我不畏虚構。

瀞石桃子

第1話


≠ momo


べつに、毎日重大な決心をして、学校に行くわけじゃないんだけどさ、どうにも必死な気持ちで今日は今日こそは、って思ってる。

起き抜けの体に、目覚ましの鞭がぴしゃりと叩かれてびっくり飛び起きる。生身の体温が残ったしわくちゃの毛布が、むやみに逃がしちゃくれない。


今日こそは、今日こそは、って思ってもどうにも体が動いてくれない。嫌がってるんだよ、だって、なにせたったの3時間しか寝てないから。


起きたついでに、窓の外を見上げた。お日様の光の差し込まない中途半端な曇り。朝だしな、これから変わるかもしれない。


近所の子供たちが、背丈に合わない大きな傘を持って学校に向かっている。

じゃあ、雨か、萎えてしまうよ、雨の音好きじゃないんだよ。あの雨の音の中にいるなんて、狂気じゃなくちゃやってられない。


今日こそは、今日こそは、って思ってたけど雨が降るんなら誰か許してくれないかな。でも昨日はね、行こうと思っていたんだ、ほんとに。しかし雨が降ることは、昨日、知らなかった。今のことを、昨日予測することはできない。考えてもなかった、今日の天気のことなんて。気象予報士でもないのに、毎日の天気を他のことなんかそっちにのけてチラチラ気にしていたら、とても落ち着かないよ。ストレスでたまらなくなる。


まあ、でも、そんなくらいのストレスで悩むのならまだ幸せなもんなんだ。ほんとうに困り果てるのは、これといった原因の確証のない、こう、つかみ所のない空気みたいなストレス。厄介さで言えば、右に並ぶものなどありゃしなくて。

どう手を打っていいんだか、わかりゃしないんだから。現に、そんなストレスをずっしり抱えちゃってんだけどさ、こいつに立ち向かっていく元気が、そもそも少ないんだ、臆病だからか知らないケド。


もう、何か、悩むだけの気力を振り絞るので、めいっぱいなんで、それから対処するってまで元気が持たないんだ。そしたら、ね、わかってくれよ、もう、打ちのめされるんだよ。打ちのめされて打ちひしがれて、きりきり胃を180度捻るような、痛みと悲しみにひとたまりもなくなっちゃう。ストレスに殺されかけるんだ。無味無臭の絶望にだよ、どうやっても敵わなくて、(もちろん頑張って踏ん張ろうとするけれど)最後には自棄だ、お決まりの。ひとしきり荒れ狂って、気違いになって、暗やみの海を溺れながら前に這うだけ。


こんなのが、ずっと続いている。こういった、手に負えない悪魔に取り憑かれながら、それでもどうにかって、今日こそは、今日こそは、って思ってる。

時計の針が、無情にどんどん進んでいって、そろそろ家を出なくちゃ間に合わない、ってところまでもう来てる。

まだ、布団から出てもないし、服も着替えていない。朝ごはんは妥協したとしても、この髭は剃らなくちゃいけない。いっそ生やしてしまえば、手入れに困らないし、良いかなと思うこともある。

ただ、途方もなく似合わないから、結局剃ることになる。馬鹿だな、何を気にしてるのか、人に見られているという意識が、今重要なことじゃないんだ。

身嗜みは、時と場合相応にエチケットがあるけども、まず根本は学校に行くことなんだ。この一歩目に、いったい何ヶ月つまずいているんだ。数えてやる、いち、に、さん、し、ご。5だ、5。5ヶ月。もうすぐ6ヶ月。

これから肌寒くなるから、ますます外に出るのが億劫になる、わかるだろ、前にも経験している、今よりさらに大変だ。毎日が、戦争の最前線にいるようなもんでそのまま冬を越さなくちゃいけない。この調子なら、冬には確実に意気が途絶えてしまって、むざむざと零落しておめおめと連れて帰られる、そんな光景が目に浮かぶんだ。

危機感を持たないと、とてもこの冬も期待はできそうにない。


朝、体には引っかき傷がたくさんあることに気づいた。夜方寝ている間に、無意識にしていることらしくて、調べてみたらストレス云々のことも書かれてたりするから、それでなんとなくさ、こういうのも悪いって思うんだけど、自分のストレスは一筋縄ではいかない、ということがわかって、しらじらしくも、少しばかし喜んでいるというか、ホッとしているというか。

わかってるよ、不謹慎なのは。明々、承知のこと。いやらしい。ただ、心のどこかで、周りの人たちが、これしきのことで愚図愚図悩みあぐねていることをちっぽけだと思っていると思うと、正直、情けなくなって、どんなかたちでも構わないので、認めてほしかったのだと、思う。


愚か者のすることは、ひたすらに愚かだな。

最近別れたばかりのあの子の振り向かせるチャンスなのにさ、学校に行かないなんて勿体無い。

残念ながら、来ていないということで人は注目されたりしないので、呉々も現実に甘んじないこと。それにしても、使い古されたものだのに、それでもなお好きだなんて、趣きが違うな。

ぶっちゃけ気持ち悪い。

知ったことか、ファンでいられるならそれでいいんだ。

ビッチだとしても?

