17話「考察と花」






   17話「考察と花」





 その日の日中は、時々頭痛に襲われながらも、持参していたノートパソコンで仕事をこなしていた。けれど、やはり自宅にあるデスクトップのものでなければ出来ない仕事もある。自宅に戻るのは、今日は控えた方がいいと柊に言われてしまったので、取りに行く事も出来ないのだ。出来る事だけでもここでやらないといけないと、風香はさらに気合いを入れた。



 柊の家は高層階にあるためかとても静かだった。風香は、集中して仕事をしているうちにあっという間に時間が過ぎていった。

 朝御飯にと柊が準備してくれたフルーツサンドは甘すぎないクリームとイチゴの酸味がピッタリ合っており、とてもおいしかった。1度食べてしまうとお腹が空いていたのが感じてしまうようで、ハムや野菜が挟まっているサンドイッチもペロリと完食してしまった。



 少し息抜きをしようと、風香は腕を上の伸ばしながら、リビングの窓辺に立った。窓からは、春の柔らかい光りを浴びて輝く街並みが広がっていた。




 この街のどこかで、昨日の風香のように今まさに事件に巻き込まれている人がいるのかもしれない。そう思うと、とても不思議な気分だ。



 自分の部屋が何故狙われてしまったのか。

 1つ考えられる事は、風香のファンだという事。けれど、風香は顔だしはもちろんしていないし、住所がバラされた事もなかった。今まで1度もファンが自室に侵入した、という経験がないので、それはないのではないか、そう思っていた。


 それと、もう1つは金目のものが目的だった事だ。たまたま風香の家に入ったかもしれない。

 けれど、鍵を準備をして侵入したとなれば、あの部屋に何か目的があるからだ、と考えるのが普通だろう。

 あの部屋に入る目的。

 それは、やはり宝石なのだろうか。


 真っ赤なワインレッドのロードライトガーネットで、アフリカのマダガスカルで採掘されたらしい。祖母は「ロードライトとパイロープガーネットの中間あたりで、とても綺麗なのよ」得意気に語っていたけれど、風香にはその言葉の意味さえもわからなかった。ただただ繰り返しその事を教えてくれたので、それだけらは覚えていた。

 風香の祖母は、とある財閥の両親の間に生まれたの5番目の子どもで、末っ子だったそうだ。そのため大変可愛がられて育ち、働きもせずに大手の会社社長と結婚したらしい。両親が亡くなった後の財産争いは見苦しい有り様だったようで、風香は母の形見であるガーネットのネックレスだけを貰い、他は放棄したそうだ。それを大切に大切にしていた。

 ガーネットはとても大粒で、風香が受け取ったときは震えてしまったほど存在感があり、降れた時は鳥肌がたったものだった。美しいものを見ると、綺麗とは別に少し恐ささえも感じてしまうのだな、と風香は思った。


 それが本当に自分の手に渡った時はどうしようかと思ったけれど、祖母は「困った時に使いなさい。宝石は使わないと意味がないわ。着飾ったり鑑賞するのもいいけど、生活が出来ないのなら売ってしまいなさい」とまで言われた。そう言われると、風香は少し安心した。もちろん、売るつもりなどなかったけれど、「大切に受け継ぎなさい」と言われるより心は軽いものだった。






 今回の風香の部屋へ不法侵入では宝石は窃盗されていない。

 もし、盗まれているとしたら、その情報を知る人は限られているため、風香は知人を疑わなくてはならない。


 まずは、柊。柊とは、婚約をしていたため結婚式でドレスを着る際にカラードレスでは祖母から貰ったガーネットに合うドレスを着たいと話していた。そのため、柊はガーネットを貰った経緯と所在は知っていたのだ。だが、今、彼は記憶喪失になっているので、覚えてはいないはずだ。


 もう一人は美鈴。

 祖母が亡くなった時に風香はそのガーネットを身に付けて葬式に参加していた。宝石と共に祖母を失った悲しみを悼むためだ。祖母の葬式に、美鈴に来てくれたのだ。葬式にはそぐわない宝石をつけていたので美鈴はその理由を聞いきたため彼女に伝えた。

