第4話 HISAKAは冬になるとピアノを叩く。

 午後がミーティングだった。とは言え、午後は仕事が休みづらいFAVは欠席だった。おかげでいまいちTEARのノリが悪い。


「ご苦労様」


 午後一時、重そうに両手に手提げ袋を持ったマナミとエナを迎えると、TEARは片手に二つの袋をひょい、と持ってリヴィングへ持っていった。


「何か凄い量ね」

「あ、MAVOさん。ほら見て下さいよーっ手っ」


 そう言ってマナミは手を広げる。手提げ袋の持ち手が食い込んだせいで、手のひらと指が真っ赤になっていた。


「あらら真っ赤」


 かわいそ、とMAVOは赤くなった手のひらを「なでなで」してやる。


「ほらこっちだよっ」


 TEARが大声で居場所を教える。こたつ上に買ってきた雑誌を出して山積みにする。これじゃあお茶が置けませんよ、とマリコさんがぼやく。そしてあきらめて大きなトレイを探しにいく。


「HISAKAさんは?」

「……」


 エナの問いにMAVOは黙って「スタジオ」を指す。そう言えば、何やらピアノががんがんに鳴っている。


「やだCDかと思った」

「何弾いてるんですか?」

「さあ」


 MAVOは首を傾げた。HISAKAが来るまでこっちで話そう、と二人をリヴィングへ手招きする。

 怒らせたのかな、とエナは不安げな視線をマナミに送る。マナミはエナがMAVOに対してややナーヴァスになっているのは知っていたから、とりあえずはこう言った。


「大丈夫」


 マリコさんが廊下へ顔をのぞかせる。


「二人とも早く来ないとあの二人にケーキ食べられてしまいますよっ、今日はアップルパイっ」

「あ、はいはいっ」


 二人は慌てて靴を脱いだ。 

 去年もそうだった、とMAVOは思う。確か、この時期だった。まだバンドが今のように落ち着いていなかった時だったから、苛々しているのかな、とその時はMAVOもそう思った。

 HISAKAは冬になるとナーヴァスになる。そんな時にドラムではなくピアノを叩く。「弾く」のではない。「叩く」のだ。

 心配することはありませんよ、とマリコさんは言う。あの人は毎年そうなんだから、と。

 そうかもしれない、とMAVOも思う。自分は彼女の冬をまだ一回しか知らない。マリコさんは長い間知っている。だから彼女がそう言うんだから、心配するほどのことはないのだろう。そう思いたい。


 だが、だったらどうしてドラムでないのだろう。


 去年のこの時期、時々HISAKAはとりつかれたかのように激しく自分を求めた。

 寒いからどうの、というのは所詮言い訳に過ぎない。寒さはどんな季節にだって現れる。例えうだるような夏の暑い日でも、「寒さ」は存在するのだ。


 そういう時期をMAVOは自分自身と比べてみる。


 自分は春から初夏にかけて不安になる。そういう時に寒くて仕方ないから、HISAKAにすがりついているような気がする。

 別の季節になってしまうと割合自分が何をしていたのか、思い出すと赤面ものではあるのだが、その季節の最中はそれはそれで夢中なのだから仕方がない。

 マリコさんはそれには見てみないフリをしている。もともとこの点については彼女はあまりいい顔をしていない。それはMAVOは言われなくとも気付いていた。そして絶対マリコさんは口には出さないだろう。

 聞こえてくる曲も去年は知らなかったけど、今年なら少しは判る。年末曲と言われればそうだが、「第九」は去年も鳴っていた。他にもいろんな曲が鳴っていた様な気がする。それも結構荘重なものだの、おおげさな組曲だの、フィナーレが感動系のものだの。

