11話「誕生日の期待」






   11話「誕生日の期待」




 風香を忘れているという事は、風香に周りの人々も物事も思い出も全て忘れているという事。

 それが思っていたよりも多いのだと風香は実感した。

 自分でも思った以上にショックを受けてしまい、彼の言葉に返事が出来ていなかった。

 けれど、偶然会った美鈴は、すぐに状況を理解してフォローをしてくれた。



 「柊さんの大学のサークルの飲み会にたまたま一緒に参加した事があって………卒業してからのでしたけど、その時に柊さんに会ったことがあったんです。ですが、1度だけだったので、覚えてなくて当然です。でも、柊さん、全然変わってないから気づきましたよ!それにかっこいいって人気者でしたし」

 「あぁ、そうだったんですね。忘れてしまってたみたいで、すみません」

 「風香から柊さんの話を聞いて、まさか恋人になるとは思ってなくて。今日もデートなんですね。あ、風香の誕生も近いから、お祝いですか?」



 咄嗟の気転でそんな事を話していたが、それはきっと美鈴が考えた嘘だろう。柊はその話しを疑うこともない、返事をしており風香はホッとした。

 自分は焦ってしまって彼に不審に思われてしまうところだったので、風香は美鈴に感謝をした。


 けれど、うっかりしていた事もあった。

 いろいろな事があり、自分の誕生日が近づいている事さえも忘れてしまっていたのだ。そう言えばそうだったと思いと、恋人になった柊が知らないというのもきっと驚くだろうという思いから、風香は恐る恐る隣の彼の表情を確認した。


 だが、予想に反して、彼は笑顔だった。

 それは、少し怖いと思うほどの、完璧な微笑みだ。



 「…………柊、さん…………?」

 「そうなんだ。今から誕生日の予定をたてようと思ってたんですよね」

 「あ、そうなんですね!楽しんでくださいね。じゃあ、私は予定があるので。風香、またご飯行こうね」

 「う、うん………」



 いつもと違う柊の雰囲気に気づいたのか、美鈴はさっさと挨拶をして、その場から立ち去ってしまう。

 いつも優しい柊が怒ると怖いのは、風香は長い付き合いから知っている。それに和臣からも「仕事では、本当に怖いんですよ!!だから、風香さんと一緒にいる時みたいな笑顔はすごいレアものです!レアキャラですっ!」と、話していたのを思い出す。

 風香の前ではほとんど機嫌が悪くなることもないため、彼の反応がどういうものなのか、ドキドキしてしまう。



 「あ、あの柊さん……実は私………」

 「………風香ちゃん、行こうか」

 「…………はい…………」



 有無を言わせない雰囲気でにっこりと微笑む柊。口元は笑っているが、目は笑っていなかった。風香は、目が据わった柊に反抗する事も出来ず、彼に手を引かれるままについていく事になったのだった。



 彼に連れていかれたのは、とある看板のない店だった。一見はただのマンションのような入り口だが、そこは会員制のカフェだった。

 1度柊に連れてきてもらったことがあったので風香は覚えていた。芸能人や政治家が、密会や秘密裏の会合を開くための場所で、秘密は絶対らしい。

 そんな所に連れてこられるとは思ってもおらず、風香はおろおろしてしまう。



 「あ、怪しいお店じゃない……わけじゃないけど、大丈夫だよ」

 「柊さん………それ、全く安心出来ないよ………」

 「2人きりになれて、しかも安全な場所だから。それは絶対」

 「………信じてます」



 風香は苦笑して、彼と共にその店へと入店した。店長に「あなたが仕事以外で使うなんて珍しいな」と驚かれていた。柊は仕事でよくここに来るのだろう。「1番小さい部屋でいいんだけど……空いてるかな?」と聞き、部屋に案内された。

