18話「望まぬ偶然」






   18話「望まぬ偶然」





 家に帰ってから、柊は風香に空き部屋を貸してくれた。

 何もない部屋だったけれど、テーブルと椅子が置かれている。それは、柊の部屋から借りたもの。「俺はほとんど使ってないから、使ってあげて」と言ってくれたのだ。

 部屋の窓辺には今は何もないので床に花を置いた。柊のところにずっと居座るつもりはなかったので、今だけ置かせて貰う事にした。



 寝る前に、風香は持ってきた薬を飲んでしまおうか迷った。白のカプセルのどこにでもあるような薬。サプリメントだけれど、風香が「これがあれば大丈夫」と思っているからか、ぐっすり眠れるのだ。あまり薬に頼る事はしたくなかったけれど、今朝のように激しい頭痛に襲われて柊を心配させるのも申し訳ない。風香は緊張状態や疲れを感じると頭痛を感じる事が多かったので今朝のような頭痛に襲われると柊に心配をかけてしまうだろう。そう思い、今日は飲むことにした。



 「それが薬?」

 「うん。知人がいいよって教えてくれて貰ったんだけど、サプリメントなんだけど何かスッキリして寝れるの」



 キッチンで薬を飲もうとしていると、柊が傍によって来た。風香の持っている薬を見つめている。その表情は痛々しいほどに悲しげだった。



 「柊さん………どうしたの?」

 「………それを飲まなくても安心出来るようにしてあげたいなって」

 「柊さん……」



 風香は、嬉しい気持ちの反面、心苦しかった。

 風香の事を後ろから抱きしめ、柊は風香の首元に顔を埋めた。彼の髪から爽やかなシャンプーの香りが漂ってくる。

 風香はサラサラの柊の髪に自分の頬を近づけた。



 「柊さんが気にする事じゃないのに………それに、私はこうやって柊さんに助けて貰えてるから笑っていられるんだよ。もし一人だったら、あの部屋で震えて少していたかもしれない。感謝しかないよ」

 「………君を一人になんてさせるはずないだろう。当たり前だよ」

 「それが嬉しいの」



 風香はフフフッと笑って彼の髪をそっと撫でた。艶のある彼の綺麗な銀色にも似た髪。風香は大好きでよく彼の髪に触れていたなと思い出す。それを「何か、子ども扱いされてるみたいだな」と、苦笑しながらも拒絶しない柊。今もそうだ。嫌がる事もなんてない。



 「………ごめんね。風香ちゃん」

 「柊さんが謝る事なんてないよ」

 「君も安心させるように、俺も頑張るよ」



 そう言って柊は先程よりも強く強く風香を抱きしめたのだった。

 風香は彼の「ごめんね」の意味が、その時はよくわからなかった。








 

 

 次の日から、風香は柊の出勤時間に同じように家を出て、風香の家まで送って貰い、帰りはタクシーで帰ってくるという生活を続けていた。部屋の片付けがメインだったが、数日経つとそれも終わってしまったので、部屋で仕事をすることもあった。資料なども全て部屋にあるので、作業の進みもいいのだ。

 柊は「片付けが終わったら俺の部屋で仕事をすればいいのに」と、あまり賛成はしてくれなかったけれど、彼に迷惑はかけたくなかったため、風香はそれをやんわりと断ったのだ。





 「はい。今、データを送信させていただきました。今回は少し遅れてしまい、すみませんでした」

 『いいのいいの!風香さんはいつも締め切り前に送ってくれてるのが、締め切り前日になっただけだから。………はい、しっかり受けとりました。今回も素敵なイラストありがとうございました』

 「こちらこそ、ありがとうございました。それでは、何か修正などありましたらお伝えください」



 風香は取引相手との電話を終えて、フーッと息を吐いた。最近受けた大きな仕事が一段落したのだ。柊の行方不明に、記憶喪失。そして、自室への不法侵入者。度重なる事件のせいで、仕事にも身が入らない事もあり、苦しい時間となったけれど、柊のお陰で何とか完成する事が出来たのだ。リラックスし、安心出来る時間は必要なのだなと、風香は改めて感じていた。



 この頃の風香はとても調子がよかった。

 薬を飲んでから頭痛もなくなり、体調が悪くなったり眠れない日もなくなっていた。

 それは、やはり柊がいつも隣に居てくれるからだろうとも思った。彼はとても優しく、甘い時間も沢山くれた。

 最近では離れる前は「いってらっしゃい」とキスをしてくれてり、帰ってくると「今日はどんな絵を描いたの?」など、彼が抱きしめながら聞いてくれる。そんな穏やかな時間が堪らなく嬉しかった。昼間は自分の部屋に居る事が多かったけれど、夜は彼の家へ行っていた。夜勤の時も彼の布団で眠っており、彼の香りを感じると寂しいながらも安心出来たのだ。 


 けれど、風香には不安があった。

 彼は風香に全く手を出してこなかった。キスをしたり、抱きしめたりしてくれる事は多かったし、甘い言葉も囁いてくれる。彼に愛されているのも、実感出来る。

 だが、柊は風香を抱こうとはしてくれなかったのだ。


 付き合って間もないからかもしれないけれど、2人はいい大人である。しかも、ほぼ毎日一緒に寝るようになっているのだ。

 風香は体調が悪かったり、事件に巻き込まれたりと、気持ちを考慮してだろうと風香もわかっていた。けれど、風香は少しだけ寂しさを感じてしまっていた。





 「考えすぎはダメだよね………。お腹空いたしご飯にしよっ!」



 お昼を過ぎた頃、風香は空腹を感じたので、昼食をとる事にした。最近は朝に柊と自分の分のお弁当を作るのが日課になっていた。

 今日もその弁当を食べようとした。



 「あ……お弁当忘れてきちゃった………」



 風香のバックには弁当箱が入っていなかった。外に出るのはなるべくなら避けた方がいいと言われていたので、風香は迷ってしまったけれど、今部屋には食料がほとんどなかった。

 不法侵入された時にあった食べ物は、全て処分してしまったのだ。その後は柊の家で過ごしていたため、何もなかった。



 「んー………どうしよう。お腹すいたなー………」



 今日に限って、朝食は少しにしていたのだ。外に出ることも少なくなってきたので、ご飯の量を減らそうと考えていたからだ。けれど、お昼を食べずに過ごすとは無理なほどお腹が空いていたのだ。



 「少しだけなら………いいよね」



 風香は、近くのコンビニぐらいなら、と部屋から出ることに決めたのだ。

 周りをキョロキョロと見てマンションから1歩外に出た。特に誰も居る様子もなくホッとしてしまう。自分が狙われているわけではないはずだと思いつつも、あんな事があると怖さを感じてしまうものだった。

 挙動不審にならないように気をつけながら早足でコンビニまで向かい、おにぎりやサラダ、飲み物やお菓子などを数点、急いで購入してマンションまで戻った。

 やはり何もなかった、と、小さく息を吐こうとした時だった。

 少し離れた場所にある風香が住んでいるマンションからある男性が出てきたのだ。

 その男を見た瞬間に、風香は体が固まってしまった。けれど、その男性から目が離せなくなった。




 「輝………どうして、ここに?」




 風香の視界に飛び込んできた相手。

 それは風香の元恋人である島崎輝だった。





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