ビッチだとしても。

毎晩、ロクでもない男、お前なんかより数段顔を崩したような、性病持ちの醜男の上で、めちゃくちゃに腰を振っている魔獣だとしても?

お尻に火がついたら、色欲はコントロールできない。

でもそんなのは知らんな。

ただの諦め。

かっこわるい。お前はたぶん、誰も人を愛せないと思う。誰からも愛されないし、誰も愛せない。

自分をまともに愛せないんじゃ、他人もまともに愛せない。

愛なんて、どれも狂ってるだろ。偏愛はあるだろうけど、愛より強い毒はない。

誰かを愛したことないくせに。

あの子を愛してる。

どれくらい。

あの子のことを考えながらも、結局はオナニーができないくらいには愛してる。

なかなかだね、気味が悪い。

自分でもそう思う。

さっきのは言い改めるよ。お前は誰からも愛されないけど、誰かを愛することはできるかもしれない、ただし、それ以外の欠陥が多すぎて、基本的には愚か者、下衆、ゴミ。

逆に、ゴミに何ができるのか。

人の前から姿を消して、死んで、生まれ変わる。

またゴミができるだけじゃないか。


今度生まれるときは、物書きには手を出すなよ。物書きをしているせいで、相当な苦労を強いられることになる。人に趣味を聞かれて、物書きとか言ってみろ、陰気なやつに思われる、8割9割。

それから、すぐ、俺を主人公にして書いてくれ、とか言い出す馬鹿がいる。主人公の器ではない馬鹿が。あと、理系に進んで純文学読んでます、とか言ったら、煙たがられる。

世間のウケはよくないのが現状。同じ物書きのコミュニティーに属すると、周りの軽やかな才能に凍りつく。そして必ず、一回は死ぬ。

真面目にやっていたら、一回は死ぬときが訪れるんだよ。死んだら、地獄に落ちる、そこで血生臭い努力をすることになる。

そうすると、まず100%、現実がおろそかになる。食事・睡眠・仕事、これらと物書きの共存には腕が4本、大脳が2個、人格が3つないと成立しない。殊に、集中が深い人間にとって最大の苦難となる。


書いても書いても、書いても、書き殴っても、書き殺しても、足りなくなる。量で満足できなくなる。急ぐと質が伴わなくなる。慎重になると芸術が損なわれる。大胆になるとまぐれになる。気合いを入れると空回りして、どんどん別物になる。

他の作品に感化されて、作風に寄せようとすると、楽しいけど失敗する。自信作はたいてい自己満足に帰結し、思っているほどの評価は得られない。

根気を尽くさずゆるく書いたほうが面白いと言われる。このチグハグに、また悩む。そして、幾度となく、何が面白いかと自問自答。さらに自暴自棄。自業自得。自分自身。自給自足。

すべての行いは、己に返ってくる。


基本的に思うんだけど、物書きをしているときは闇の中なんだ。誰もいないし、差し伸べてくれる手はない。たった一文紡ぐためにありとあらゆる言葉と知性と感性を総動員して、そこから選抜して、編成して、ひとつの完成された配列を導かなくてはならない。

これを何百何千と繰り返さなくちゃならない。

この何千の中で、人の中にぽつりと留まるのは、ほんの2個3個、たったそれだけで大観が決定する。とまれかくまれ、ほとんどが無駄。物語の流れってものがあるから、お気に入りのシーンをホッチキスで連綿と繋ぎ合わせることはできないし。


正直な話、想像力がどうとかはたいしたことではなくて、無駄なものがほとんどだという意識を徹底してるかどうかだと思っているんだけども。

最終的には、そこに行き着く気がする。そんなふうな物書きを趣味としてはおすすめしないというお話。

いや、趣味のレベルならいいかもしれない。気休めに、気まぐれに、ほんのり人に読んでほしい、と思うくらいならなんとかなる。

文章に清潔感だとか、切迫感だとか、芸術性を求め出すと、涼しい顔はしていられなくなるよ。


こんなところで、尻切れ蜻蛉。

秋がもう、そこまで来ています。

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