7話「新しくも切ない恋のかたち」
7話「新しくも切ない恋のかたち」
柊と再会してから1週間が過ぎようとしていた。
風香は、記憶を失くした柊から貰った名刺とにらめっこをして過ごす日々が続いていた。長い間見つめていたため、新しい彼の電話番号さえ覚えてしまったぐらいだ。
電話の画面に彼の番号を入力した後、あと通話ボタンを押すところまで来て止まってしまうのだ。
柊と会って何をすればいいのだろうか?
失ってしまった記憶を話すことが出来ないのだ。会っても意味がないのではないか。
風香はホームボタンを押そうとして、フッとある言葉を思い出した。そう、和臣の話だ。
『柊さんがフリーになったら、他に恋人つくっちゃうかもしれませんよ?仕事も出来てイケメンで背が高くて色気もあって余裕もある男なんてモテるじゃないですか』
そんな言葉だった。
大好きな柊が風香の知らない誰かと恋人になってしまう?
そして、自分との婚約は破棄にして結婚してしまうのではいか。
「そんなの嫌………」
彼が覚えてくれてなくてもいい。
自分は柊が好きなのだ。
メモリーロスで記憶がなくなってしまったって、きっとまた思い出してくれるはずだ。
彼の奥底には、きっと鍵をかけられた箱の中にいる自分がいるはずなのだから。
だから、今は彼が戻ってくるのを待ってみよう。
今は柊が元気に戻ってきてくれて、そしてまた会えたことを幸せに思うべきなのだ。
風香はそう思い、ドキドキしながら通話ボタンを押した。
3回目のコールの後、慌てた様子で『はい』という声が聞こえた。電話越しの彼の声。久しぶりに聞いただけで嬉しさが込み上げてくる。
「突然、すみません……あの………」
『風香さん?あぁ……よかったです。もう電話はかかってこないかと思ってました』
「ご、ごめんなさい。遅くなってしまって」
『いいんです。俺がかっこつけて電話番号を聞かなかったのが悪いんです。でも、嬉しいです。電話、ありがとうございます』
「いえ………」
柊の声が弾んでいるのがわかり、風香は思わず頬が緩んでしまった。
『風香さん、突然ですが明日の昼のご予定は?』
「えっと仕事をする予定でしたが、フリーなので時間は取れますよ」
『そうですか。実は夜勤明けで今仕事が終わったばかりなんです。今日は急なので、もしよかったら明日、一緒にランチを食べに行きませんか?』
「はい。ぜひご一緒させてください」
『よかったです。では、風香さんの最寄りの駅に正午に待ち合わせはどうでしょうか?」
「はい、楽しみにしてます」
『俺もです。それでは、また明日』
そう言って柊との通話が終わった。
本の数分の電話だったのだろう。けれど、風香はまた彼の声を聞き、デートに誘われてしまい満足感に浸ってしまう。
こんな状況で、楽しみだと胸踊らせてしまうのはおかしいのかもしれない。不謹慎なのかもしれない。
けれど、いなくなってしまったと思っていた彼に会えるのだ。楽しみではないわけがない。
「明日、楽しみだな」
そう呟いた後に、明日の事を想像しながら、ボーッとしたまま仕事を行った。もちろん、いつもより時間がかかってしまったのは、言うまでもやく明らかだった。
次の日。
風香は待ち合わせの駅に向かいながら、デートで気をつけなければいけない事を考えていた。
まずは、自分の婚約者であった事。もちろん、柊とそっくりさんが実はあなたでした、と言うのも伝えられない。
それとメモリーロスの事も聞かれたくない話かもしれないので、なるべく話さないようにしようと思った。
そう思いながらも、風香は心の中で彼に思い出して欲しいと思っているのだと、感じてしまっていた。
気づくと柊が「可愛い」と褒めてくれたワンピースを着たり、プレゼントしてもらったバックなどを身につけて来てしまった。
顔を見ても覚えていないのだから、バックなどを見ても思い出してくれるはずはないとわかっている。
けれど、何かのきっかけになるかもしれない。そう思ってしまうのだった。
「ごめんなさい。お待たせしました」
「いえ。俺も先ほどついたばかりなので大丈夫ですよ。……お久しぶりですね、風香さん」
「えぇ……あれから1週間ぐらいしか経ってないのも不思議な気持ちですが」
「確かにそうですね」
待ち合わせ時間より10分ほど早く向かったが、すでに柊の姿はあった。
細身のズボンに、白いシャツ、そしてゆったりしたジャケットを着ていた。着こなし方も上手であるし、顔が整い身長も高いので、待ち合わせ場所でも目立っていた。