 祖母の葬式は親族や身内だけだったが、美鈴はよく祖母の見舞いにも来てくれており、祖母もお気に入りだったため、ぜひ来て欲しいと風香から頼んだのだ。

 だが、美鈴は宝石にはあまり興味がないようで、「ガーネットって、お花だと思ってたわ」と、衝撃の言葉を残したのを風香は覚えていた。



 そして最後の一人は風香の元彼氏。嶋崎輝(しまざき てる)だ。彼については、あまり思い出したくないので、風香は考えをそこで終わりにした。



 彼はこの街を守るために日々走り回っているのだろう。窓の外にはどこまでも続くビル等の街並み。その全てを守ることは出来なくても、守ろうとしてくれる。

 そして、風香の事も守ってくれている。

 そんな彼の家にただ自分の仕事をして過ごすのが申し訳なく思い、夕食ぐらいは作ろうと考えた。風香は、柊の冷蔵庫を開ける。すると、そこには水や缶ビール、パンやハム、チーズなどしか入っていなかった。野菜室はほぼ空で、冷凍庫には冷凍されたご飯や、冷凍食品が入っていて、風香は思わず苦笑してしまう。

 柊は元から料理があまり得意ではなく、ほとんどが外食だった。「おいしくて、片付けもしてくれてゴミも出ないから」という彼らしい言葉を思い出すと今でも笑ってしまう。

 これでは、彼に料理をする事も出来ない。柊には家から出るなと言われている。



 「今度、スーパーに寄ってもらおう」



 風香はそう呟いて、彼の好物を作ろうと献立を考えたのだった。







 そんな事を過ごしている内に、時間はあっという間に過ぎてしまう。

 柊は早めに帰宅してくれたので、すぐに風香の家に向かった。



 「今日は1日大丈夫だった?」

 「うん。頭痛もなかったから。心配かけてしまってごめんなさい」

 「いいんだよ。元気ならよかった。あぁ、そうだ。大家さんが新しい鍵を渡したいから部屋に寄って欲しいと言っていたよ。さっそく部屋の鍵を変えてくれたみたいだよ」

 「そうなんだ………少し安心するね」

 


 風香は大家に今回の事をお詫びし挨拶をした。「これからも気を付けなきゃだめだよ」と、心配をひてくれた大家から新しい鍵を貰い、風香は部屋に戻った。

 当たり前だが、荒れたままの自室。

 その光景を見ると、胸が締め付けられる思いがする。



 「………片付けもしなくちゃね」

 「そうだね。鍵も変えて貰ったし昼間なら来てもいいかもしれない。明日部屋まで送るよ」

 「ありがとう。じゃあ、今日は必要なものだけ持って行くね」



 風香は、部屋に入り台所から薬を見つけた。そして、大荷物になるがパソコンも持って行く事にした。柊が「しばらくは俺のところへおいで」と、自宅へ帰すのを止めてくれたので、仕事用のパソコンも持ってくる事を勧めたのだ。

 重たいパソコンは柊が持ってくれる。



 「あと1つだけ………」



 風香はカーテンが閉まったままの窓辺に近づいた。


 「よかった………無事だった」

 「風香ちゃん?」

 「あ、お待たせ。あの………これも持っていきたいな」

 「それ………俺がプレゼントした花」


 

 風香は柊から貰ったアスターステラホワイトの鉢植えを大切に持って彼に近づいた。小さな白い花が咲いており、見ているだけで風香の心を癒してくれる。



 「こんなにぐじゃぐじゃになった部屋なのに、この花は奇跡的に無事でよかった……」

 「大切に育ててくれてたんだね。花がとても元気そうだ」

 「もちろん!すっかりお気に入りだから」

 「そっか」



 こんなにも荒れてしまった場所にいても、花を見ると、心が落ち着く。

 それに、この花が無事だったことが、何よりも嬉しかった。


 緊張感を持って部屋に入った2人だったが、部屋を出る時は、穏やかな表情へと変わっていたのだった。

 

 

 

 

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