29話「正体」






   29話「正体」





 「急にお願いしてごめんね」

 「いいのいいの。時間あったし、風香に食事に誘おうと思ってたところだったから」



 風香はずぐに美鈴に連絡をして、彼女と合流した。美鈴は急な頼みだったが、しばらく家に泊めてくれる事をすぐに承諾してくれた。



 「柊さんが泊まり込みで仕事で一人になるのは怖いでしょ?あんな事があった後だし。………あれからは輝は来てないの?」

 「うん。なるべく柊の家に居るようにしたから。引っ越しもそろそろ終わるし」

 「同棲の方が安心だもんね。私もその方がいいと思うよ」



 なるべく人混みを歩いた方がいいと、夜の街を美鈴と歩いていた。平日の夜でも人は多い。こんな雑踏が今はとても安心出来る環境だなんて不思議だな、と風香は思った。

 夕飯を食べた後に、美鈴の提案で少しだけ飲みに行く事にした。知り合いがやっているバーだというので、そちらに向かっていた。



 「それで、柊さんはどう?記憶の方は少し改善してるの?」

 「ううん。まだ全然………。メモリーロスもなかったし」

 「そうなんだ。やっぱり内緒で病院とか会社とかで飲んでるのかな。………今度尾行でもしてみる?」

 「美鈴………柊は警察官だよ。警察官を尾行うしてもすぐにバレると思うけど?」

 「あぁ!そういえばそうだよね」



 そんな話しをしながら、美鈴の後について歩く。すると、少しずつ店が少ない繁華街から離れた場所になっていく。人の数も街の明かりも少ない場所だ。

 隠れ家的なレストランや路地裏のスナックやバーが立ち並ぶ落ち着いた雰囲気の場所だ。



 「美鈴はこんな場所も詳しいんだね」

 「まぁ、知り合いがここら辺にお店持ってくからよく来るの。なんか大人っぽい雰囲気でいいでしょ?」

 「確かに新鮮かも」

 「でしょ?この路地裏の店だよ」



 美鈴はやけに楽しそうに微笑んでいる。

 先ほどの店の酒を飲んでいたけれど、彼女は酒には強かったはずだ。訪れるバーに何か秘密でもあるのだろうか。風香は彼女の様子を見てついつい笑顔になってしまう。



 「ほら!早く行こう!」

 「うん。今行く…………ぇ……」


 

 駆け足になる美鈴の後を追いかけようと、走りだそうとした。

 その途端、突然2人の目の前に大きなフードを頭まで被った男が数人音もなく現れた。

 真っ黒なパーカーに、黒のパンツ。みんなが同じ格好。顔は見えないが、口元が皆ニヤついているのがとても不気味だった。裏路地の真っ暗闇に紛れこんでいる夜の住人のようだった。



 

 「キャアッ!!」



 突然現れた男達の姿を見て、美鈴は驚きの声を上げた。すると、突然一人の男が美鈴の手首を掴んだ。




 「美鈴っ!!」

 「やめて、離してっ!」

 


 必死に抵抗する美鈴に近づこうとした瞬間、風香は背後から出てきた腕に引き寄せられた。

 いつの間にか背後にも男達の仲間がいたのだ。風香が恐怖のあまり声を上げようとしたけれど、その声は呻き声に変わった。



 「ぅ………………」



 男の拳が風香の腹部に勢い良く入った。

 鈍い痛みを感じ、風香は苦しさから意識が飛びそうになる。

 美鈴はどうなっただろうか。動かない体。瞳だけを動かして辺りを見たけれど、朦朧とする意識と暗闇では誰の姿をも確認出来ない。


 風香はそのまま意識を手放したのだった。











 誰もいない、ぼんやりとした空間の中。誰かの声が聞こえる。

 これは、聞き覚えのある声。だけれど、その人達が話している話の意味は全くわからない。




 『それなら私かやる!』

 『君を危険になど巻き込みたくないだ。だから、距離を置いて欲しいと頼んだんだ。お願いだ、わかってくれ』

 『そんなの嫌よ。何でそんな事をしてたのか話したいよ。私にも責任がある!』

 『君のせいじゃない。だから、君は………』

 『…………自分が情けないよ』



 やっぱり知らない話しをしている。

 


 けど、何故が頭の中でひっかかるものがあった。これは誰と誰の会話?


