6話「助言」






   6話「助言」





 「お待たせしましたー!風香さん、お久しぶりですね」

 「和臣さん。いつも連絡ありがとうございます」



 旅行先から警察署に向かい、到着するとすぐに取調室に案内された。いつもの事なので驚きはしなかったけれど、柊が行方不明になった後に相談しに行った時に初めて案内された時は驚いたものだった。

 明るい声で入室してきた男性を見て、風香は椅子から立ち上がって頭を下げる。男は「よかったですね!とりあえずは、見つかって!」と、明るくそう言ってくれた。


 彼は朝霧和臣(あさぎりかずおみ)。

 立ち上がった風香より少し高いぐらいの身長の和臣は、柊より2歳年下の29歳だった。風香よりも年上だったけれど、気さくな性格で、同級生や年下のような雰囲気を感じていた。

 大人っぽい色気のある柊とは違った顔の整い方をしており、言い方が悪いが少し派手目な見た目をしていた。大きな瞳と茶色の地毛がそうさせるようだった。



 「相変わらず風香さんは美人ですねー!柊さんが忘れてしまったなら俺と婚約しませんか?」

 「和臣さん………。私、一応ショック受けてるんですけど!」

 「はははー、俺は本気なんですけど………でも、そうですよね。すみません」



 この軽いノリも、彼を派手だと思ってしまう要因の1つだと風香は思っていた。普通ならショックを受ける言葉でも、彼が楽しげに言うと「冗談だ」と思ってしまったり、笑わせてくれようとしているのかなと感じたりするから不思議だ。

 昔、柊が和臣を風香に紹介してくれた際は「こういうチャラい男が一人は居た方が、暴力団とか不良少年と話し聞きやすいからな」と言っており、和臣は「囮捜査ですか!?」と声を上げて反抗していたのを思い出してしまう。



 「それでは、昨日電話で話してくれた事を詳しく教えてくれませんか?」



 柊がいなくなった後、風香の心のケアをしてくれたり、捜査の進展具合を教えてくれていたのは和臣だった。そのため、昨日、偶然会った柊にそっくりな男性が、柊本人だと確信した後に風香はすぐに和臣に連絡するつもりだった。

 けれど、風香より和臣からの電話の方が早かったのだ。どうやら、柊から警察の方に連絡があり、その後何事もなかったかのように出勤したというのだ。


 風香はその話を聞きたい気持ちもあったが、一昨日再会したバーでの事や、昨日のレストランの事を詳しく話をした。

 話ながらでも、もしかして?と思ってしまう。あの薬のせいではないか、と。


 最後までしっかりと話しを聞いてくれた和臣は、その後少し考え込んだ。

 そして、何か迷いながらゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。



 「先輩はあまりにも普通に警察に来たので、みんな驚いたんです。けれど、何を伝えても話しが通じなくて……最後には「みんなで何をからかってるんだ?」と、少し怒ってたんです。………だから、今は様子を見ている段階です。怪我や病気をした様子もなかったです。なので、外傷により記憶を失くしたとは考えられないんです。そうなると、考えられるのは………精神的なもの。それはないと考えると………残りは薬物」

 「メモリーロス、ですね」

 「そうですね。風香さんの話を聞いてすぐに思ったのはその言葉でした。柊さんがそれを飲んだ理由はわかりませんし、そして、何故風香さんを忘れようとしたのか。それはわかりません……。とてもじゃないですが、信じられません」

 「…………」



 風香だけではない、他の人から見ても同じ考えになるのだから、その説が濃厚なのだろう。

 柊がメモリーロスを飲んだ事が。

 まだ完全に決まったわけではないけれど、やはり他の人からそう言われてしまうと、本当にそうではないかと思ってしまい、風香は先ほどよりも大きなショックを受けてしまっていた。

 言葉も出なく、風香は和臣から視線を下にずらした。



 すると、柊は先ほどの深刻な声とは一転して、いつものからっとした元気のある口調で話し始めた。



 「柊さんの事はこちらでも全力で調べます。なので、風香さんはこれからまた柊さんと会ってみてはどうですか?」

 「え………でも………」

 「確かに柊さんに「少し前まで婚約者でした。何で忘れたの?」なんて、聞いてしまうと、柊さんに過度なプレッシャーやストレスがかかってしまうかもしれないので、止めた方がいいかもしれません。柊さんに伝えなかったのは、いい判断だったと俺は思います」



 ニッコリと笑ってそういう和臣を見て、風香は複雑な気持ちになった。彼に事実を伝えなかったのは彼を思っての行動ではなく、自分が「柊が自分の事を忘れた」という事実を受け入れたくなかったからなのだから。



