第3話 旧い仲間たち

ドーム球場に隣接する遊園地内にあるヒーローショー専門劇場、『ヒーローパルテノン』の楽屋口を出てすぐ右に折れた狭い空き地には、外部からは伺えないように、コの字に配置された、すだれ状の仕切りに囲われたスペースがある。


そこには日に焼けて色あせたベンチ三脚と、円柱のスタンド灰皿が二本突っ立っていて、タバコを吸う面々がたむろできるようになっている。


ただ、今時分は次のステージ準備のために、この時間に煙をくゆらせる余裕のあるものは少ない。


悪役のラスボスを演じているテラの出番は、三〇分ほどの上演時間のショーの後半だ。


レッド役の砂川をはじめ、ほとんどの者が余裕なく開演準備にいそしむ中、テラはうまそうに紫の煙を、施設の谷間の狭い青空にたなびかせる。


常連はタバコとライターをベンチの上にキープしている者が多い。

セフティチームのリーダ格である磯貝も多分に漏れず、専用のケースに入ったタバコとライターをここに置きざりにしている。


うっかりか、もともとか、自分のタバコを切らしてしまったテラはベンチに腰掛け、あたりまえのように磯貝のケースに手を伸ばして一本拝借して火をつけ、目を閉じる。


と、座りの悪いベンチが、もやしっ子の乗ったシーソーのように、がたんと突き上げられた。


目をあけると、ベンチの端に男がどっかりと身体を投げ出して、自分の陣地を広げるがごとく、もうもうとあたり一面を煙で覆っている。


白髪の混じった長い髪をブルーのゴムできれいに束ね、だんごっぱなの下の無精ひげは、丁寧に刈りそろえられている。

その男、イノさんはその身体をいっそうベンチに沈めると、持ってきていた缶コーヒーをすすって独り言のように、


「ほかのやつらが忙しくしてる時のタバコってのはどうしてこんなにうまいんだろうな」


その言葉に、テラも煙を吐き出しながら、


「ほかのやつらが忙しくしてる時のもらいタバコってのはどうしてこんなにうまいんだろうな」


「俺にも頂戴よ。磯貝ちゃんのタバコ」


「イノさんは自分のあるでしょが」


「ほかのやつらが忙しくしてる時に、自分の在庫はまだあるってえのにもらいタバコするのが一番うまいってのを俺はよーく知ってるんだよ」


イノさんは、まだ自分の煙草が長いにも関わらずもみ消して、磯貝のタバコケースから一本抜くと、親指と人差し指でつまんで火をつけ、頬をすぼめる。


「いい大人が揉めてるんじゃねえよ。ヒーローとワルが、ステージを降りてもやりあってるなんてちびっ子が知ったらどうなると思うよ、絶叫上げてショーの続きが見れる~、って楽屋に押し掛けるぞ」


「誰が? 俺か? 俺はぜんぜん揉めてないよ」


「そりゃあ俺たちだって、ブースで言いたい放題言ってるよ。砂川の馬鹿野郎、フラッシュのタイミングもスポットの位置もやるたんびに違う。やるたんびにタイミングも位置もどんどんズレてきやがる」


イノさんの愚痴にテラはいかにも面白そうに、


「ステージからも、照明ブースが、あたふたしてるのが見えるもん」


「今はもうそんなのもねえよ。もうウチらも、音響チームの方も、あきらめて粛々とお仕事をこなしてらあ」


二人の吐き出した煙が上空で混ざりあいながら消えてゆく。


「それにしてもお前、食いものの恨みってのは怖えぞ。特にプリンに名前を書くようなやつの恨みときたらな、末代までたたられっぞ」


テラは大きく伸びをして、


「マツダイねえ。そんなもん居ないからなあオレにはなあ」


呑気そうな言葉にイノさんはぐっと顔を接近させて、言ってろよ。とささやく。

どうしてか表情を無理やり固めたようなテラの耳に、


「ああ言ってな言ってな」

と別の声が届いた。


しかめ面になったテラの視線の先、すだれ状の仕切りの向こうから顔をのぞかせたのは、エクスチェイサーの一人で、ピンク色のコスチュームをまとい、「エクスピンク」を演じている男だ。

マスクはまだ被っていない。その顔はつややかだが、白髪頭を染めているらしく、赤みがかったねこっ毛気味の頭髪は、いささか年甲斐なくも見える。

男ながら女性のキャラクターを演じているのがはたからも明らかなのは、胸の詰め物で女性の体形を装っているからだけでなく、その立ち姿に自然と〝しな〟が作られているせいだ。


「マツダイの素が聞いたら、気ィ悪くするよ」


なおも言うピンクの男にひきつった笑みを浮かべて、


「なんだよマツダイの素って。意味わかんないこと言うなよこぼさんよ。だいたいこんなところでうろうろしていいのかよ、支度あるだろが」


〝こぼ〟さんこと小仏堅作は、タバコを吸わないので、この場所に来るのは珍しい。


「あたしゃこれ飲んだら行くの」


冷蔵庫から取ってきたとおぼしきヤクルトのキャップを剥こうとするので、イノさんは、


「大丈夫かこぼよぉ、“sunakawa”って書いてないかちゃんと確かめたんか」


愉快そうにテラに目くばせする。


「そうだよ。名前書いてあるものなんかガメたら、そんなのただの泥棒だぞ。悪党だぞ」


テラは、砂川と向き合っていた時とは別人のようにリラックスした表情で軽口をたたく。


「だったらお前は、ほんまもんの悪党ってことじゃないか」


イノさんが声をあげるのをテラは制して、


「俺は悪党じゃないよ。俺は、わるもんだ」


〝わるもん〟のところを日本語講座の先生のように口跡よろしく発音した。


「あいつの名前が書いてあったカップはちゃーんと洗ってあいつに返したさ。ただし、カップの中の甘いのはいただいたけどな。だってそれには名前書いてなかったんだもん」


小仏はため息をついてから、


「そうさね。あんたは〝わるもん〟だ」


そう言ってヤクルトを一気飲みすると、準備運動のつもりか、妙に腰をくねらせながら楽屋へ戻っていく。後ろ姿に目をやりながら、テラはいかにも不服そうに、


「俺はプリンが食いたかったわけじゃない。俺はあんな野郎に食われてしまうプリンが、不憫で不憫でたまらなかったんだよ。よっぽどあいつがいやだったのか、それとも俺に食われるのがよっぽどうれしかったのか、プリンちゃんはスプーンの上で、黄色い身体を悶えさせてたなあ」


さっきの砂川の顔でも思い出したのか、テラは満面の笑みを浮かべて、肺いっぱいに煙を吸い込んだ。


イノさんはそんなテラを横目で見ながら立ち上がって、


「ハイよハイよ。やっぱりお前、ほんまもんの〝わるもん〟だな」


今日のラスいちお仕事すっか。と独り言ちながら身体をゆさぶり照明ブースに戻ってゆく。


楽屋口のドアが閉まる音を聞いてから、テラはベンチの背もたれで思い切り上体をそらし、軋む背骨にうめき声をあげた。

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