 男の人と女の人の声。


 男の人の声はすぐにわかる。大好きな彼、柊のもの。けれど、柊はとても切迫した雰囲気で話しをしている。

 女の人は誰だろうか。焦った声だ。

 けれど、この声も聞いたことがある?



 風香は朦朧とする頭でその会話は聞きながら、ある答えに辿り着いた。



 「これは柊と…………私?」



 そう思った瞬間に、風香はまた頭に激しい痛みを感じた。けれど、何かを思い出せそう。なのに、頭に靄がかかっているかのように、そこだけが見えない。



 痛みに耐えながら、風香はギュッと目を瞑った。



 







 意識が戻ったのか風香は先ほど誰かに殴られた腹部に痛みを覚え、ゆっくりと目を覚ました。

 先ほどまでの夢は、必死に思い出そうとするけれど、またすっかりと忘れてしまっていた。とても重要な事だと思ったのだが、もう何の事なのかも何もわからなくなってしまった。


 風香は痛みに耐えながら体を動かそうとした。だが、腕が動かなかった。そして、体も。



 「こ、これは………何!?縛られている………?」



 風香は、やっとの事で意識がはっきりしてきた。自分の状況をやっと理解出来た。

 腕は手錠をかけられ、足首は太い縄で絞められ、ソファに寝かされていた。



 「何………これ?ここは………」



 周りを見ると薄汚れた広いリビングのような場所だった。どこかのアパートなのだろう。灰色のカーテンがしまっており、床には埃がついたカーペット、傷だらけのテーブル、痛んだソファか2つ置いてあった。



 「あ、目を覚ましたな」

 「っっ!!」



 風香をずっと監視していたのだろうか。

 部屋にある唯一のドアの前で一人の男が立っていた。黒のパーカーに黒のズボン。先ほど風香達を襲ったメンバーの一人だろう。

 風香は今の状況から自分は誰かに誘拐されたのだとわかった。やっと現状を理解したが、その途端に体が震え始めた。

 


 「あー?震えてる。そんな怖がんなよ。痛いことはしないさ。まぁー、俺たちは、ね」

 「……………」

 「怖がって声を出ないなんて、可愛いねー」



 金色に髪を染め、青色のカラコンをした若い男はニヤニヤと風香を見つめながらそう言った。

 彼の言った通り、風香は恐怖から声が出なかった。けれど、そこで気づいたことがあった。この部屋には、風香と金髪の男しかいないのだ。



 「さて、雇い主さんを呼んでくるか……楽しみはそれから、だ」

 「あ、あの…………もう一人の女の子は?」

 「あぁ?ははっ!安心しろ、ここに居るさ」



 勇気を出して紡いだ言葉はとても小さいものだった。けれど、美鈴の無事を知りたかったのだ。彼女もここにいるとなると、違う部屋に監禁されているのだろうか。きっと、彼女も怖がっているだろう。



 男はそう言うといやらしい笑みだけを残して部屋から出ていった。部屋に一人きりになっても、恐ろしい状況には代わりわない。

 何故、自分が誘拐され監禁されているのか。

 理解が出来ないのだ。

 


 先ほどの男は雇い主と言っていた。

 と、言うことは風香達を誘拐するよう命令した人物がいるという事だ。

 何が目的なのか。そんな事はわかるはずもない。

 けれど、風香の扱い方を考えれば、相手が好意的ではないのは一目瞭然だ。

 何が目的なのか、これから何が起こるのか。考えるだけで怖くなってしまう。



 カッカッ………。

 風香にとって恐ろしい音が聞こえてくる。

 部屋の外から数人の足音と気配を感じた。それはどんどん大きくなり、風香の部屋の前で止まった。


 風香は逃げ出したい気持ちから、体がビクッと動いたけれど、拘束されているので移動する事も出来ない。


 怯える瞳で、開く扉を見つめる。


 そこから入ってきた人物は、とても上機嫌な様子で風香の目の前までやってきた。



 「長い間寝てたけど、寝心地はよかった?」

 「…………ぇ………」



 風香は目の前の現実が受け止められず、小さな声を上げた。


 そこには、先ほど風香達を襲った数人のと男、そして中央には彼女が居た。



 「おはよう。風香」



 しばられている風香の姿を見て楽しそうに微笑む彼女。風香は、声も出なくなっていた。



 風香を見下ろしていたのは、美鈴だった。




 


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