第2話 ウラ闘いの日々

黒ジャンパーに黒ジーンズの集団が、早足で楽屋に戻ってくる。

廊下の曲がり角の向こうから聞こえる悲痛な声に、彼らの足が駆け足になる。


廊下の曲がり角にあるトイレの前で、三人の男が顔をつきあわせている。


一人はヘルメット型のマスクこそ着けていないが、赤いぴったりとしたコスチュームに身を包んでいるので、さっきまでエクスレッドの中に入っていた男だとわかる。


向かい合った年かさの男は、上半身こそジャージ姿だが、下半身は鈍いさび色のコスチュームに覆われているので、クロガネショーグンの中に入っていた男であることが分かるのだった。

白髪交じりの短髪と浅黒く水分を失った肌は年齢を感じさせるが、ぎょろりとした眼光には若々しい迫力がある。目つきの年齢だけならば、レッドのコスチュームの男にも負けていない。


二人の間に、黒づくめの若い男がでかい図体を割り込ませている。二重あごのたわみが延びるほど顎をあげて、断末魔のオットセイがあげるような声に汗ばんだ手で、レッドコスチュームの男の二の腕をがっしりとつかんでいる。


「やめてくださいいいいっ」


と、その図体に似合わない甲高い声をあげていた。


「水戸ォ、お前なにしてるんだァ?」


駆け寄ってきた黒づくめ集団に水戸と呼ばれたその男は、レッド姿の男の腕をがっしりとホールドしたまま、その力強さとは裏腹な弱弱しい声をあげる。


「あの、あの、お二人を、と、とめて下さい」


「テラよォ、まあ、落ち着けや」


黒づくめの中から、一番小柄な男がしゃがれ声で歩み出た。

目深にかぶった黒いキャップの端が擦れて見える白い下地が、全身の黒からくっきりと浮き上がっている。キャップの陰になった目じりには、彫刻刀できざんだようなしわが層のように陰影を作っている。


「テラ」というのはクロガネショーグンに入っている男のニックネームらしい。

テラは鋭いギョロ目と釣り合わないのんびりとした口調で、


「俺は落ち着いてるよ。俺より砂川がよ」


と、対峙するレッドコスチュームの男を一瞥する。


「手ェ離せっての!」


水戸に腕をつかまれていたレッドコスチュームの男、砂川は、身体をはげしくよじって手を振りほどき、乱れた髪をちょっと撫でつけてから、テラを睨んだまま半歩踏み出した。

一触即発の様相に、水戸はさらに悲痛なオットセイの叫びに顎と喉を膨らませ、二人の間に巨体をねじこもうとする。


「いざこざの原因はなんだ?」


黒いキャップの男の問いかけに、


「大したことじゃないんだ。磯貝さんよ」


テラがキャップの小柄な男、磯貝に呑気そうな声をかける。


砂川は険しい形相を水戸に向け、ゆがめた口を開く。


「水戸てめえ、モンスターなみの握力で掴みやがって」


ぴくぴく痙攣する頬をいっそう近づけて、


「なにか、セフティってのはそういう仕事か? 馬鹿力で演者の腕へし折んのが仕事か」


水戸はこきざみに首を振って、


「皆さんの安全を守るのが僕らの仕事です」


砂川は、ハハッ、と声をあげてから、また不愉快そうな顔になって、


「握手会が終わって、楽屋に戻ってきたら、プリンがなくなってやがった」


怪訝な顔になる一同に、


「差し入れのプリンを冷蔵庫に入れといたんだよ。戻ってきたらなくなってたんだ」


そこまで言って砂川は、ひと呼吸おいてから、


「食われてたんだよ」


怒りがぶり返してきたのか、砂川の口調がひとつひとつ、ゆっくりになってゆく。


「たまたまテラさんが通りがかったから、おそれいりますが俺のプリンご存じありませんかねえって聞いただけなんだよ。それだけなんだよ。俺は、たまたま、テラさんに質問してただけなんだよ」


砂川は〝たまたま〟を強調して言って水戸を睨んだ。


「それなのに、この水戸がよ、でっかい図体揺らしてどたどた走ってきやがって。でっかい声出して掴みかかってきやがって。おかげでこんな大ごとになっちまったじゃねえかよ」


「だって、砂川さんすごい怖い顔してたから」


「してねえよ。俺は、紳士的に質問してただけだ。なんでそんな顔になるんだよ」


「自分で食っちまったの忘れちまったんじゃねえのか。砂川よ」


磯貝の問いかけに、砂川はキッチンから何かを取って戻ってきた。プラスチック製の透明なカップの胴体に、


〝Sunakawa〟とマジックでサインが書かれてある。


「これみよがしに空のカップが、流しに転がってやがったんだよ」


まっさらそのもののプラスチックカップを磯貝がくるりと回すと砂川は、


「おふくろさんがそば屋の出前の器返すときだってこんなにきれいに洗いやしないっつの」


「律儀なやつがいるもんだ」


他人事めいてぽつりとテラが言う。


「言っとくけど、俺は別にプリンなんかどうでもいいんだ」


片方の頬を釣り上げて、テラの肩に腕を回す砂川。


「テラ兄いと俺は、レッド仲間だよ。伝説のレッドと、現役のレッドだぞ。正義のレッド同士がもめごとなんか起こすかよ。なあ、テラ兄い」


砂川に肩を組まれたテラのギョロ目はうつろになり、蝋人形のような表情だ。


「今日最終公演の客入れ時間です。もろもろ準備をお願いします」


舞台監督の名越が、首から下げたストップウォッチ片手に呼びかけながら通り過ぎる。それを合図に、めいめいが次のステージの準備に入ってゆく。


磯貝が水戸を呼び止めた。


「お前、テラと砂川のこと、ちゃんと見張っとけって言ったろ。あいつら、毛並みの悪いイヌッころとエテ公なんだからな。いったいぜんたいどこで油売ってやがった」


水戸は目を白黒しながら、まるで口に大量のとろろかなにかを流し込まれたかのような口調で、


「あのですね、〝怪人〟の正体を確かめようと思って」


何のことかは、この劇場の関係者ならすぐにわかる。

それはここのところ、若手連中の口の端に上っている怪談話だった。磯貝は思わず声を荒げる。


「怪人なんてのはなあ! ステージの上にしかいねえんだよ」


水戸は、楽屋からは直接うかがえないステージの天井裏を意識しながら、


「でもその、みなさんの安全を守るセフティとしてですね、ちゃんと確かめたいと思ってですね」


そこまで言って口ごもった水戸の顔をうかがう磯貝。


「行ったのか? キャットウォークに」


「途中までは行こうと思ったんですけど、やっぱりその、一人じゃちょっと」


ひと一倍臆病な水戸は、怪人の正体を暴くのを断念したらしかった。


「あのなぁ、キャットウォークを隅々まで知ってる俺が、何にもないし、誰もいないってず――――――っと言ってるんだからよ」


〝ずーっと〟を、息が続くまで伸ばして言ったあと、


「俺の事信用してないのか」


とんでもない、とぶりぶりかぶりを振る水戸。


「お前はお前の仕事に集中しろ」


「はい」


深々と頭を下げて準備に向かう水戸の背中を見届けて、磯貝はキャットウォークへつながるスチールの階段を、小気味よい足音を刻みながら駆け上がってゆく。


そこに五十を越した男の倦怠感はみじんもないのだった。

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