第17話 昔なじみで仲がいいかつてのメンバーというもの
「へえ、いい感じだあ」
「でしょお?」
ステージから客席を見たとき思わずTEARはそう言った。そしてそこから飛び降りる。どん、と木の床特有の音がした。
「そうそうこれこれ」
この感触がいいんだ、とTEARは言った。
「まあだから飛び跳ね系の客だとうるさいとも言われてはいるんだけどね」
「へえ」
そもそもここにPH7が出られるのはFAVの口ききだった。彼女が最近まで属していたF・W・Aはここでも結構人気があったバンドである。解散した時は、嘆くファンも結構居た。そのF・W・Aの人気ギタリストが加入したバンド、というふれ込みはなかなか大きかった訳である。
対バンあり、だから作業は手際よく。皆てきぱきと作業を進めていた。
「あー疲れた…… エナちゃん何か飲み物ある?」
「あ、楽屋のうちのスペースにポットが三つありますから」
「三つ?」
「一つはステージ用の冷たい奴ですから間違えないでくださいね、あとはホットコーヒーとウーロン茶ですから……」
「ああ、コーヒーもらい…… ミルクとシュガーは?」
「それはここの奴を使っていいってことですから」
「ほいほい」
ひらひらと手を振って、チューニングを終えたベースを抱えたままTEARは楽屋へ向かった。ベースを置いて、紙コップにコーヒーを入れ、適当にシュガーとミルクもいれてかき回す。そのままぶらぶらとコーヒーを持ったまま通路を抜け、裏口に出る。何となく外の空気を吸いたかった。
と。
「PH7のひとだよね?」
何処かで見た顔だ、とTEARはその時思った。だがいつだったか記憶にない。
男は自分と同じかやや高い身長だった。無造作に結んだ長い髪が音楽をやっている人間であることを意思表示している。
「そうだけど?」
「FAVいます?」
「あんた誰?」
ああ、と彼は笑った。
「イキカズノリと言います。えーと、F・W・Aでドラマーだったんですが…… 覚えてませんかね」
「ああ?」
思い返す。だが思い出せない。
それはそうだ。TEARはF・W・A自体よく見には行っている。だが別にヴォーカルやベースを見に行った訳でも、ましてやドラムを見にいった訳でもない。はっきり言ってF・W・AのライヴではFAVしか目に入っていなかったのだ。
「すいませんね…… 思い出せませんや」
「まあいいですけど」
イキは苦笑する。
「それでFAVいます?」
「居ることはいるけど」
ぷい、とTEARは彼に背を向けて中へ入っていった。あ、しまった、とそう動いてから感じた。
何となく嫌な感じがしたのである。何となく、である。
別に「F・W・Aのドラマー」に嫌気を感じたことはそれまでなかったのだが、彼がFAVのことを口に出した瞬間、心の隅に火を付けられたような気がしたのである。F・W・AのドラマーがFAVと昔なじみで仲がいいということ程度は聞いていた。
だから、その「嫌な感じ」は相手、というよりも、一瞬そういったことを思い出してしまった自分自身に対するものだった。
TEARは好きな相手の過去に関して、全く何も気にしない人ではない。ただ、気にはしても、それはそれ、と割り切る程度の冷静さは持っている。過去よりは現在であり、未来よりも現在だった。過ぎてしまったことはもう変えようがないし、予想もつかない未来のことをあれこれ思い悩んで現在が面白くなくなってしまうのは馬鹿らしい。
とはいえ、それはそれとして、理性だけで人間は出来ている訳ではないから。
FAVはちょうど楽屋に戻って来ていた。かなり緩めのモヘアのセーターを無造作に着て、最近コレクションが増えてしまった、という帽子の一つを頭に乗せている。ちょこんと小さいそれはピンで止められて、帽子というよりは「飾り」に近かった。
それまで帽子を集める習慣はなかったのだが。
「FAVさん、客」
「誰?」
FAVは訊ねる。知らね、と素気なくTEARは答えた。FAVがにらむので一言だけつけ加える。
「あんたの知り合い」
何じゃあいつは、とFAVは思いながら言われた方へ行くと、見慣れた顔と大きな図体の持ち主がいた。
「なんだイキ、久しぶりじゃん」
おす、とイキは片手を上げる。
「元気だった?」
「まーね。もうアパートも引き払ったし」
「……へえ…… じゃ、本当に帰るんだ」
「うん。年内に何とかする、って決めてたしね。だからまあ、ご挨拶に、と。それにまだ俺、お前んとこのステージ見たことないし」
「あるじゃん、あん時」
F・W・Aの対バンがPH7だった時のことを暗に含める。
「あん時はまだお前PH7に入ってなかったろーに! ま、とにかく今日は俺、客ね」
「へいへい、またあとで話さねえ?」
「うーん…… 時間は大丈夫だけど」
「打ち上げって言うか、食事会みたいな奴やるのさ。どーせ大晦日は皆でどんちゃん騒ぎだから、今日がうちとうちのスタッフの忘年会みたいなものなの。暇だったらおいで」
「ん、じゃあお言葉に甘えて」
イキはじゃあね、と楽屋へ引っ込んでいくFAVを眺める。と、楽屋から一人の女が出てきた。TEARだった。彼女と視線が合う。
何となく挑戦的な視線を飛ばされたような気がして、イキは肩をすくめた。
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