12話「疑惑と侵入」






   12話「疑惑と侵入」




 風香の誕生日当日は2人とも仕事が入っていた。そのため誕生日は夜から会えることになった。調度よく次の日は風香は休みで、柊は夜から仕事だったので、ゆっくり出来そうだ、という事で風香のお泊まりが決定した。


 彼の部屋で泊まったこと何度もある。もちろん、彼と深く抱きしめ合って寝たことだってある。

 それなのに、本当に全てが初めてかのようにドキドキしてしまうのは不思議だった。



 それに、風香の考えが少しずつ変わってきていた。

 柊が記憶をなくしてもいい。

 もう1度、恋人の時間を積み重ねていけばいいのだ。そして、いつか思い出してくれたときに、「忘れてもまた出会えるんだね」と笑えればいい。

 そんな風に思ってしまった。








 「本当にいいのかなー?」

 「え……」



 風香の幸せモードを心配した声により、風香はまた現実を突きつけられた。

 デートに日に偶然会った美鈴が、風香の事を心配して会いに来てくれていた。

 2人が好きなミントココアがあるカフェのお店に来ていた。ビルの2階にある小さなお店で、少し薄暗い照明落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


 「いいって何が?」

 「だって、少しおかしくない?風香には少し辛い話になるかもしれないけど……メモリーロスを服用していたという事は、何か風香を忘れる必要があったって事だよね」

 「………うん。私もそう思ってる。もしかして、柊は私の事が嫌いになったのかって」

 「んー………それはないと思うけどな。柊さんは風香に溺愛していたし。でも、それも可能性の1つだよね。それと………」



 美鈴は、風香を心配そうに見つめ、少し悩んだ様子を見せた後にゆっくりと口を開いた。



 「風香に何か言えない事があって、それを悔やんでいて。風香と別れなきゃいけないけど、別れたくないから、薬を使って忘れた………とか。」

 「私に言えない事って?」

 「例えば病気とか……犯罪的なものとか?」

 「この間、行方不明になった後に警察の方で柊を病院に連れていってくれたみたいで、以上はなかったって言われたから、たぶん病気はないと思う。それに犯罪って………柊は警察だよ?」

 「警察でも罪を犯す、でしょ?」

 「それはそうだけど………」



 美鈴の話しに、風香は驚き言葉を失ってしまった。美鈴は綺麗な髪をかきあげた後、「でもさ……」と言葉を続けた。



 「メモリーロスを治療以外で服用する事も犯罪なんでしょ?だから、警察も柊さんの事を監視してるんじゃないかな?」

 「………そんな………」

 「だとしたら、婚約者だった風香が、記憶を失くしたのにまた付き合ってるってわかったら、仲間なんじゃないかって思われるかもしれない」

 「そんな事ないよ……それに、柊さんには何か理由が………」



 美鈴は心配して助言してくれているのだとわかっている。けれど、彼女の言葉は到底受け入れられるものではなかった。

 正義感が強く、警察でも後輩からも上司からも信頼されていると聞く柊が犯罪行為をしているなど思いたくもなかった。


 けれど、美鈴が話した通り、メモリーロスを服用したとなれば、この国では犯罪になってしまう。それに、彼が治療としてメモリーロスを飲んだという事も考えられない。行方不明になる前は、婚約者として頻繁に彼に会っていた。一緒に寝ることもあったが、彼が不眠になったり辛そうにしている姿など見た事もない。それは到底考えられないものだった。


 そうなると、美鈴が話したように、彼は風香と離れたい理由があったという事になる。

 自分を嫌いになってしまった。それは信じたくないが、1番考えられる事だ。けれど、受け入れたくない考え方だった。美鈴はそれはありえないと思ってくれているのだけが、救いだった。

 風香は自分の左薬指で輝く婚約指輪を見つめた。これは、柊がプロポーズの時に渡してくれた「one sin」のものだった。女性ならば憧れる、高級ブランドのもの。別れたいと思っている男性が買うだろうか、と疑問も残る。