 「メモリーロスはまだ飲み続けてしまっているようですけど、風香さんに会っていくうちに、少しずつ思い出してくれるかもしれませんから」

 「そう、でしょうか?」

 「それに、柊さんがフリーになったら、他に恋人つくっちゃうかもしれませんよ?」

 「え…………」

 「仕事も出来てイケメンで背が高くて色気もあって余裕もある男なんてモテるじゃないですか!あ、俺と付き合ってくれるなら、会わなくてもいいと思いますけど」

 「また、和臣さんはそんな事ばかり………」

 「だから、本気ですけどね………って、上司から呼び出しだ………」



 和臣はポケットに入っていたスマホの画面を見て残念そうに呟いた。

 そして、彼が持っていたファイルの中から1枚の紙を風香に手渡した。



 「実は風香さんと昨夜電話をして簡単に話した時から、メモリーロスの事は考えていたんです。なので、もし直接話を聞いてもその考えが変わらないものならば、風香さんに渡そうと思って持ってきたんです」

 「これは?」

 「医療機関などで配られてるメモリーロスの資料です。風香さんも知ってる事が多いとは思いますけど、一応持ってきましたので」

 「ありがとうございます」



 風香が知っているのは、噂話やネットの情報ばかりで、本当の意味でのメモリーロスについては知らないことが多いと思っていた。風香はありがたい気持ちで和臣からその書類を受け取った。



 「俺や柊さんの上司にも今の話は伝えておきます。風香さんは、あまり気に悩まないようにしてくださいね」

 「ありがとうございます。和臣さん」



 風香は深く頭を下げてお礼を伝え、和臣に見送られながら警察署を後にした。




 帰宅した後は、旅行の間に溜まっていた仕事のメールをチェックした後すぐに和臣から貰った資料を読み更けていた。




 メモリーロスは、元々精神疾患に苦しむ人達のために使用されるものだった。

 とても辛い経験をしてしまい、精神的に苦しみ耐えられない人に、メモリーロスの薬を投与し、一時的に記憶を消すというものだった。

 メモリーロスの使い方は簡単だった。

 薬を服用した後に、忘れたいことを強く想像する。脳でイメージした事が薬の作用により一定期間忘れられるというものだった。もちろん1回の服用で完全に忘れることが出来るわけではない。数日で少しずつ記憶が戻ってくるのだ。だが、治療は記憶を消すのが目的ではなかった。

 忘れた記憶を医師が患者にどんな辛い事があったのかを伝えるのだ。それにより、記憶がない状態で、本人に客観的に視点でその出来事を考えてもらう時間を作るようにするのが目的だった。

 記憶がない状態で、どんな気持ちだったのか相手はどうしてそんな辛い事をしてきたのか、これからどうやって生きていけばいいのか。それを繰り返し話していくのだ。

 そういうカウンセリングを続けていくうちに、患者は少しずつ体験を受け入れ乗り越えようとしていくのを支援する。それが目的の薬だった。



 メモリーロスの薬は「ムイストホイト」と言われる薬だ。

 だが、医師の治療や処方がないと飲めない薬であり、なかなか処方されない薬だったが、忘れたい過去がある人々から求められる声が多かった。その人達を客にしようと高値でムイストホイトを売り付ける悪徳業者が出始めた。正規のルートで購入していないため、副作用に苦しんだり、薬を飲み過ぎて病気を発症したり、医師の治療がないまま精神疾患をかえって悪化させる人達が増加したのだ。そのため死亡事故も多くなっていた。

 

 メモリーロスは悪徳業者がムイストホイトの呼び名を変えたものだった。その方が、売れると思ったのだろう。その考えは正解だった。

 サプリメントのように気軽に飲む若者も増えていた。

 そのため、警察はメモリーロスは医療目的以外の使用は、危険ドラッグとして違法薬物に認定したのだ。



 「………その薬を柊が飲んでいるの?」



 そこには、飲み続けて数年が経ったり、大量に接種すると記憶が抹消、パニック障害などの精神疾患、酷いときには死亡もありうると書かれていた。


 彼はそんなものを口にしている可能性があるのだ。

 けれど、突然現実を突きつけても彼は混乱するだけだという和臣達警察の考えもよくわかる。



 「もう、どうすればいいの…………」



 大きなため息と共に風香は言葉を洩らしてしまう。

 風香は、柊のために何が出来るのか。

 それを考える日々が続いた。




 

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