「あ、そのワンピース」
「え………」
「いいですね。ブラウス素材のワンピース。色もくすみピンクっていうのですか?春らしいですね、似合ってますね」
「あ、ありがとうございます」
出会ってすぐにワンピースの事で声をかけられたので、驚いてしまったけれど、やはり昔の事を思い出したわけではないようだった。
こんな事でショックを受けてしまってはダメだ。そう自分に言い聞かせてから、風香は彼を見た。優しく微笑みながら、「じゃあ、行きましょうか。オムライス屋さんと、パンケーキ屋さんどっちがいいですか?」と、選んできてくれた店の話を聞きながら、2人で街を並んで歩く。少し前までは手を繋ぐのが当たり前だったので、思わず彼の指先を見てしまいそうになるがグッと我慢した。
風香はオムライス屋さんを選び、2人でお店まで向かった。
そして、向かい合って座った後は約束のあれが待っていた。
「そうなんですね。風香さんはイラストレーターさんだったんですね。どんな絵を描いてるんですか?」
「いつから絵を描くのが好きだったんですか?」
「絵、見てみたいですね」
こんな風に柊からの質問責めにあっていた。
「いろいろ聞いてもいいですか?」と聞かれたので、「はい」と返事をしたものの、まさかこんなにも沢山聞かれるとは思っていなかった。自分も彼にしてしまったのだから仕方がない、と思いつつも、少し恥ずかしく感じてしまっていた。
けれど、柊は風香の仕事を褒めてくれて、イラストを見せると褒めてくれたりと、話したことをさらに深い話題にしてくれる。話し上手でも聞き上手でもあった。
話しをしながらの食事だったので、時間がかかってしまったけれど、2人は完食をして食後のコーヒーを飲んでいる時だった。
「もう1つ質問してもいいですか?」
「えぇ。でも、他に聞きたいことなどあるんですか?」
「もちろん。まだまだ話足りないですが……1番聞きたい事があるんです」
「何でしょうか?」
風香は彼がまた楽しい話しを続けてくれるのだろうと思い、ワクワクしながら笑顔で彼の質問を待った。すると、先ほどと一転して柊の顔からスッと笑みが無くなった。
「最近、辛いことでもありましたか?」
「え………ど、どうして………」
思いもよらない言葉に、風香は驚き目を大きくしてしまう。柊と目が合い、咄嗟に視線を逸らす。何も答えられずにいると、柊は言葉を続けた。
「ホテルのエレベーターホールで初めて会った時に、風香さんの目が少し赤いのに気づきました。それに………時々悲しそうな顔をしながら俺の事見てます。泣きそうなぐらいに」
「…………そんな事は………」
「もしかして、俺と似てる人と何があったんですか?同じような顔だから会いたくのかなって思ってました」
「そ、それは違いますっ!」
彼の言葉に慌てて声を出してしまう。
店の中だと忘れ、思ったよりも大きな声になってしまい、ハッとする。目の前の柊も少し驚いた顔をしていた。
柊は自分が泣いていた事も、普通とは違う視線で彼を見ていると気づいていたようだった。
会ったばかりなのに、そんな些細な変化に気づいてくれるのは警察官だからなのか、風香の婚約者だからなのか。きっと後者だと、風香は思いたかった。
「………今は遠くにいる人なんです」
しばらく考えた後、風香はそう答えた。
彼には話せない事があるのだ。だから、少し濁した言い方になってしまったかもしれない。
けれど、彼との関係にはピッタリな言葉だと思った。
「風香さんの恋人?」
「それは………」
「答えたくないのなら大丈夫ですよ。風香さんが俺と会う事で辛い気持ちになるなら止めようかとも考えてました。だから、電話が来た時は嬉しかったんですよ。………俺は、風香さんにまた会いたかったから」
「柊さん………」
安心したようにホッと息を吐いた後、少し頬を赤く染めた柊がそう言って、真剣な表情からまた優しくそしてはにかんだ笑みを浮かべながらそう言った。
会いたくないはずがない。
昔の柊と重ねて見てしまうときもあった。それで切なくなる時間もあるだろう。
けれど、これから柊に会えなくなった方が辛く苦しいだろう。
「私は柊さんに会いたいです。もっと柊さんと話したいです」
「………俺もです。あなたに会いたいし、風香さんをもっと知りたいです」
熱を帯びた瞳と声。
それを見て、風香は彼との2回目の恋の始まりを感じた。
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