19話「苦い思い出」
19話「苦い思い出」
輝はマンションのエントランスから出てきたようだった。風香は、驚きのあまりその場から動けなくなってしまったが、彼がキョロキョロしながら、何かを探しているようなのをジッと見つめた。その姿を見て、風香はようやく空だを動かし咄嗟に近くの建物に隠れた。
遠くからこっそりと彼の様子を伺うと、輝はしばらくの間、マンションの周りやエントランスをうろうろしていた。
やはり何かを探しているようだった。
このマンションに来る理由は、風香しかないはずだ。何故、自分を探しているのか検討もつかなかった。彼と付き合っていたのは大分前の事だ。そして、恋人だったが、彼の方から別れを告げてきたはずだ。それなのに、どうして今さらこの場所に来るのか。
風香は不思議で仕方がなかった。
彼がマンション付近にいる間、風香は息を殺して彼がいなくなるのをジッと待っていた。
彼がいなくなったのは、しばらく経ってからだった。数分しか経ってないはずだったが、とても長い時間のように風香には感じられた。
幸い、輝は風香が居た場所とは反対の方へと去っていた。彼の姿が見えなくなった瞬間、風香はすぐに駆け出し、彼が戻ってこない内にマンションの中へと戻った。
エントランスに入ってしまえば安心なはずだったけれど、エレベーターに乗り、部屋に戻るまで風香、恐怖に教われてしまっていた。
風香は部屋に駆け込み鍵を閉めると、そのままその場に座り込んだ。
「どうして………輝がここに?」
疑問に思いながらも、風香の頭にはある1つの疑惑が沸いていた。
彼は風香の自宅を知っている。そして、ガーネットを持っているのを知っている。
鍵は持っていないにしても、付き合っていた頃には何度か自宅にも来ていた。スペアキーを作る機会など何度もあったのではないか。
そんな風に彼を疑ってしまうのだ。
そして、「何を考えてるの……私……」と、あまりにも突飛な想像に、自分自身に嫌悪してしまう。
「………まさか、違うよ。そんな事ない………」
風香は、そう呟きながらも、その考えは大きく大きく膨らんでしまうのだった。
☆★☆
輝と出会ったのはとあるカフェだった。
風香はとあるゲームのキャラクターデザインをする事になり、苦戦しながらラフ画を描いていた。そのゲームの実況動画を見ながら世界観を勉強している時に、輝に声をかけられたのだ。
「お姉さん、そのゲーム好きなの?」
「………え………」
「カフェで難しい顔しながらゲームの実況動画見て、絵を描いてるなんて珍しかったから。俺、そのゲーム好きなんだよね」
「あ……そうなんですね」
絵を描く事が趣味だった風香は、人付き合いもほとんどなく、声を掛けられたとしてもいつも戸惑ってしまうばかりだった。
そんなよそよそしい風香だったけれど、輝は勝手に座り、風香の絵を眺めていた。
「すごいなー………お姉さん、プロみたいに上手じゃん」
「………あ、ありがとう」
こんなにも素直に褒められることなどなかった風香は、思わず嬉しくなってしまう。見ず知らずの相手に、こうやって褒めてもらって素直に喜んでしまう自分もダメだと思いつつも、やはり嬉しいものは嬉しかった。
「え、もしかしてプロなの?」
「えっと………このゲームの事は言えないけど、いろいろイラストは描いてます」
「マジで!?すごいなー。ゲーム大好きだからさ、俺の知ってるゲームあるかな?イラスト見せてよ」
「あ、はい…………」
スマホに残っていた画像を見せると輝は「あ、これ知ってるわ!」「このゲームやってた!この背景覚えてる」など、興奮した様子で沢山の絵を見たくれたのだ。
風香も自分が担当したゲームは一通りはやってみる事にしていたので、輝とも話が合い、気づくと数時間話し込んでしまっていた。
「あー、もうこんな時間か。俺ここのカフェによく来るから、また会えたらいいな。あ、これ俺の連絡先。登録しといて」
そう言うと、輝は持っていたメモ帳に自分の名前と連絡先を書いて風香に渡した。そして、大きく手を振ってカフェから出ていったのだ。
豪快で気さくで、少し軽い感じのイメージがある輝。普段ならばあまり近寄りにくいタイプの相手。
けれど、風香は輝とまた会いたいと思ってしまったのだった。
自分から連絡する勇気が出ないまま、数週間が過ぎた。それでも彼に会いたいと思ってしまい、時間を見つけてはカフェで仕事をしていた。
そのうち、「何で連絡くれなかったの?」と、言いながらまた風香の隣の席にドカリと座った男が居た。もちろん、輝だ。赤茶色に染めた短い髪と黒のフレームの眼鏡。オーバーサイズのパーカーにスリムなボトムという姿で風香の事をムッとした目で見ていた。
会えて嬉しい気持ちと、気恥ずかしい気持ちがあって、風香は思わずニヤけてしまう。
「ま、会えたからいいけど。そういえば、名前なんて言うの?」
「風香、です」
「風香ね。あ、俺の事も輝でいいよ。ねぇ、また何か絵描いてよ。俺、おまえの絵好きだな」
「う、うん………」
好き、という言葉に過剰に反応してしまう。けれど、彼は自分の事が好きと言ったわけではなく、風香が書いた絵が好きだと言っていただけなのだ。それなのに、顔が赤くなってしまうのがわかる。
「何赤くなってるの?照れてるなんて、可愛いね」
「なっ…………!」
「ほら、絵描いて!」
サラリと可愛いと言ってしまう輝に驚きつつも、また真っ赤になってしまう顔を隠すために風香は顔を逸らして、スケッチブックにイラストを描き始めたのだった。
それから、何回か会う内に、輝の方から「付き合わない?」と言われ、風香と輝は付き合い始めた。
始めはとても幸せな日々で、楽しい話を聞かせてくれたり一緒にゲームもしたりして過ごしていた。けれど、そんな日々は長くは続かなかった。
「風香、ごめん。俺、他の奴と付き合うことになったからさ。別れるわ」
「………え………」
「俺の事好きって告白してきた女がいてさ、それがめちゃくちゃタイプだったんだよ。だから、別れて欲しいんだ。悪いとは思ってるけどさ、いいだろ?」
悪びれる様子もなく、あっけらかんとそう言う輝を見て、風香は唖然としてしまった。
何も言わないで黙っている風香を見て、輝はイラッとしたのか、口調が変わった。
「だって、お前ゲームの情報とか必勝法とか何にも教えてくれないだろ。恋人にぐらい教えろよな」
「それは私にも守秘義務があって………」
「そういう所がつまんねーんだよ。俺が好きだったのはお前のイラストで、おまえじゃないんだわ」
「…………」
「だから、別れる。それで話しは終わり」
「………わかった」
呆れて物が言えないとは、まさしくこう言う状態なのだろうと、風香は感じていた。
恋人ではなく、ゲームの情報だけ知れればよかったのだ。自分が楽しむだけのために、風香と付き合っていたのだ。
彼の笑顔はゲームのためだった。
それが風香にとって大きなダメージとなった。
風香だけが傷を負い、輝には年下で可愛い彼女が出来た。
風香にとって、誰かに愛される事の心地よさと、別れの時は突然訪れ、それはとても辛い気持ちになるのだと学ばせてくれたのが輝だったのだ。
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