第18話 「変な曲」
「
イントロはぽろぽろと乾いたアコーステイックな音で始まる。ほとんどバラードのような曲調である。
ところが、その部分が終わると、いきなりスネアドラムのロールが急激なクレッシェンドを掛けながら入ってくる。スピードアップ。そしていきなりお得意の「速い」曲になる。
ただ、難しい言葉は言っていない。ややこしい言い回しもない。ドラマティックな展開の割には、複雑な歌メロも使っていない。非常にストレートなものだった。
その急激な変わり方をマリコさんは単純に「変」と言った。エナは「何かどきどきする」と言い、マナミは「燃えるなあ」と言った。
スタンディングの客席の、人いきれからはやや離れた場所でイキは見ていた。チケットに印刷されたサーヴィスのドリンクを時々呑みながら。あの頃は大して呑まなかったビールを。
やっぱり綺麗になった、と彼は思う。ステージの彼女は、自分の知っているどの彼女よりも綺麗になっていた。こんなにステージ上で動く奴だったっけ?と思うくらい、くるくると光の中で左へ行き右へ行き、客を煽り声を発し、思う存分暴れていた。
そしてそのステージに居る相手も、今までの誰よりも、彼女に似合っている、と彼は思う。
誰にも遠慮していない。好きなように。
それが彼女の一番綺麗な姿だ、と彼は思う。
*
「今誰か好きなひといるんだ?」
「……!」
打ち上げのために移動していた時だった。「お食事会」のために予約していた場所がライヴハウスから歩いて行ける距離だったので、皆徒歩で移動していた。
いつもより御機嫌に見えるTEARはMAVOと肩を組んでいる。マリコさんとエナは車の移動と、細々したものの整頓のために駐車場の方へ先に行った。
そしてFAVは旧友と話していた。TEAR達は結構前を歩いているので、二人の会話は聞こえない筈である。
その後ろを、何やら相談していたHISAKAとマナミが歩いていた。
「図星?」
「……どーして判る訳? あんたはいつも」
「何でかなあ。でも俺、だからずっとあんたの友達やってこれたんじゃなかったっけ?」
「だろうな。あんたとはどんだけ寝てようと友達だもん。どーしようもなくって」
「そりゃあね。仕方ないことが多いのが人生」
「本気で言ってる?」
「んにゃ、結構本気よ、俺。だいたいそれで、普通の奴ってのは、ある程度現実と妥協して生きてくの。妥協しないと苦しすぎることって多いじゃん。逃げるの。生きなくちゃならないから」
「大人になったんだねー、イキ君」
「でも俺はFAVにはずっとそういう意味では子供でいて欲しいよ」
「ガキで?」
「重すぎる? 俺だの何だの、妥協した奴が見る夢でいてほしいっての」
「重いね」
FAVはつぶやくように言う。
「はっきり言って、重いと思うよ。手に職はあるんだ…… そっちを選べばそこそこの暮らしはできるよね、たぶん…… でもそれじゃ満足できね。どーしようもない。あの瞬間を一度味わってしまったら抜け出せない」
「判る。確かにステージに取り付かれたらそうだよな。特にPH7に客の向けるエネルギーってのは凄いものがあるからな」
「そう思う?」
「そう思うよ。F・W・Aの時なんかよりずっと、熱い客ばっかじゃねえ?」
「うん。あたしもそう思う。で、その熱い客のエネルギーってのが、まっすぐ飛び込んでくるんだ。あたしなりHISAKAなりMAVOなり、それが『好きーっ!』って」
「うんうん」
「あたしはそのエネルギーに捕らわれるのよ。いつも寒がりだったじゃん。血の巡りが悪いって。でもその瞬間は、全身に一気に血がかけめぐるんだ。冷え性なんか一気に治るくらいに」
ぷっとイキは吹きだした。どういう例えだよ、と苦笑する。悪い? とFAVは歯をむきだしにする。
「好きな奴ってのは、お前のそういうところ、全部判ってるんじゃない?」
「どうかな」
「あの女? ベースの」
「へ? 何で」
はっ、とFAVはとっさに反応してしまった自分にしまった、と口を押さえる。
「いや、何となく」
「何となくで判るあたりあんたねえ……」
「だって俺、FAVの一番の友人、だったんだよ。ま、はっきり言って俺もショックだったけど」
だがその割に立ち直りは早いぞ、とFAVは思う。
「でも仕方ないじゃん。お前が好きなんていうのは滅多にない」
「ん」
「んでもってそれがたまたま女だっただけだし」
「ああ何って物わかりのいい」
「……」
べしっ、とイキはFAVの頭をはたく。
「物わかりのいい奴にさせたのは誰でしたったけね」
「はいはい、あたしです」
FAVは苦笑し、右手を挙げる。
「そんな訳で、オレそろそろここでリタイヤね」
「へ?」
FAVの足が止まる。
と、背中に何かぶつかるのを感じた。
「ふ、FAVさん…… 止まるなら止まるって言ってくださいよぉ……」
「あ、ごめん」
結構大柄に見えなくもないが、それでもややFAVよりは背が低いマナミは、露骨に顔をFAVの背中付近にぶつけたようである。
大丈夫? と訊ねながらHISAKAはマナミを引っ張ってFAVを追い抜いて行った。
「リタイヤって、ここで帰るっての?」
「うん」
「水くさいよ? イキ?」
「うん。でも、な」
イキはくすっと笑う。
「……まあいーけど。時には電話だの手紙の一本でもよこせよ?」
「オレ筆不精の電話不精だから」
「よこさなかったら友達の縁を切るよ」
「はいはい」
彼はもう一度笑った。だがその笑顔が多少引きつっていることにFAVは気付かなかった。
それじゃ、と彼は手を振って、回れ右をした。FAVは少しの間それを立ち止まったまま、見ていた。
気がついた時、ぐいん、と首に回る腕を感じた。ぎゅっとへばりつく柔らかい感触で、背中にスキンシップが好きな奴が張り付いているのが判る。
「……何してる」
「いや、もうお帰りかな、と」
「そのよーで」
「あれ、怒らないの?」
「『まだ』怒ってねーだけだよ…… ええいうっとうしいっ!」
振り解こうとする。だがTEARは解こうとはしない。黙ってじっとその体勢を崩さない。FAVは自分の首に回っている腕をぽんぽんと叩くと、行くよ、とつぶやいた。
前方でHISAKAはMAVOとP子さんに合流した。スタッフ達はもっと前を歩いている。やや遅れてまだじっとしているFAVとTEARを見ながら、HISAKAは誰に言うでもなくつぶやいた。
「来年はもっと……」
女性バンドPH7⑤メンバーは揃ったので次は何をしよう? 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo
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