 ………が、理由をつけて「自分を嫌いになった」という考えは違うと思いたいだけのようにも感じられた。



 それに、もう1つ考えである、風香に言えない事があり、それを隠すために風香を忘れる必要があったというもの。

 それはどんな事なのだろう。

 考えても、全く思い付かなかった。



 「私も話したけど………思い付かないな………んー、犯罪…………あ!あれは、風香の大切な宝物」

 「え?………あぁ、お婆様から貰った宝石の事?」

 「そうそう。大きなガーネットがついたネックレス」

 「あれがどうしたの?」

 「柊さんはそれを狙っていた、とか?」

 「………そんな事ないよ!」



 風香は思わず声を上げてしまい、すぐに口を押さえた。客は少ないが、突然の大声に怪訝そうにこちらを見てくる人も居たので、風香は小さく頭を下げた。

 


 「動揺しすぎだよ。もしもの話だよ」

 「そうだけど!!でも、そんな事絶対ないよ」

 「私もそう思うけど。ほら、宝石の事を知って欲しくなってしまって………そんな自分が許せなくなって薬に手を出したとか」

 「そしたら、薬の事を忘れればいいだけだし」

 「あ、そっか………んー考えすぎかな」



 腕を組んで考える美鈴を見て、風香は早くなってしまった鼓動を戻すために大きく息を吐いた。美鈴は心配性なのか、突拍子もない事を考え付いたものだ。それだけ、自分の事を考えてくれているのだと思うと感謝ではあるけれど、柊がそんな事をするとは到底思えなかった。

 


 「そうだよ。柊はそんな事しない」

 「そうだね。風香の大切な人だもんね。疑ってごめん」

 「ううん」

 「あ、でも、誕生日に柊さんの家に行くなら、メモリーロス探してみたら。噂によると、ピンクと薄紫色のパステル色のカプセルらしいよ。なんか可愛いよね」

 「そうなの………って、美鈴、まだ疑ってるでしょ?」



 身を縮め小さな声でメモリーロスの情報を教えてくれる美鈴に呆れながらも、知らなかった情報を手に入れられて、風香は聞き入ってしまった。

 確かに柊の部屋に行くならば、薬があるのか見てみたい気持ちもあった。けれど、彼の秘密を勝手に知るのは悪いように思ってしまった。



 「いろいろ言ってごめんね。でも、私は風香の事心配だから………辛くなったらまた相談してね。私が柊さんの頭をゴチンッてしたら思い出すかもしれないからっ!」

 「………わかった。耐えられなくなったらまた愚痴聞いてね」



 話しに夢中になっていたせいで、せっかくのミントココアが冷めてしまっていた。それでも、友達と一緒に飲むココアはとてもおいしい、はずだった。

 それなのに、美鈴の言葉が頭の中で引っ掛かり、味がわからないままに飲み干してしまったのだった。






 帰り道は、考え事をしながらノロノロと歩いていた。


 柊が記憶を失くした理由なんて、何度考えてもわからない。

 けれど、もし何か理由があって忘れていたのだとしたら。

 メモリーロスで記憶を一時的に失っているだけならば、薬の服用を止めれば、記憶は戻ってくる。そうしたら、彼はまた風香と恋人になってしまっている事がイヤなのではないか。


 そんな記憶がなくなってしまったとわかったばかりの頃のような不安な考えに、思考が支配されてしまっていた。

 それに、風香が大切にしているネックレスを彼が狙っているのではないか。それは全く信じていなかったけれど、可能性の1つではあるのかもしれない。




 「はぁー………もう頭の中がぐちゃぐちゃだ………お風呂に入ってゆっくりしたい………」




 自宅のマンションに足を踏み入れながら、風香はつい大きな独り言を洩らしてしまった。

 今日はきっと仕事も手につかないだろう。そういう日はさっさとお風呂に入って寝てしまうのが1番だ。

 家に帰ってからのシミュレーションをしながら、鞄から鍵を取り出す。

 玄関のドアに鍵を差し込んだ瞬間。風香は違和感に気づいた。



 「え…………鍵が開いてる…………」



 風香は鍵穴を回さずに、ドアを引いた。

 すると、ドアは簡単に空いてしまう。

 廊下の光が部屋の廊下を照らす。


 そこにあったのは、物が散乱した無惨な光景。そんな荒れ果てた部屋が風香を出迎えたのだった。




 


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