10話「同じと違い」
10話「同じと違い」
恋人に戻った2人のキスは初々しくも、しっくりとくる不思議なものだった。
触れるだけのキスを何度か繰り返した後、柊は風香とアスターステラホワイトの花ごとゆったりと抱きしめてくれた。
「よかった………これで俺の恋人なんだね。何だか幸せすぎて、信じられないぐらいだよ」
「ふふふ……本当に?柊さんは私が柊さんを好きだって気づいてたと思ってたけど」
「それは……気を許してくれてるかなとは思ったけど………俺と似てる人が好きなのかと思ったから。告白はかなり勇気がいったよ」
「………好きです」
「え?」
「『柊さんが』好きなんだよ」
柊に嘘をついている事。
話せない理由がある事。
彼とこうやって恋人になる資格などあるのなと悩むけれど、だけど以前と変わらない事がある。
それが柊を好きだという気持ちだった。
離れたくない。
誰にも取られなくない。
また、好きになってほしい。
その気持ちが風香の背中を押してくれてのだ。
柊の記憶が戻ったら、しっかりと謝ろう。
そして、また自分を選んでくれてありがとうと伝えたい。そう思った。
「その花の名前、風香さんは知ってる?」
「ううん。見た事もない花……かな。真っ白で花びらがたくさんで綺麗だね」
「うん。この花は、アスターステラホワイトっていうだって。ステラは星とか、星光って意味だから……なんか、納得だよね」
「白い星の光………素敵な名前だね。ありがとう、柊さん。大切にするね」
白い星という名前の花は、星空が見える出窓に飾ろう。風香はそう決めたのだった。
恋人になってからは、毎日のようにメッセージを交換したり電話をしたり、時間を見つけては2人で会うようにしていた。
お互いに忙しいため、1日会える日はなかなかなかったけれど、それでも風香が寂しくないようにと、柊は小まめにフォローしてくれていた。
そんな時に、和臣から連絡が入った。
柊が行方不明になっている間は、事件や事故などには全く関わった形跡はなかったそうだ。
早めの健康診断だと言って病院に行ったらしいが、特に問題もなかったらしい。
そして、薬物検査だがメモリーロスは他の大麻やシンナーなどと違って、髪や尿から薬物反応が出ないというのがやっかいだった。
脳を詳しく見ればわかるらしいが、そこまで柊が検査をしてくれるはずもなかった。
そのため、柊がメモリーロスを服用しているかいないかは、まだわからなかった。
和臣にまた「付き合うことになった」と伝えると、「すごいですね!」と驚きながらも「本気で俺が狙ってたんですけどねー」と、また言われてしまい、風香は苦笑するしかなかった。
柊と再度付き合い初めてからしばらく間が空き、この日はやっとの事で2人の時間が1日取れたのだった。
朝から夜まで彼と一緒に居れるとなると、やはり気分が上がってしまい、風香は数日前からずっと楽しみにしていた。
朝から街中を歩き、映画を見ながら午前中を過ごした。彼が好きな舞台が映画になったもので、きっと見たいだろうなと思い、風香がそれを選ぶと「俺、それ見たかったんだ」と、とても嬉しそうにしてくれていた。柊は学生時代は演劇部に入っていた事もあり、舞台やミュージカルが好きだったのだ。それは今でも変わらないようだった。
映画の感想を話し合いながら近くのカフェ店でパンやコーヒーをテイクアウトすると、大きな公園で昼食にした。
事前に柊から「風香ちゃんが絵を描いてるところ見たい」と言われていたので、スケッチブックと鉛筆を持ってきていた。
風香は、少し前に趣味で描いていた途中の絵の続きを描き始める。彼の視線をくすぐったかったけれど、開放的な屋外で絵を描くのはとても気持ちよかった。
今回も、想像の風景画を描いていた。
途中からは夢中になってしまい、視線にも気にならなくなった。それに、柊は何も言わずにニコニコと見てくれているだけだったので、集中出来たのだろう。
しばらくしてから、風香が1度手を止めると、「ありがとう」と言って、柊は風香の絵を覗き込んだ。
「ごめんね………途中から集中しすぎちゃって」
「いいんだよ。真剣な風香ちゃん、かっこよかったから。そんな姿見たくてお願いしたんだしね」
「え…………絵を見たかったんじゃないの?」
柊の言葉に驚き、一気に恥ずかしくなる。
てっきり彼はペンの動きや絵を見ているのだとばかり思っていたのだ。
風香は、顔を真っ赤にして彼を方を見てしまう。すると、クククッと楽しそうに笑い声を上げて、「風香ちゃんは可愛いね」と、何故か上機嫌で頭を撫でてくれる。
「風香ちゃんの頭の中はどうなってるんだろうね………こんなすごい世界を想像できるなんて………この場所に行ってみたいよ」
空中庭園である小さな島々が描かれた風景画。島々には大きな川があり、それが無限に溢れ、そして下へと落ちていく。色鮮やかな鳥達が島で休憩をしたり、見たこともない花達も咲いている。楽園のようなそんな場所。見てくれている柊が行ってみたいと思ってくれるのはとても嬉しかった。
「それにこんなに細い指が、丁寧に動いて描いていくんだね………本当にすごいよ」
「そんな………私は、ずっと昔から描いてるから慣れているだけだよ?」
「そんな事ないよ。こうやって、絵を描いて生きていけるんだ。そして、君の絵をみながらゲームをして楽しんだり感動したりする人がいるなんて、すごいなって思うよ」
風香の手を優しく持ち上げた柊は、手を繋ぐように握りしめてくれる。
彼の体温がとても心地よくて、風香はもっと手を握っていて欲しいなと思ってしまう。その気持ちの表れなのか、自然の彼の手を握りしめてしまった。
「………お昼を食べ終わったら、少し街を歩いて買い物でもしようか?」
「うん」
「もちろん、手を繋いで、ね」
風香の気持ちが伝わったのか、ニッコリと微笑みながら風香の気持ちを確かめるように聞いてくる柊。もちろん、「うん!」と、とびきりの笑顔で返事をしたのだった。
彼の大きくゴツゴツとした手は、風香の手を優しく包んでくれる。
手を繋いで歩くなんて、当たり前の事だったけれど、今はそれがとても幸せで大切な瞬間になっていた。
他愛もない話をしながら、街中を歩く。5月の過ごしやすい日々に、人々の表情も晴れやかだった。
「あれ?風香?」
「え?………あ、美鈴!」
街で声を掛けて来たのは、風香の友人である美鈴だった。綺麗な黒髪を胸まで伸ばしており、背が高くスレンダーな体型の美鈴は、モデルのようだった。タイトなニットワンピースを着こなしながら、笑顔でこちらに駆けてきた。
「偶然だね、風香。それに、柊さんもお久しぶりです」
美鈴は、柊に挨拶をしながら小さく頭を下げた。けれど、柊は不思議そうな表情で美鈴を見ていた。
「………ごめんなさい。俺どこかで会ったことあったかな?美鈴さん……?風香ちゃんのお友達なのかな?」
風香と美鈴は、柊の言葉に驚いてしまった。
風香の事を忘れているという事は、友人である美鈴の事も忘れてしまっている事なのだ。
風香はその時に事の重大さを改めて感じたのだった。
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