 まあ曲の内容のことはこの際はっきり言ってMAVOはどうでもよかった。実際MAVOには「第九」以外タイトルは判らないのだ。

 ただHISAKAがこの時期になるとクラシックの曲の中にはまりこんでしまうのがどうにも気になったのだ。

 ドラムのことを忘れる訳ではない。決してない。だが、確実にピアノに向かう時間が増える。

 MAVOは妙に苛立つ自分に気付く。どうして苛立つのか、その理由がはっきりしないから余計に何か悔しい。

 早く年が明けてくれればいいのに、とMAVOは思う。



「あ、お待たせーっ」

「HISAKAさあん、パイ食べちゃいましたよぉ」

「あん?」


 結んでいた髪を解きながらHISAKAはマナミをにらむ。慌ててマナミは冗談ですよ、と手を振る。

 TVからはこの時間、お茶にごしの番組が流れている。例えばゴルフの中継、例えば再放送の時代劇、例えば七十年代の映画。


「FAVは?」

「FAVさんはバイト退けてから来ますって」

「日曜だし年末だからなあ…… 美容師は」

「やっぱり大変ですかね」


 ぼやくTEARにマナミは訊ねる。


「まーね。平日の休みの日はあたしが忙しいし」


 そういうことを聞いていた訳ではないのだが。


「美容系の専門学校行ってたんですよねえ、あのひと」

「まあたぶんそーだろうねえ。高校はきちんと卒業してるし、成績はいい人だったとゆーことだから」

「へえ」


 マナミとエナは顔を見合わせる。


「そういや、あんたら今度卒業だったよね」

「ええ。でまあ、一応二人とも決まったんですが」

「何すんの? 就職? 進学?」

「あたしは服飾系の専門で、こいつは短大の国文科」

「服飾系。へー…… 器用だと思ったら」


 そう言えば結構手作りのアクセサリーとかしていたな、とTEARも思い出す。


「腕上げて、恰好いいステージ衣装作れるようになりますよっ」

「期待してるぜっ。でエナちゃんのほうは」

「あ、あたし? えーと、図書館司書の資格取ろうと思って」


 ししょ? とMAVOとTEARとHISAKAの声がユニゾンになった。


「マナミのように直接ここにどうこうできるものじゃあないですけど」

「んなこと考えなくたっていいって。でもどーして司書? 何か初めて聞いた気がするんだけど」

「んー…… と、こないだ、HISAKAさん、あたしとマナミに都立中央(図書館)で調べ物させたでしょう?」

「ああ、ロック年表(作り)」


 何じゃそりゃ、とTEARは目を丸くする。


「結構面白かったんですよね。資料探してまとめてどーのって作業」

「げーっ? 面白かったのお?」

「あれ、あんたそーでもなかった?」

「いや、内容はともかく、あの膨大さにうんざりした」


 だろーなあ、とTEARとMAVOはげらげら笑う。


「だから、そういう、本だの資料だのとつきあう仕事って面白そうだなと思って」

「ん、でもいい傾向じゃん。何も面白いことないよっかずっといい。最初見た時なんかよりずっと可愛くなったし」

「へ?」


 MAVOにそう言われるとは考えもしなかったので、エナは思わず肩をすくめた。


「それにしてもずいぶんな量の雑誌ですな」


とそれまで黙ってぼーっとTVを眺めていたP子さんが言った。


「『ロック系の雑誌』なのか、『ロック系の人も載っている雑誌』なのかちょっと困っちゃって」

「それでまあ『も』の方にしたんですけど」

「や、それでいいのよ。だからあなた達に買いに行かせたんだから」

「どういう意味ですか?」

「んー…… だからロックとひとことで言ってもいろいろだなあ、ということを実感すべく」

「はあ」


 うんうん、とMAVOやTEARはうなづきあう。さすがにHISAKAの普段から言っていることを理解しているメンバーはいいが、エナやマナミはなかなか理解できない。


「だからさ、ロックやっている連中にとってのロックと、一般ピープルにとってのロックって違うからさ、時々忘れそうになるんで確認しよう、とこいつは言ってるの」


 全くしち面倒くさいこと言うんだから、とTEARは笑って、HISAKAの肩を叩いた。


「なるほど」

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