 コーヒーを2人注文すると、「すぐに持っていくから、それまで何もしないでて」と、意味深な事を言われてしまい、風香は顔を赤くしてしまう。





 案内された部屋は大きなソファが1つだけあるシンプルな個室だった。隠れ家のような雰囲気で、天井には薄い布が垂れており、明かりがぼんやりとしたものになっていた。

 柊は柔らかそうなソファに座ると、「こっちにおいで」と風香を呼んだ。

 新たに付き合い始めてから、車以外で2人きりの個室に居るのは始めてだ。しかも、かなりの近距離になってしまう。

 ドキドキした気持ちを隠しながら、風香は彼の隣りに座った。




 「さて。俺が風香ちゃんに聞きたいことはわかるよね?」

 「…………はい。誕生日の事ですよね?」

 「そう。付き合ったばかりだから、誕生日の話もしていなかったわけだけど。近いならば教えて欲しかった。君の誕生日をお祝いしたいんだよ?」

 「………ごめんなさい。私も、誕生日の事話せなくて。最近いろいろあって、自分の誕生日なのにすっかり忘れてしまっていたの。………でも、知らない間に柊さんの誕生日が終わっていた………って考えると、私も悲しいから」

 「うん。わかってくれればいいんだ」

 


 そう言うと、柊は風香の頭を撫でてくれる。

 やはり、彼は自分の誕生日を祝いたかったのだ。それが嬉しい。

 お互いの誕生日はいつなのかを話しているうちに、注文したコーヒーが届いた。



 「誕生日が近いから今回はサプライズはなしだけど……何かして欲しい事とかあるかな?」



 お説教は終わりなのか、先程よりも随分ゆったりとしたいつもと同じ笑顔を見せてくれる柊を見て、風香はホッとした。

 柊は風香の頭を撫でながら、そう問いかけるが、風香は考え込んでしまう。


 柊が誕生日をお祝いしてくれるだけでも嬉しい。それなのに他に何を望めばいいのか。

 しばらく考えた後、ハッとした。


 彼にお願いしたい事が1つだけあった。



 「………じゃあ、よかったら……柊さんのおうちに行ってみたいかな……」

 「え……そんな事でいいの?」

 「うん。柊さんの部屋に行ってみたい」

 「わかった。じゃあ、俺の部屋で風香ちゃんの誕生日をお祝いしよう。それまで、部屋を綺麗にしておかなきゃね」



 柊は躊躇うことなく、承諾をしてくれた。



 風香が柊の部屋に行ってみたい理由はいろいろある。

 彼が以前と同じ部屋に住んでいるのか。そして、同じ場所だとしたら、風香の荷物はどうしているのか。

 そして、部屋の中に彼が行方不明の間に何があったのかを知れるヒントはないか。

 メモリーロスが置いていないか。



 自分の考えに勘づく事がない柊を見て風香らホッとしていると、急に風香の体が後ろに倒れ込んだ。



 「えっ…………」



 背中にソファの柔らかい感触と、顔に影がかかり目の前に彼の綺麗な顔が近づいていたのだ。



 「さて、話しはおしまい………だけど、風香ちゃんが俺の部屋に来たいって言うのが1番のしたい事なんて嬉しいな」

 「えっと………柊さん………?」

 「可愛いなって思って我慢出来なくなった………」

 「………んっ…………」



 柊の顔がさらに近づき、形のいい彼の唇が風香の唇を覆った。突然のキスはとても深かった。

 咄嗟に口を閉じてしまうけれど、柊が軽いキスをしたまま風香の顎を指で触れ、それを優しく引くと自然とうっすら口が開いてしまう。そこを見逃す柊ではなかった。

 そこから柊の舌が風香の口の中に侵入してくる。ゾクリとした甘い感触に、風香の体は震えた。

 甘い声が洩れる。それが自分の声だと思うと、一気に恥ずかしさが増してしまう。


 キスが終わると、柊は風香の耳元に顔を寄せた。


 「誕生日、日付が変わるまでお祝いさせて」

 「………っ………」



 熱を帯びた低い男の人の声。

 耳に触れるぐらいに近くで言葉を紡がれ、体が大きく震えてしまう。

 そんな反応を見ても、柊は愛おしそうに見つめ、その後に風香を抱きしめてくれるだけだだった。

 何を期待してしまったのか、風香は自分の感情に気づいて咄嗟に目を強く閉じた。


 風香は誕生日は長い時間過ごせる事。

 そして、久しぶりに彼を深く感じられることを期待してしまい、顔や首までも真っ赤にしてしまったのだった。





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