい。
柊は優しいから、私がこんな事を考えているとわかったら止めちゃうでしょ?だから、話さなかったんだ。
柊を頼ってないわけじゃないよ。柊が助けてくれる。私と美鈴を助けてくれる。そう信じてるから、メモリーロスを飲むの。
作戦とか柊にお任せしちゃうのは申し訳ないな。
でも、少し心配なんだ。
目を覚ましたら、美鈴の事だけを忘れてるんだよね?
………柊の事、忘れてたらどうしよう?
あなたに会った日の事とか、デートをしてくれたり、抱きしめてくれたり、プロポーズしてくれた日の事忘れたくないよ。
でも、メモリーロスを飲まなくなったら思い出すのかな。でも、飲み続けなくちゃいけないよね。
あ、捜査が遅れてたら、こっそりメモリーロス飲ませてね。飲み続けてないと思い出しちゃうみたいだから。
きっと、柊は自分が頼りないからだ、守れなかった。そう思っちゃうんだろうね。
でも違うよ。私は大切な友達を守ろうとしてる。柊も美鈴を悪の手から抜け出す手伝いをしてくれようとしてるんだよね。ありがとう。
大切な友達を守ろうとしてくれて。
私、柊のお嫁さんになるんだよね
。
警察官の奥さんになるんだから、覚悟は出来てます。というか、役に立てるのが嬉しいの。柊の事守るのが、奥さんだから。
私を囮に使って、必ず美鈴を捕まえてね。
絶対、絶対だよ!
別れの挨拶みたいになってるけど、絶対に柊を忘れない。もしも、忘れてたとしてもまた好きになる。
だから、会いに来てね。
自分勝手なフィアンセを許してください。
柊、大好き。
風香 』
柊は、スマホをポケットにしまい、ゆっくりと立ち上がる。
「風香……ありがとう。もしかしたら、辛い思いをさせてしまうかもしれない。けど、必ず迎えに行く。助けに行く。だから、待っててくれ」
いばら姫のように静かに眠る風香の唇に、ゆっくりとキスをする。もちろん、姫のように目を覚ます事はない。
唇をゆっくりと離し、風香の顔を見つめる。
先ほどの苦しそうな表情から、少しだけ穏やかなものに変わっていた。柊はそれを見てホッとした。
「俺も愛してる」
そう、眠る風香に言葉を残し、柊は彼女の部屋から離れ、部屋の鍵をしめた。
「………やってやるさ」
風香の家の鍵を握りしめ、柊は力強げつぶやいたのだった。
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